たった一枚の画像を思い出し、空き時間に過去データを探している。そして肝心の画像はまだ発見に至ってない。撮影当時は大して気にも留めなかった画像だから、未整理のはずだ。そして撮影日順のホルダーに入ったままだと思う。
そうした探索の結果、忘れていた画像に出会う。それはちょっとした旅先でのスナップだったりする。
それはそれは極めて個人的な問題だが、当たり前にして衝撃的な発見になる。自分の若い頃の姿、そして若い頃の妻の姿を見てしまうのだから。
それはとても、不愉快な経験である。
確実に、年月を重ねるごとに滅びに向かっている姿・・・というコトを実感するのだから。
写真は非情だ!
だが、妻籠の風景をみれば、その時の楽しさを思い出す。すっかり忘れていたコトだが思い出す。そういう点では撮影しておいてヨカッタ!と思う。この一枚の画像が無ければ、もう妻籠に行ったコトの記憶はあれど、それがどんな感情を伴っていた旅だったかを思い出すコトも無かったかもしれない。
2008年・・・15年前。
まあ、もれなくココに写っている人たちも15年分は老化していて、そういう点ではワガハイとともに多くの経験を積み重ねているだろうから、我々だけが老いているワケではない・・・と考えれば安心する。
以上!まったくもって身勝手な話だった。
この時も、木曽福島へ朴葉巻を買いに行った。そして少し足を延ばして妻籠まで行った。15年前は、木曽福島から更に先まで運転して、フラフラ歩いてから木曾福島に戻り、そして目的の朴葉巻を買ってから帰宅する元気があったんだなぁ。
でもまあ、権兵衛トンネルが2006に開通だから・・・既にこの時には権兵衛トンネル経由で木曽谷に入って、帰宅は塩尻経由という最近の定番コースだったのだろう。それにしても、日帰りでよく運転したもんだ。
今では木曽福島だけの直行直帰でヘロヘロだから。
2011年の東日本大震災前だからなぁ・・・なんか、やっぱり2011年っていうのは、それ以前と以降で違った感情を覚える。強烈な節目になった年だ。
なんか・・・あの頃のワガハイは脳天気だった、と思ってしまう。親族にも少なかったとはいえ、亡くなった人が出たからなぁ。
まあとにかく、ある時に気付いたコトは、自分たちの写真は撮らないことだ。そうすればある時に突然、ココロが傷つくことを避けられる。決して自分の姿を直視するなんてぇ危険なコトは避けるべきだ。
「あれ?まだ頭髪が多かったねぇ・・・」
などと妻から言われるのは、大きなお世話である。老いてますます頭髪がボ~ボ~になっていったとしたら、それはそれで気持ち悪いとは思わないだろうか?染めているとかヅラだとか、陰口されるだけだ。
正々堂々と白髪は白髪である!禿げは禿げでい~じゃないか!
これらの撮影は、Canon PowerShot G7だ。あのカメラのズーム最大で撮ったみたいだ。
ところで、ツバメって何年生きるのだろうか?
サクッとググればいろいろ出てくる便利なご時世だが、15年程生きるだけの生命力はあるみたいだ。だが、コレは人間が120年生きるみたいな話であって、現実は1~2年と言ったところらしい。
天敵にやられる個体が多いというコトらしい。
木曽谷だから、猛禽類も多いだろうし・・・この画像の個体も、天寿を全うしたとしたら、今年まで。そういうコトは無いだろうが。もう、再会出来ない個体だな。
ワガハイ、君の存在記録はココに記したからな。