昨日は楊貴妃メダカの卵の画像を用いた。
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すると妻からこんな知識を得た。
白くなっている卵は死んでいる。
どうやら、未受精卵らしい。いくら待っていても孵化の瞬間は訪れないと。つまり一枚目の画像の卵はダメなんだそうだ。もう一度、その画像を下に貼っておこう。
そういうコトなんだそうで、妻はその卵を取り除いていた。
ワガハイ的には卵っていうと鶏卵の卵殻をイメージしてしまうから、白い殻のような感じでイイ!と思ってしまうけれど・・・コレは鶏じゃないから、そ~ゆ~イメージは通用しないんだな。
ま、言ってみれば魚卵だ。カズノコやイクラの方がイメージに近いのか?
いや~~~、ではキャビアはど~~するんだ!
でも、これらはみ~~んな加工された食品としての記憶が圧倒的だから、採取された瞬間の鮮度の良い状態って、そうそう見られないからねぇ・・・ワカラン!
鶏卵だって、ふつ~~は生みたて状態は見られない。もう、何十年もそんな鶏卵を手にしたコトないもんなぁ。そういうコトを経験するには自宅で鶏を飼うか、養鶏場で働くか。
子供の頃は、祖父が生みたての玉子を食べたさに裏庭で鶏を飼っていた。と言っても祖父は大した世話などしない。実際に世話しているのは祖母だったが。そして生みたての玉子を手にしたのも、そんな小学校低学年の頃の記憶だ。
当然、鶏の体温が残っているから、その玉子は暖かかった。それは当然のコトなんだが、店で買ってきた玉子を冷蔵庫に入れて冷えている状態が当たり前の日常からすると、生暖かい玉子っていまだに感触を思い出せる程に記憶に残っている。
もっとも、そういった記憶があったとして、実生活にどの様なメリットを生んでいるのはワカランけれど。
それを言ったら・・・白くなったメダカの卵は死んでいるという知識を得たトコロで、普通に日常生活を送る上でナンの好都合があるのだろうか?
間違いなくそれは雑学だ。
でも、ナンでそうしたコトを知るとチョットした充実感がえられるのだろう?ある種の快楽ともいえるからねぇ。それが知識欲を満たすというコトなんだろうねぇ。
そう!言葉にあるのだから、知識もまた欲望なんだねぇ。
無駄な知識こそ楽しい!
有益な知識は時に鬱陶しい。
ワガハイ的にはそのように思える。だから学校の勉強はつまらない。そして学校の成績は振るわないのだが、大好きな猫のコトになると博士!ってなヤツがいたなぁ。パッと猫を見た瞬間に「ナントカとナントカの交雑種だと思う・・・」なんて言ってたから。そして猫話になったら延々と話し続けていた。
その彼はどうなったか知らんが、案外動物に関わる職業には就いていないかもしれない。そうした知識を有益な方向に使うようになると、途端につまらなくなってしまうもんだろう。
もっとも、ナニが無益でナニが有益なのかっていう線引きも怪しい問題だけどねぇ。ナンでも些細な差異を見つけて分類整理するっていう、人間という動物の性質が・・・いろいろ科学の発展に繋がってはいるのだろうけれど、一方で争いのタネにもなってくるからなぁ・・・(ここは一番下のNHKリンク先の記事を念頭に置いている)
ソモソモ、学校のお勉強の全てが有益でもないからねぇ・・・少なくともワガハイの育った時代においては。
さて、今季の我家のプランター植えのフジは、房の全ての花が一同にイイ感じを迎える瞬間はなかった。上から順次下へと開花は進むけれど、中盤戦に差し掛かったトコロで初手に咲いた花は終わり始めていた。
そういう季節の推移だったのだろう。
つまり、ダラダラと開花した感じだった。
ソレって、穏やかな季節変化というコト?
ワカランねぇ。
妻がメダカを育てていても、ワガハイがフジを育てていても、人間社会的にはな~~んの影響を与えるコトはない。全く個人の楽しみの世界だ。だから楽しい。これが中途半端に社会性を持ってくると面倒だ。利益が絡めば必ず怪しい人間がやってくる。
ま、今季も我家の庭には鳥たちと虫たちがやって来て狂喜乱舞している。ヒヨドリとの制空権の戦いは既にワガハイが負けているけれど、それでも怪しい人間という動物が関わってくるよりは、実に気が楽である。
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知人、友人、身内に政治家という動物がいないだけ、ワガハイは楽な人生だと思う昨今だ。結局、人間社会を統治するっていうのは、独裁だろうと自由主義だろうと根底は同じようなもの。
人間に「変わりがあるじゃなし、溶けて流れりゃみな同じ・・・♪ 」ではないけれど、どこか堅気の世界ではないトコロとも同じようなモンで御座いますな。
裏がねぇ~~~。
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