メダカ
「すあま」には似た名前に「州浜」というのがあって、ホントウは「州浜」が食べたい。
最近、広角ズームを全く使っていないコトに気付いた。たまには使う方がいい。こういう道具は使わないと不具合が生ずる時もあるから。
時代は変わる。ジワジワと変わる。案外、急激に変わるよりも着実に根付く価値観の変化っていうのは、時間が掛かるのかもしれない。叩き続ける重要性を感じた。
メダカの幼魚を眺めている時の方が、脳味噌的にはリラックスしているんだろうか?とにかく中毒性があるかもしれない針子さんである。
暖かくなって、メダカ達の動きも素早くなった。そして飼い始めの個体は全てお亡くなりになり、世代交代が進んだ。
「メダカじゃないね。きっとあの、ヘンなヤツだ!」
あれは安倍政権の時だっただろうか?
アジサイの裏側に設置していたトレリスを撤去した。このトレリスも設置から30年近く経って、朽ちはじめていたのだ。
専門家と言われる方々の全ての発言がアテになるものではないことは、新型コロナの一件でも経験した。
湯温は37~38℃程度だから。この湯にじわ~~っと浸かる。当然だが長湯になる。10分程度浸かっても全然平気。20分程浸かって湯から上がると、流石に寒いように感ずるのだが・・・後からジワジワと効いてくるのだ。
出来れば一番に実現したいのは、糸島に行って牡蠣を食べるコトなんだが・・・コレは親父の遺言ではないが「一度食べてみるべし!」と語っていたのだ。
診断を聞いた時の全身が冷たくなっていく感覚が思い出される。血が引く・・・とは言うが、そのコトを経験したから尚更、である。その経験を乗り越えようと闘病されているのだ。
楊貴妃メダカ 先日、飼っている楊貴妃メダカ一匹が亡くなった。朝、エサやりをした妻が確認した。そして庭の隅に埋めたらしい。 これで買ってきた飼い始めの時のメダカは居なくなった。現在のメダカは、全て我家の火鉢の中で生まれた卵からの個体になった。 …
石破さんの発言と姿勢が、ビフォーアフターで変わったコトに騒いでおられる方々もおられる。だが、そんなのもマイドお馴染みの風物詩のようなモンであり、そんなの折込済みで対処するというのが当たり前のような気もする。
楊貴妃メダカの平穏な様子を見ているとココロ落ち着く。この穏やかさは、草花を見るのとは違った感覚だなぁ。
長生きするコトは、果たして幸せかどうか分らんぞ~~、って思うケドねぇ。子供の方が先に失礼するかもしれん。
現在では「暑さ寒さも彼岸まで」とは言えない。10月も暑い。そして冬は暖かくなった。ワガハイ的には昔のような強烈なコートやジャケット類を必要としない、関東南部の冬だと思う。
能天気だった小学生のワガハイは、自分が老いて死ぬ頃には、世界中で戦争という戦争は終わるだろう・・・と思っていた。幾ら何でも再び核の脅威を晒すようなアホは出てこないだろ・・・と思っていた。
あいうえお・・・を覚えた時の記憶ってあるだろうか?ワガハイ的には幼稚園の時にひらがなを覚えた。
受け入れ難い価値観に富んだ言葉が並ぶ福音書なのだが、いちいち憤慨せずにフラットな気持ちで読んでいくと、なるほど・・・言い回しは違えど「論語」と併せて読んでもいいなぁ・・・と思う。
大人のメダカは水草の上に出ると葉に引っかかって難儀な様子を示す。一方、小さなメダカは余裕で泳いでいる。そうやって大人のメダカの行動が制限される環境で、稚魚たちは育つ。
上画像位の大きさに育てば、大人のメダカに捕食されない。この個体は余程のコトが無い限り、大きく育っていくだろう。
服用していると効果が分からなくなるが、飲まないとその差異がハッキリと実感できた。というコトは、ワガハイには効いているのだ。ま、コレは健康食品や医薬部外品ではなく、第3類医薬品なのだから、効能が明らかでなければ意味がない。
ズボラさが、強いては安全撮影にも繋がると考えております。ナンでも力んで頑張れば良いというものではございません。
子供のような考えを、ワガハイという老人は捨てきれない。そしていずれ大前提が覆される時はやってくるだろうと思う。
日本が好きならばどこの国の方でも日本に居住し、永住されれば良いと思うし、日本人でもこの国が嫌いならば、他の国で国籍が取得出来れば良いと思う。それだけのコトだ。
軒下に置かれたメダカの卵と赤ちゃんのためのプラスチック容器の中は、こ~んな感じ。
人間に「変わりがあるじゃなし、溶けて流れりゃみな同じ・・・♪ 」ではないけれど、どこか堅気の世界ではないトコロとも同じようなモンで御座いますな。
楊貴妃メダカの卵・・・絵的に地味ですぅ~~~ デジカメになったから、我が暗室機材はここ数年全く使っていない。一昨年、引き伸ばし機のメンテナンスで分解掃除をしたけれど、埃が入らないようにカバーをかけたまま、部屋の隅に置いたままだ。そろそろ状態…
全体と部分・・・それは集団と個人。或いは国家と個人。世界と一国家。だが、いびつであっても一つの地球上で存続するバランス感覚ってぇのがあるだろう。