昨日のブログでの画像について、果たしてその意味を分かってもらえるだろうか?という思いはある。しかし日々、我が家で起こるコトを共有している妻には伝わってもらわないと、チト困ると思っていた。
それで昨晩は無粋だが、我が考えを妻に述べた。すると概ね伝わっていたみたいだったので安心した。
なぜなら「この頃のビオラ」というタイトルで、字数を割いているコトはメダカが一匹亡くなった話だから。「ビオラの件は何処へいった?」となりかねない。
「だからビオラの画像は、小さくなった花の下には咲き終わって花弁が落ちた姿が並んだ状態で撮影しているんでしょ?」
そう!そういうワケなんである。そしてまた丁度良く、そういう状態が撮れたのだ。そしてもう一枚のビオラの画像に関しても、背景に写り込む枯れた花弁も整理せずに撮った。
元々、撮影の為に被写体を作りこんだり整理したりするってぇのが好きではないけれど、綺麗な画像を撮るにはハサミは不可欠!そして霧吹きでシズル感!ってぇのが昔からの定番だからなぁ。
定番には警戒するワガハイ。
昭和の時代には、花を撮るには霧吹きってぇのが秘儀とまで語った大御所がいた。お会いすれば感じのイイ人だったけど。とにかく霧吹きかけまくっていた。
シズル感ねぇ・・・いかにも、ってなコトバだけど・・・ど~でもイイこととワガハイ的には思う。それしか質感表現がないってことかい?と、思うケド、まあ・・・質感も人それぞれ。それって、シズル感ではなくて雫感ではないか?と思ったけれど。
大御所には口ごたえは不謹慎らしいから、面倒だから関わらなかった。
さて、昨年アサガオが咲いた植木鉢が放置されていた。そしてソコからこぼれ種が発芽してアサガオが咲いた。なんだか背丈が小さくてあまり伸びない。
千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」で購入した「江戸朝顔」の種からとり蒔きを繰り返しているアサガオだ。このコトは当ブログでも何度か書いた。
それで、な~んかノンビリと構えている妻だが・・・アサガオも妻の領域なので。
「ソロソロ、アサガオの種を蒔いてもイイんじゃないですか?」
と、言ってみた。さて、ど~なるコトやら。
花を長く楽しむには、初手の種は外してしまった方がイイのだが、コレについては種を充実させる方針なのだろうか?まあ、妻の領域なのでワカラン。ただ、低い位置で全て完結しそうなアサガオの花を撮影するのは難しい。
狙えるアングルがない!
それこそ、邪魔な種を外して・・・ってなコトを、たとえワガハイ担当のアサガオだったとしても、それをやりたいとは思わない。