戯言
アレルギー体質の人なら分かると思うが、親戚や知人などにナニがダメなのかを話しても、しっかりと理解して覚えてくれる人なんて居ない。
世界の政治家の皆さんのやっているコトを思うと、正気の沙汰とは思えないから、最期はボケでもしなければ平和に終わらんかもしれん。
巨大ウーファー(低音用の巨大口径のスピーカー)が湿気でブヨブヨになり、低温が出なくなるというコトが書かれていた。
昨日の記事を訂正しながらふと思ったコトがある。それは後半部分に説明板を書き起こした文の中にある。
こうした酒に合致する料理習慣が、静岡県にはあるのかもしれない。確かに言えるコトは、静岡は総じて神奈川県よりも料理が甘い傾向があるから。
出来れば一番に実現したいのは、糸島に行って牡蠣を食べるコトなんだが・・・コレは親父の遺言ではないが「一度食べてみるべし!」と語っていたのだ。
基板のパターンを切るよりも、サッサと圧電ブザーを取り外してしまった方が手っ取り早そうだった。
朝は寝坊のオキザリスなのだった。そして直ぐに寝てしまうような感じ。
強い太陽光が差し込むと花開き、少し太陽が弱まると萎んでしまう。そんなワケで、出来るだけ強烈な光が得られる場所に鉢を置いている。
為にならないコトを書き綴っている当ブログ、本年も変わらず・・・というよりも悪化の一途を辿るかもしれないけれど、よろしくお願いいたします。
ありゃ?大晦日になってしまった。 ハガキの料金がねぇ・・・年賀状、ど~~するか?と、その判断を先送りして現在に至る。ワガハイ、まだ年賀状を買ってない。妻に聞く・・・ あ、やっぱ買ってない。そして妻曰く、 「なんか、あまり売っているの見なかった…
ごくたまに長泉院に寄り道してみるのは、巨木があるからだ。「センペルセコイアの大木」と、グーグルマップにも書かれているその木は、とてつもなく大きいのだ。
リニア絡みなのだ。確か車両基地を建設するのだと思う。清水建設がやるんだっけ?ナンでも数日前(12月25日)に安全祈願をやったらしい。
消灯時間前に寝てしまえば良いのだ。そうすれば少なくとも寝付けないコトはないだろう。で、その作戦はある程度の成功を見た。
丹沢の峰々の様子も、ナニも変わらないようでいて変わってきた。昔に比べて稜線付近の山肌がよく見えるようになったし、画面右側の尖がった山は「大山」だけど、ここには山頂に鉄塔が立った。
今のところこの状態からの進展はない感じ。或いは他の遅れた工区の助っ人に行っているのだろうか?
トンネルを抜けて視界が開けると橋の上、そして正面には富士山!それは素晴らしい景色なワケだ。というコトは・・・その景色に気をとられる・・・事故る!
本当は630mmのギターがイイのだ。だがコレを買った当時の弦長の主流は658mmだったと思う。つまり8mm短い恩恵をワガハイは享受していたのだった。
土曜日の夜って、見てもいいテレビ番組がない。それで仕方ないから「おとなのEテレタイムマシン」というのを見た。
小さな音でも、しっかりと届く演奏がある。それはかつて東京文化会館大ホールで経験したアンドレス・セゴビア(ギター)のリサイタル。
数日振りの登場、ピアノのF先生!礼拝音楽のスペシャリストでもあった彼女の晩年、充実した雑談時間が得られたけれど、その時にピアノの左手に関しての話しがあった。つまり要するに・・・「左手は要である!」というワケだ。
クルマの世界でも、技術を積み上げてきたメーカーが、これからの時代もリードするとは言えないコトになってきた。ホンダと日産の経営統合というニュースには、驚くというよりも遂に、といった気分の方が強かった。
彼は画家という感性優勢の人間という動物なのだ。人の言葉をクリアーに己の脳内に記憶はしない。感性を通して肉体化するようにして記憶しているのだ。
食べ過ぎは絶対にイイことはない。そもそも薬ではないし、過大な効果を期待するのは間違いだと思っている。ささやかな健康効果で、それは実感できないような感じになるだろう。ソレでイイんである!
師匠が繰り返した「プリミティブな問題に立ち返るしかない」という言葉に納得する夢だった。それは原点回帰でも、原理原則でもない。「プリミティブ」でなければならないのだ。
拍子(タクト)は心拍であり、それは息(ブレス)に関わる。それだけで十分、音楽のベースになるものが人の身体から出てきたコトだと分かると思う。
ワガハイが十代の頃のデッサンの先生だって、福沢一郎・植村鷹千代の影響を受けていた人だった。だから知らず知らず、その方々の放ったコトバが間接的にワガハイの価値観に影響を与えているには違いない。
宮沢賢治を深読みしようとすると、法華経がナンジャラホイ?というコトになってくる。特に草野心平版の「兜卒の天の食」は、ワガハイ的にはアイスクリームよりも深掘り出来てよろしいのだが・・・
こう言ってはナンだがYAMAHA音楽教室的な教え方を嫌っていた人だった。それはワガハイも同感するトコロだ。という記述によって、YAMAHA音楽教室の関係者並びに習われておられる方々を、完全に敵にしてしまった。
たぶん、均整のとれた音楽なのだ。つまり欠落のない神への捧げものとしての羊のような心構えで、バッハさんは作曲しようとしていたのではないだろうか?