神社仏閣
ごくたまに長泉院に寄り道してみるのは、巨木があるからだ。「センペルセコイアの大木」と、グーグルマップにも書かれているその木は、とてつもなく大きいのだ。
ここは「川匂の湯場」と看板に表記されている。川勾神社の西側に位置するのだが、昔は温泉場があったらしい。
ワガハイは、この富士講が何たるか、を知らない。勿論、文字上のコトは調べれば分かる。だが、信仰とはエモーショナルな問題が大きいので、結局のトコロ、そのエモーションに行き着くコトが出来ない。幾ら調べたとしても手前で失速してしまうだろう。
戦争になると、こうした聖地でさえ演習地になってしまう。だいたい現在もそうだが、富士山の周辺で自衛隊が広大な演習地を確保しているというのも、ナンだねぇ。日本人のココロの地の裾野は、演習地である・・・と。
とにかく世界遺産に認定の時に、どうやらこの人穴富士講遺跡もそれに入っているみたいだ。
その渋滞も知らずに鎌倉の「滑川」交差点から逗子方向に曲がっていく観光バス多数。
ここは、神仏習合の祈りの場なんだろう。神仏分離の影響を受けなかった?というコトだろうか??調べてみると、興味深いコトがあるかもしれない。
朽ちかけた説明板 文字が全く読めないし、そのうち倒れるだろうという感じの説明板があった。これは神奈川県山北町にある神社の由来などが書かれていたものではないか?と推察した。手っ取り早く、場所は以下リンク先を確認されたし! maps.app.goo.gl その…
妙見山黒石寺は天台宗である。729年(天平元年)に行基!が開いたとされる。
「火雷神社(からいじんじゃ)」を目指した。丹那断層を語る上で、必ず出てくる神社だ。ここもなかなか立ち寄るコトが出来ないまま、今日に至った。
扉に「お賽銭投入口」と書かれたシール状のものが貼られていた。この小さな投入口に付けられた引手を右に引くと、内部空間への四角く暗い穴が現れた。
コレは神奈川県小田原市浜町という、海岸に近い場所にある八代龍神様の説明板だ。かまぼこ通りのちょっと東側、ってなトコロだ。
固定資産税を滞納して差し押さえを4回くらっても、そんなの大したコトではないんだろう(自民党 神田憲次財務副大臣 衆院愛知5区)
無性に肉詰めピーマンが食べたくなる。そして昨年の晩秋、ワガハイは作った。その時はじめて狙って「タネなっぴー」を買いに行った。だが、売ってなかった。というコトで普通に種ありピーマンで作った。
ココは「絹本著色達磨図(国宝)」を有する臨済宗のお寺。でも、拝観出来ないから見られない。だが、この国宝は東京国立博物館にある?の??そういう情報もあるからねぇ。寄託・・・ですか?ナルホド、それは安全度が高いわなぁ。
臨済宗の恵林寺は武田氏の菩提寺だから…やっぱり観光地だねぇ。ワイナリーは静かだったが恵林寺にやって来ると人の姿が多い。
時に、ガチガチにネジ巻きするっていうのもいいのかもしれない。襟首正すって言うヤツだな。
ガツンとした生酒を猛暑に頂くっていうのも、ナカナカ良いなぁ。淡麗な酒だと舌がダレるっていうのはある。それに相当な減塩が日常の基準になっている我家でも、真夏はソレなりに塩分は多めにして料理している。そういう食中には、ややインパクトのある酒の…
自然が豊かなのか?或いはバランスが崩れた結果なのか?まあ、いずれにしても何らかの必然によって結果が生じているのだから、偶然というコトは有り得ないだろう。
神仏を前にして祈る内容っていうのは、その時々の自分の不安が反映されているかもしれない。そう思うと、祈った内容をよくよく考えて見れば世の中のナニガシカが見えてくるコトもあるかもしれない。
伊豆山神社 静岡県熱海市の伊豆山神社は、確か伊豆という名前の原点である。伊豆山権現、伊豆大権現という言い方もある。ワガハイが子供の頃、祖父達の世代は伊豆山権現と言っていたと記憶している。伊豆山神社っていうと「?????」的な反応をされたコト…
有形文化財と無形文化財って、切っても切れない関係にある。有形文化財だけ残しておいても、ソレだけでは意味不明になっていくし、無形文化財だけでは、ソモソモの成り立ちの場が失われていくから、単なる時代遅れの娯楽になりかねない。
吉宗と大岡越前が出てくれば「暴れん坊将軍」である。なるほど、暴れ川だけに暴れん坊将軍なのか!とガッテンした??
あっ!フジフィルムじゃないんだったねぇ…フジフイルムだったんだな。コダックはコダツクじゃないのにねぇ
昨日書いた「瑞雲寺」であるが、「力不動」のことを書いて本体を書かずに終わった。幾ら瑞雲字のHPがあるにしても、いくらかはワガハイの視点で書いておいてもイイのカナ?と思ったりしたのだ・・・昨夜、風呂に浸かりながら。
パワースポットだったんだねぇ。地質調査もナニも無かっただろう時代に、この場所というピンスポットに神社を建立したんだなぁ・・・。
木道が整備されているので歩きやすい。ご近所の方は買物などでもこの木道を歩いて行き来しているみたいだ。
大昔の大磯の山は、一大霊園だったんだろう。時間が余ったなら、「旧島崎藤村邸」や「鴫立庵(しぎたつあん)」も見て回れば、とりあえず大磯のディープな部分は堪能出来るんじゃなかろうか?
人里離れて山奥に入って自然林やお手入れ不足気味の植林などを見ていると、妙なカタチに歪んだ幹八や枝を見つけることはよくあることだ。トグロを巻いている幹を見つけることだってある。
フラフラと力なく坂を下ると湧水がある。先客あり。神社裏手から直接車で湧水脇に乗り入れることが出来るようだ。ワガハイよりも圧倒的に若い男女が、ペットボトルなど数本に水を汲んでいた。