書籍
作家モノの箱付の陶器で、ゲテモノがあって困っている我家なんだが、これはオフハウスなどの街中にあるリサイクル店に持って行ってもダメなのだ。
昭和28年5月1日改定発行だから、初版はそれより前というコトで・・・
本っていうのも、迂闊に捨てると呪われるかもしれん。
ブックオフに見捨てられた本の山の中にお宝を見つけて狂喜したんだけどねぇ。
今のトコロの感想は・・・ヘッセってこんなに青臭かったんだぁ!
そのうち、久しぶりにテーブルロールを作ってみるか?完全にこの本のレシピ通りに。スーパーマーケットで揃えられる材料で。それは王道の味わいだからねぇ。
あるコーヒー店に入り浸っていた。そして、そこの方が言われていたのだが「柴田書店の本は、買っておけ!」強く、強く、そう語るのだった。
伝説となった神奈川県伊勢原市のブノワトンのコトが掲載されているのは、2002年初版の「決定版 パン屋さんのしあわせレシピ(ブックマン社)」の33頁
この本を読めば、なぜ量産のパンにイーストフードが使われるのか、加える塩や糖類の効果と意味、油脂類の働き、ミキシング、発酵、製パン法について、いわゆるレシピ本では分からないコトが説明されている。
ある木造軸組の建物が傾いた。つまり不同沈下と言われるコトが起きた。これは建ててから年数を経ると、多かれ少なかれ建物の水平垂直は起きるものかもしれないから、僅かな変化ならば仕方ない点もあるだろう。
宮沢賢治を深読みしようとすると、法華経がナンジャラホイ?というコトになってくる。特に草野心平版の「兜卒の天の食」は、ワガハイ的にはアイスクリームよりも深掘り出来てよろしいのだが・・・
こう言ってはナンだがYAMAHA音楽教室的な教え方を嫌っていた人だった。それはワガハイも同感するトコロだ。という記述によって、YAMAHA音楽教室の関係者並びに習われておられる方々を、完全に敵にしてしまった。
何とも曖昧なサイトカインの性質に、こりゃ単線的な思考では扱えないシロモノなのだと思った。複眼的というか多視点・・・すぐにセザンヌの絵画を思い出し、キュービズムを想起するけれど・・・
「免疫の意味論」の内容は、免疫系に立ってみた位置から自己と非自己についていろいろ記述があった。その視点(立脚点)・・・「免疫系」というのが実にインパクトのあるものだった。
その大先生、この本の著者と面識があったのだろうか?本の最後の頁には鉛筆で「2012,10,9」という日付が記入されていて(読了の日付か?)、更には新聞の切り抜きも丁寧に糊付けされていた。
そう何回も聞き直すCDでもない。強い印象を残す音だけに、CDであっても一回性の体験のような気がした。
モノの値段も変わりゆくものだけど、昨今のコーヒーは高騰していると思う。そしてこの傾向が収まる気配は全くない。安くなる要素が全く無いのだから。
これは懐かしい言い方だ。久しく耳にしない言葉だと思う。コレは祖母がよく使っていた言葉だ。祖母はコーヒーカップともティーカップとも言わなかった。コーヒー茶碗、紅茶茶碗と言っていた。
鈴木大拙・・・30代の頃に読み漁ったなぁ。とても興味深いコトが多く著されていたけれど、少々「禅」に関して奢り過ぎなスタンスは気になった。そして他国宗教・思想よりも禅の思想の方が優位だという意識は隠しきれなかった。
無理はしない。体調を崩してまで輪島に行くもんでもないだろう。絶対に行く、といった感じで頑張らない。現地で体調を崩すのは迷惑だからなぁ。
人間という動物と酒との関係について、ワガハイがアレコレと書くよりも「趣味の酒つくり ドブロクをつくろう実際編 笹野好太郎著 農文協」から引用(やや省略)した方が要点を得やすいだろう。 ・・・卑弥呼のことを記した「魏志」倭人伝の中で「人の性、酒…
妙見山黒石寺は天台宗である。729年(天平元年)に行基!が開いたとされる。
岡倉天心の「東洋の理想」を読み返した。何年振りの再読なのかは判然としないが、前回読んだ時に気になったトコロに付箋を貼っておいた箇所に、今回も何らかの反応をしたワガハイであった。
「永田町動物園」というタイトルがボツ!つまり亀井さんは動物園が何たるかを分かってらっしゃらない。
つまり、書いている途中でそれだけ予定変更(脱線)してしまったワケだ。だいたい「白秋童謡館」の画像を並べながら、北原白秋さんについて全く書かなかった。それはつまり、尾崎一雄さん以上に北原白秋さんに対してのナニガシカが欠けている証拠だ。
一時期「現代農業」という農文協から出ている月刊誌を、まめに買っていた。そして書店から遠のいたことによって購入するコトがなくなった。先日は100均に行って、隣に本屋があったので、お久しぶりにその本屋を物色した。そして改めて廃刊になった雑誌のコト…
薄めると化けの皮が剝がれる!それはまるでクロマトグラフィーのように、滲んで成分があからさまになるのである。
静止画と動画の境目も曖昧になってしまった今日この頃…皆様いかがお過ごしでしょうか?ってなモンだ。
小さな穴を通過した光が、反対側の壁に天地左右がひっくり返った像を結ぶという現象自体は、とんでもなく古くから知られていたワケだから。
「ヨハネによる福音書 20章」を抜きにして「写真論」は理解不能である。それは日本の事情では困難かも知らんが、スーザン・ソンタグの「写真論」※2にしても、ロラン・バルトの「明るい部屋」※3にしても、果てはヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術…