教会・聖書ネタ
暑さでアタマが壊れている・・・というコトにしておこう。
ギリギリの状態になれば、祈るしか術がないのは昔と何ら変わらない。
古い衣は脱ぎ捨てないとねぇ・・・脱皮出来るかねぇ?
もしも永田町という炉に投げ込まれでもしたら、生きて帰ってこれないように思うからねぇ。
フジテレビがどの様になっても知ったコトではない。明日は我が身という恐れが裏にあるような気がする。
思い出の中で、かもめの玉子のリクエストに答え続けてくれた伯父伯母の姿が、一瞬だが復活したように思えた。
イイ感じで咲いているので、マクロレンズなど付けてカメラを構えた。すると虫がやってきた。これは意図しなかったコトだけに喜びをもって歓迎!
飛散する花粉はスギからヒノキにかわり、そのヒノキの花粉も減り始めたみたいだ。
その記事によって、ホントウに宝くじに当たった人は居るのか?という疑念は一応晴れた。
いまだに不思議だと思っているのは意識ってナニ?という問題。
チョコレート効果っていうネーミングが凄いなぁ。率直といえば率直だけど。
地下鉄サリン事件の振り返り番組が放映されていた。あの時ワガハイは銀座に用事があって出掛けた。そしてもう少し早く、予定通りに出掛けていたら遭遇していたかもしれなかった。
マイドだけれど、それが昭和の常識を引き摺っている永田町の人間という動物たちの生態なのだ。
トランプ大統領に釘を刺す説教だったらしい。この男には「妨げの岩」が必要だ。しかも多くの岩が必要だと思う。その為に尚更、頑なになるかもしれないが。
昨年から思い出しては探していた本は簡単に見つかった。その本は・・・「ヨブへの答え C. G. ユング 林道義 訳 みすず書房」である。
本当は630mmのギターがイイのだ。だがコレを買った当時の弦長の主流は658mmだったと思う。つまり8mm短い恩恵をワガハイは享受していたのだった。
小さな音でも、しっかりと届く演奏がある。それはかつて東京文化会館大ホールで経験したアンドレス・セゴビア(ギター)のリサイタル。
数日振りの登場、ピアノのF先生!礼拝音楽のスペシャリストでもあった彼女の晩年、充実した雑談時間が得られたけれど、その時にピアノの左手に関しての話しがあった。つまり要するに・・・「左手は要である!」というワケだ。
たぶん、均整のとれた音楽なのだ。つまり欠落のない神への捧げものとしての羊のような心構えで、バッハさんは作曲しようとしていたのではないだろうか?
マズアさんの演奏というのは、ワガハイの耳には総じてやや粗い印象の演奏と感ずる。ダイナミックと言った方が良いのかもしれないけれど。だが、素材の剥きだし感覚とすればソリッドという言い方なのかもしれない。
クラシック音楽全般にわたって、多くの同級生とは話題を共有出来なかった。それは今でもそうなのだろうか?その中でもカンタータは最強の部類に属するかもしれない。
ほんの少しの優しさがあれば・・・ウクライナのコトだって終わるだろうに。それは極めてシンプルなコトなのだ。戦争は止めれば良いのだ。核兵器は捨て去れば良いのだ。
時々買いに行く酒販店のご主人は、「これからの酒米生産は厳しい見通し」と言っていた。「飯米を使って酒造りをするコトが増えてくるだろう」とも語っていた。やはり酒米は栽培が難しいのだ。それを手掛ける人が減って来るのも当然のナリユキだろう。
昨日の内容の、やや続き。 etsuro1.hatenablog.com 落葉(ブドウの葉) 我家のブドウはマスカットベーリーAという品種で、生食にも醸造にも用いられる。でも、生食用としてスーパーマーケットに並んでいるのを見たコトはない。というか、今までに数回しかな…
富士山の宝永噴火の時は、全国から集まった被災救援のための資金が大奥改修に使われた・・・ってなワケだからねぇ。
多くの人たちの願いである平和っていうのも、ナニを平和とするかは曖昧だし、よくよくあなたにとっても平和とは?と聞くと、それはその方にとって都合の良い個人的な問題だったりする。
残響はだんだん弱くなり、ノイズが増えていくのは遠ざかる探査衛星からの電波みたいなもんだ。やがてデータ補間も曖昧になっていき、やがて変容していってしまうだろう。
思えば武将や大名(政治家・有名人)の墓っていうのは・・・な~んか欲の塊で恥ずかしいヤツがあるねぇ。
植物への被害についても、10年前までとは明らかに違ったコトが度重なっている点は、やはり地球熱帯化と関連があるに違いない。
能天気だった小学生のワガハイは、自分が老いて死ぬ頃には、世界中で戦争という戦争は終わるだろう・・・と思っていた。幾ら何でも再び核の脅威を晒すようなアホは出てこないだろ・・・と思っていた。