風景・散歩
遺跡を前に手も足も出ないワケで、となったらやれるコトはただ一つ!説明板を読んでおこう。
立札は「公所」と「根坂間交番前」の交差点の間に位置する。
平塚にある日産車体も生産が終わる。ここではADバンとNV200が作られているらしい。
このような道幅の狭いトコロのトンネルって、まあまあ不気味さが漂うもんだ。
養蚕・郡内織りを生業としてきた秋山地区は、「信玄の隠し金山 の里」としても知られ、かなやま金山の採掘鉱跡が残されてい ます。
金山に相田みつを。不思議なとりあわせ。
始めは地元の誰かが見つけて、それを「オレのだぜぃ!」といって信玄が支配したというコトか。
昨日の宮ケ瀬湖 津久井湖や相模湖エリアへのルートとして宮ケ瀬湖を抜けるか、それとも躱すか?その判断は悩ましい。 宮ケ瀬湖を抜けるにしても、「やまびこ大橋」を渡らずに半原方面に抜けるか、或いは「やまびこ大橋」「宮ケ瀬虹の大橋」を渡って宮ケ瀬湖…
海が荒れている様子は、山からも確認できる。
住所的には神奈川県大磯町生沢というトコロで、小田原厚木道路の大磯インターを出て近くの「東の池」だ。
不思議なカップルが「アルファロメオ GIULIA」から降り立った。某国の大使館員だろうか?知らんケド。
丸山というのは、丹沢山塊の真っただ中に位置するのではなく、酒匂川が平野に流下する際にある低山だ。
「銀座通り」バス停から北に向かって少々歩くと「須藤町」の石碑がある。
小田原厚木道路の大磯インター(小田原厚木道路大磯PAのトコロ)を出て直ぐのトコロだ。
ガラス工芸家の小林貢(1932~2024年)の作品が展示されていた。
古き日本の木造旅館を味わえるのだろうか、インバウンドにウケているという噂もある「日乃出旅館」の前を歩く。
「ディープスポットうらちょう」と記述があるからディープなんである!
すると・・・ネコがやってきた。
商業エリアの東口とは全く異なる、もうひとつの小田原駅近風景である。
小澤さんの熱烈なファンならば、ここのベンチに腰掛けて思いを馳せるコトは出来るだろう。
その実は既に、かなり食べられている・・・ココは鳥さん達のお食事処だ。
拘りが無い・・・若しくは拘りが少ないならば、ソレは案外自由人なのかもしれぬ。
全く収穫が得られないというワケではないけれど、生梅を潤沢に売るほどの収量は得られそうない梅林の状態が確認出来た。
高校敷地の外側に沿って、通路が設けられていた。コレはグーグルマップからは読み取れないルートだ。
階段を上がるとそこは神奈川県立小田原高校である。その手前左脇にベンチのある公園があった。
かつて、ココには「十仁病院」というのがあった。ソコまでは昔々、看板も見かけたから覚えている。だけど診療していたような印象は、ワガハイの記憶にはない。廃墟化していく姿の記憶しかない。
な~んか、イイ感じの眺望だろう。ここは小田原市城山三丁目になる。駅近眺望良しという高級住宅街だ。
トヨタレンタカーには「京都」ナンバーのヤリスも停まっていたけれど・・・コレは京都からの乗り捨てだろう。
これは神奈川県松田町の寄(やどりき)というトコロで咲いていた個体だ。
空間は宝だ。ナニもない空間こそ、貴重なのだ。それは災害時の対応への余裕にも繋がる。