昨日に続き、東京都羽村市のJR「羽村」駅近くに位置する史跡について。
五ノ神社は、昨日の「まいまいず井戸」と同じ敷地内にある。というよりも、本殿から見て正面に井戸がある。この配置は見事なまでにナルホドである。なんか、理屈抜きに強烈な説得力によって納得させられてしまう。
創建は推古[すいこ]天皇九年(六〇一)と
つたえられる古社で、宝亀[ほうき]年間(七
七〇~七八〇)、熊野五社大権現[くまのごしゃだいごんげん]を
祀[まつ]ったところから、もとは熊野社と
称し、五ノ神の地名が生まれたとい
われます。
慶長十二年(一六〇七)の修理棟
札にみえる「五辰宮」は、現本殿の
前身と推定されます。
現本殿は、青梅の宮大工・小林藤
馬[とうま]が嘉永[かえい]二年(一八四九)に着工、
文久[ぶんきゅう]二年(一八六二)に竣工された
と推察され、二十四孝[こう]の彫刻や絵様[えよう]
など、周囲の細部意匠[いしょう]にも江戸時代
後期におけるこの地方の社寺建築の
特徴がよくうかがえます。
平成四年三月
羽村市教育委員会
というコトだそうだ。で、ワガハイ的には学がないもんで〈江戸時代後期におけるこの地方の社寺建築の特徴がよくうかがえます〉ってぇのがよ~ワカランままに、そ~ゆ~コトなんだろう・・・というコトで、納得もナニもなく素通りとなった。このコトについては本殿と井戸との配置のような、有無を言わせないパワーはなかった。
こういう特徴ってぇのは、やっぱり専門家の解説がないと見えてこない。
でもまあ、神社はあるし、井戸はあるし、この地域の中心地だったことがうかがえる。中心地だったから青梅線の駅も出来たのだろう。
昔々、そこに神社があった。お祭に限らずナニかにつけて人が集う場だった。そうしてその前に井戸が掘られた・・・そんな大雑把なストーリーを描き、様々な人生模様をイメージしてしまう。
あ!一応、地図上では以下の場所がまいまいず井戸なので、その隣がこの神社だ。
とにかく、神社については新しいとか古いとかもそうだが、祭神が大切。特に境内にそうした記述は見つからなかった。ワガハイの探し方が足りないだけかもしれないが。そこでネット検索すると・・・
天照大神 アマテラスオオカミ
素戔嗚尊 スサノオノミコト
天児屋根命 アメノコヤネノミコト
伊弉冉尊 イザナミノミコト
事解男命 コトサカオノミコト
というコトらしい。公の出典ではないけれど、複数のサイトを見てみるとこのような感じであった。熊野権現というコトならば、そういうコトなんで間違いはないだろう。
もっとも、熊野と聞いただけで祭神が分からないとはナニゴトであるか!と、叱られるのかもしれない。
カミサマ タクサン デ オボエ ラレマセン。
でも、この五神でグループだったら一発で紅白は決まりでしょ!(ワガハイは紅白観ないケド。)
ところが、街中に見かけがちな神社ってな感じなんだが〈創建は推古天皇九年(六〇一)〉って・・・ど~ゆ~コトなんだろう。
601年・・・??
ムジコのヨヅクリ大化の改新・・・だったよなぁ?645年より前・・・。
はぁ~~~?
あまりにも古くないですかぁ?
ホント???
推古天皇の時って「冠位十二階」「憲法十七条」の制定で、遣隋使の時代だったよなぁ?
遣唐使じゃないからねぇ。
その頃に、この神社は建てられたってなコトかいな??
まあ・・・そういうコトもあるだろう。
もっとも現存している社殿がその頃に建てられたものではないにしても・・・長い間、この場所が祈りの場所になっていたのは確かなんだろう。
説明板は傷つけられていたが、どうか本殿には傷などつけるような悪戯はされないように。まいまいず井戸とともに、これからも大切に保存されていかれますように。
とにかく、チョットびっくり。
昨日のブログもあわせて読まれたし!