熟成期に入った、我が家の紫陽花のクローズアップだ。
普通は見ごろを過ぎた紫陽花、というコトになる。
だが、それってホントウだろうか?
これからが複雑な色合いを見せ始めるのであって、面白いのに。
例によって「みんなの趣味の園芸」によると、花つきをよくするためには・・・
- 7月上旬から9月中旬に花がら摘みと、新梢の芽(節)を3~5個残し剪定する。
- 落葉前後(11月下旬ごろ)に切り詰めると、樹形を小さくすることができる。
- 古くなり太く木化した茎は、2月上旬から3月上旬に整理。
我が家では、こんなにしっかりと手入れしていない。伸びすぎ、茂り過ぎと思えば切り、そう思っても面倒なら放置し、新梢だろうと木化した茎だろうとお構いなしに、邪魔なモノはいつでも剪定してしまう。
そんな手入れともいえない手入れ状態でも、毎年花を咲かせている。
もっとも、花芽を剪定するようなコトはしないけれど。
たまたま、放置した花がらもまた美しいではないか!と気づいたのは、ワガハイ的には40歳を過ぎたあたりだったと思う。それまでは鮮度至上主義の紫陽花に対しての価値観の中に生きていた。
そういった心境の変化は、結局は己の老化を受け止めていく始まりだったのだろう。老いるにつれて、体力の低下と体調不調の実感が強まる程に・・・
侘び寂は、しみじみと贅沢なコトだねぇ。
こういう熟成過程の紫陽花を生けるとか、茶室空間みたいなトコロでやってみたいと思う。別に茶道はやらんケド、空間を遊ぶために茶室空間のような一室があったら素晴らしい。だが、こういう遊びは頑張って実現するモンじゃない。それこそ宝くじでも当てるようなコトでこそ実現すべき贅沢だ。
ただただ、人に見せることも目的とせずに、小さな空間を充足させることに専念する、なんていう時間は最高に贅沢だ。
利休は茶室に朝顔を置き、躙りに至るプロセスでは朝顔を排除してしまった・・・っていうのは、あまりにも有名な話だけれど・・・凄いねぇ!茶室空間を満たすというよりも、実は躙りにおいて既に充足させてしまっている。
その満ち足りた必然を理解出来なかった無粋な男がいたワケだが、嫌だねぇ~、こういう男と酒呑むと酒が不味くなるってぇヤツだ。
まあ、昨年から酒を不味くする世界一無粋な男は・・・プーチンだけどねぇ。プリゴジン氏の反乱が、今後どの様な展開に繋がっていくのかは知る由もないけれど、内乱が起こるってぇのは不満の高まりのあらわれだ。人間という動物には我慢の限界ってぇヤツがあるから。
相手の焦りを引き出し、内輪もめを誘発するという心理作戦も、当然組み込まれているのだろうから・・・。
それにしても、未だにこんなコトやっている世界観っていうのは、人間の学習能力なんて大したこたぁ・・・ないね。
武器が満ち足りていたとして、いったい何を満たせるというのだろうか?所詮、刀剣銃器類を振り回す者に、侘び寂の必然を堪能する感性など欠落しているんだろうが。
利休の戦いは、戦国大名の誰よりも興味深い。