Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

間接的に響いていた明治時代の言葉

一応、昨日の続きテーマとなる。

草刈のあとにヨモギが出ていた

説明し辛いコトだけに、多くの方に分かりやすいとは思えない。もっと分かりやすく書く工夫が必要だとは思っている。だが、書いておかないと書いて残す機会も失ってしまう。思ったが吉日!不完全なのは承知の上で備忘録として書いている。

ホント、先延ばしにしていると遂に機会を失ってしまうコトはある。今年はイロイロと体調不調に襲われたこともあって、やれるコトは着手しておいた方がイイという思いが強くなったのだ。

我家の事情ながら、ピアノ教師のFさんの話しには、芸術表現に関する貴重な問題が多かった。このブログで少し触れただけで実際に生徒だった妻は・・・実際に教わってもいない(ピアノレッスンの経験もない)ワガハイが、よくそこまで正確に理解していたと、やや驚いていた。

それは、造形に関する問題と一致してしまうからだった。ワガハイは音楽のコトを造形に置き換えて捉えた。そしてそのコトをFさんにフィードバックすると共通点に狂喜していた。

所詮、どちらも同じ人間という動物から出てくるものだからねぇ・・・養老孟子さん的にはどちらも脳・・・って言うだろうけれど。

etsuro1.hatenablog.com

昨日の宮沢賢治も、それは言葉だったワケだが・・・で、ワガハイもこのブログで言葉という程でもないが、残そうとしている。

ただ、残念ながら多くの人に伝わるように書くためには、もっと煮詰める必要は感じている。でも、完成度を上げるのが目的ではない。草稿以前のメモ書きでも、時に触発された誰かから始まるコトだってある。

ワガハイの経験でも、ある建築家を採り上げた展覧会で勉強になったのは、建築模型や図面といった見栄えのするモノではなく、喫茶店のナプキンに走り書きされたメモ的スケッチだったりしたから。

あ、コレって安藤忠雄さんね。

 

アングルを微妙に変えてみた

世代差っていうのはある。ワガハイの世代は、明治時代の人たちがまだ現役で存命していたのだ。小学校の校長は間違いなく明治生まれだったのだから。

ま、慶応生まれは居なかった。

だから日本が富国強兵だの欧化政策なんぞやっていた頃の、惰性のような勢いは残っていた。戦後復興だって、その中心となった世代は明治・大正生まれの人たち・・・つまり戦前教育の環境下で学んできた人たちだったのだ。

だから案外、明治は近かった。

でも、今では昭和ひとケタ世代がもう・・・

まあまあ、ワガハイの世代も減少を実感し始めているから。

昭和40年代は、戦争の傷跡も近隣に残っていたからなぁ。

そんなの今では微塵も残ってはいない。そうして昭和生まれは、かつての明治生まれのような位置付けになりつつある。

つまり、日本の近代化の頃の影響を、ワガハイ世代は意識せずにも受け継いでしまった。ワガハイが十代の頃のデッサンの先生だって、福沢一郎・植村鷹千代の影響を受けていた人だった。だから知らず知らず、その方々の放ったコトバが間接的にワガハイの価値観に影響を与えているには違いない。

それは、我が世代の平均としては・・・チト、古めかしい部類に入ってしまうのかもしれないけれど。

 

そういう下地があったから、Fさんの価値観・世界観とも一致しやすいトコロはあったと思う。

コレは・・・バラ科だよなぁ?

今日は息抜き。数日、少し重い内容だったから。

撮影はお久し振りに出してきたオリンパス・ペンの EP-5!これに60mmマクロを付けて散歩した。だから撮るものがこんなものばかりになるけれど・・・やっぱりPENシリーズは撮影が進む。ドンドンとあらゆるものを撮影していってしまう。このフットワークの軽さはお散歩カメラにピッタリだ。

実際のカメラの質量だけでなく、シャッターを押す行為そのものがライト感覚になってくる。こういうのはフルサイズ機では起こらない。己の手の延長・・・眼の延長・・・そういうコトも意識から外れていってしまう。

軽さだけならスマホでいい。だが、ど~もスマホでの撮影は快適とは程遠い。コレもまた、古い世代だからそうなるのかもしれないけれど。