菜園・園芸
冬の葉物野菜といえば小松菜!小松菜にアレルギーはなかったから、家族がホウレンソウのお浸しを食べていても、ワガハイはひとりで小松菜のお浸しを食べた。何となく色味が似ているというコトで、一応納得しながらワガハイはご機嫌だった。
ナニ ヲ イマサラ…???感染による死亡者数が連日過去最多となっている件について、専門家は要するにこう述べた。
聖書記述についてアレコレ思いながら手を動かしたらココまで落ちてきた。つまり、コレがワガハイの信仰の力である。信仰が救った安物の鍋ながら、コレもまたワガハイの命の一部を支えてきた鍋である。
冬季剪定というのはブドウ栽培にとっては新しいシーズンの始まりでもあるからねぇ。この剪定のやり方次第で来年の実付きが決まってくる。
バイクに乗っていて横からクルマに突っ込まれた。プロテクターのお陰で足腰は骨折せずに済んだが、右手の小指は骨折してしまった。
今季も鷹の爪が大量収穫出来た。プランターでも一年使える程の収穫が得られる。つまり我家では鷹の爪に関しては自給自足出来ている。
ホトトギスという名前がフッと出てこなくなる。ウグイス…じゃないよなぁ?メジロではないし・・・。
そ~っと窓を開けて外を見てみた。小さな鳥がフェンスの上にとまって鳴いている。そしてもう一羽が飛来してブルーベリーの枝にとまった。
かなり古い版になる「学生版 原色牧野日本植物図鑑(北隆館)」は、ワガハイにとって大切な図鑑だ。若い頃に師匠の蔵書から貰ったものだからだ。
味の素のサイトでのレシピよりもかなりシンプルな味付けの「イタリア風?大根のソテー」を食べ、テーブル上の蝦夷菊を眺めながら「丹澤山 麗峰」を呑んでいたのだが・・・
江戸朝顔も最終盤になってキッチリと大きなタネを付けてきた。そうして来季への繋がりを確保しようとしている。
地這いの場合は、地面と接する部分の色が悪くなるし、そこから傷むコトが多いから、何らかのマルチングのようなコトをやっておかないと、仕上がりはイマイチになるかな。これは朝顔でもキュウリでも同じかな。
日本の夏は暑くなりすぎたのかもしれない。真夏はダレていた江戸朝顔が、少し涼しくなってきたらガンガン伸び始めて花を咲かせている。
我家の秋明菊だが元祖真打本家本元ではないだろう。特徴としては「桃花一重咲き」だからな。
品種はマスカットべーリーAで、収穫量は2房。たったの2房だ。しかも路地ものよりも一回り粒が小さい。だが、糖度はかなり出たと思う。
辛味としてはワサビの方が好きだ。あとは胡椒だ!胡椒は辛味だけでなく香りが好きだ。
とにかく視野の異常を感じたら緑内障を疑え!とは、その知人の経験談だった。
ジャムはグラニュー糖で作るか、上白糖で作るか…我家は専らグラニューで作る。とはいっても、ジャム作りは妻の担当である。特に話し合ったコトはないが、そういうコトになった。
先日プランター栽培の鷹の爪に、1mmあるかないか、といった小さな虫が複数集っている状況を見つけた。
肥満気味じゃなかろうか?と思われるヒヨドリが飛行するんだが?あいつが我家のブルーベリーを食っている個体だな。
当選して国会議員になると、結局トーンがガクッと下がるんだろう。高速オフセット印刷機で、インクをケチった感じかなぁ。刷りだしに立ち会ってチェックしても、終わりの頃にはスカスカだったりしてねぇ。印刷代ケチると、やっぱりインクがケチられちゃった…
100均で台所三角コーナー用ネットを購入した妻は、それをブルーベリーに掛けた。手間が掛かるが、コレでヒヨドリが食べられなくなるので収穫が増える。ただ、全てにネットを掛けられない。なぜなら、どえりゃあ手間が掛かるからだ。
久しぶりに鋸を使った。一箇所縦挽きも行った。丸鋸の購入を考えたコトもあったが、結局未だ購入に至らず手挽き鋸である。
山橘(ヤマタチバナ)の名で「万葉集」に詠まれたヤブコウジ、江戸時代にはいろいろな品種が作られたという。園芸が一大ブームだった江戸時代だからねぇ・・・朝顔なんてその代表だけど。
シシトウ、ピーマン、パプリカ、万願寺唐辛子、それにナスなどを適宜切ってフライパンに入れて炒め物など作ると、全部ナス科の野菜だからなぁ
今日の夕方あたりからはヒヨドリとワガハイの攻防が、再び始まるのかもしれない。ヒヨドリはキジバトには遠慮したのだとすれば、ワガハイには全く遠慮しないどころか、時には威嚇してくるので・・・ワガハイもナメられたモンである。
ソラマメはアブラムシが付きやすいと思う。そしてアブラムシ被害が出ると、ソラマメは袋が黒く変色してしまう。そういう変色が見当たらない収穫物だった。
大騒ぎを繰り返していたヒヨドリがおとなしくなったのは、ブルーベリーの花が終わったからだ。妻曰く、食べてみればブルーベリーの花は甘くて美味しいんだそうだ。
昨日の「ダーウィンが来た!(NHK)」をたまたま見ていたら・・・ニホンミツバチだったので、ながら見していた。
ジックリと庭を眺めながら時間をかけて、狭い庭と対話しながら空間を作っていこうと思っていたのだ。まるで庭師気分でお茶など啜りながらね。