ワイン
ブラッククイーンというブドウは、マスカットベーリーAと同じように新潟県の岩の原葡萄園で生まれた。つまり川上善兵衛さんのお仕事だ。
いやこれ、シブ過ぎるだろう。須田国太郎さんはツウ向き過ぎね?子供たち向きか?これ、観客動員大丈夫かねぇ?空いていればファンにとっては好都合。ゆっくりと堪能出来るけど。
「五一ワイン 塩尻セイベル9110」によって、幾つかのイタリアワインを購入する必要性が薄らいでしまった。このセイベルがあれば、SOAVEの幾つかは買う必要がなくなった。もっともソアヴェ・クラシコは別だけど。
叔母Aの遺品整理の最終手段はハイエナの如く、ワガハイがアレコレと整理した。そして相当数をフリーマーケットで売り切り、どうにもならない書籍は資源ごみに出した。そうやって叔母Aの生活した家からはモノが無くなった。
コレ、自分で買った。こんなの妻が見つけて買ってくるワケがない。なんか妙に気張ってピエール・マルコリーニを買ってきたコトもあったけれど、そういうのは止めて欲しいと言ったからねぇ。
このカベルネソーヴィニヨンは「田崎真也さん推薦!」なのだそうだ。ま、そ~ゆ~コトならば一度は買ってみようという気になる。
最近は洗練度が増しつつあるオーガニック、しかしこれはやや古典的な香味に属するワインだと思った。
大岡川沿いの怪しさが薄くなってしまった。日ノ出町や黄金町はもっと限りなく怪しい街並みだったから。今となっては懐かしい?だが、そういう雰囲気がトーンダウンしながらも残っているのが野毛だったりするケド。
循環で起こる作用を人為的にコントロールしたのが酒蔵やワイナリーで行われている発酵だ。ならば管理下にあって熟成された酒は、徐々に地面に近づいていくものの、それは漸近線を辿るようなものだ。
穏やかさの中にも緻密さ、精密さといった神経細やかな作り手の感性がくみ取れる。この辺りは優れた日本酒蔵が醸す酒と同じ。
セラーの空いた棚には、味噌のパックが数個置かれている。味噌の保管にもイイ感じの温度なので、これから暑くなってくるとセラーは便利。
マイドの酒販店だと、マイドの酒にしか巡り合わない。だからたまにはお初の酒販店に飛び込んでみる。すると意外な酒に出会う。
絶対にやってはいけないこととは?それを列挙せずとも、そういうコトに位置付けられる問題だという認識をされていると、理解していいのだろう。
「黒姫」という品種名を忘れてなかった妻は、その記憶力を自画自賛し、まだまだボケてはいないというような趣旨のコトを言っていた。
まだ生活圏に戦災の爪痕が幾らか残っていた時代に生まれ育ったんだが、SONYも「富士急ハイランド」も新しいナニかを常に提案されていて、時代の推進力が感じられた。
キャップの不具合は、購入前に分からないので、やっぱり問題が分かったならば後日、購入店に持っていくのが正しい対処の仕方なんだろう。
チリっぽい印象はどこから来るのだろうか?その点に引っかかったものの、あえて理由を追求する熱意もなく、夫婦二人でボトル半分弱を呑んでグラスを持つ手が止まった。
ピノノワールは率直な性質を持つ品種だと思うので、気候や土質をそのままストレートに実らせてしまう。生育環境を誤魔化せない。
昨日は筋肉痛で一日ボ~っとしていた。もっとも腰痛にはならなかったのは幸い。というか、整形外科から処方されているノイロトロピンっていう内服薬が、痛みを誤魔化してくれているからだと思う。
今の永田町界隈の輩にいじって欲しくないねぇ。裏金の当事者も、身内を擁護する輩も、そして批判する側も・・・信頼性が低いんだなぁ。
軒下に置かれたメダカの卵と赤ちゃんのためのプラスチック容器の中は、こ~んな感じ。
裏ラベルの記述の通りのワインだった。全体にやや淡い。そして赤ワインでありながら残存糖度を感じる。この味わいではフレンチのガチ料理には弱すぎる。まさしく日本の料理の中でマッチングを探す香味だった。
生まれた時にはギリギリ白黒テレビは家にあったケドねぇ。SANYO製の真空管のテレビだった。やっぱり家電が普及したっていうのが昭和の文明開化なのかなぁ。
満たされれば争いが減るには違いないだろう。ただ、人間という動物はあくなき欲望の探究者だから、延々と渇き続ける・・・ってなワケで
破綻のないカベルネ・ソーヴィニョンの香味。ブラインドテースティングでも絶対に外すコトのない、典型的なカベルネ・ソーヴィニョンの特徴。
オーセロワというブドウ品種について詳細は知らない。あまり呑む機会もないので、たまたま安価なヤツがスーパーマーケットの酒売り場に並んでいたので買ってみた。
エノテカのサイトでは、ヴィンテージ2020の在庫はなくなったみたいだ。あとは店頭に並ぶものだけみたい。
最近は薄まってしまったけれど、1980年代のフランス車って、ルノーとプジョーではまるで違ったから。それは創業地域の違い、創業者の宗教性の違いもある。
オーガニックワインのラベル買い2本についてのメモ書き。ラベル買いでも大失敗といった香味にはならなかったのは、昔に比べて幾らか流通環境が良くなったのだろうか。
このところ連チャンで日本ワインのコトを書いている。その理由は、日本酒である意味決定的なヤツを呑んでしまったからだ。