Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きするろーじんの戯言記録

美術

「記録をひらく 記憶をつむぐ」をメモしておく

そこは東京国立近代美術館。なんとなく暗い雰囲気の漂う・・・というよりも陰険さが漂う空間と言ってもいいかもしれないけれど、ワガハイはあの空間、立地条件が嫌いだ。

気になったニュースとバリラのパスタ

的・・・じゃなくて、解党しないとねぇ?

午前11時頃の青空

見上げた空を撮ったんである。

全体と部分・・・画用紙と鉛筆話しから

経営者が夜逃げし、別の企業が経営に入って再建したパン屋さんで購入してみた昼メシ。

「茅ケ崎市美術館」に行った

茅ケ崎美術館では8月24日(日)まで「うつわの彩 吉田耕三と北大路魯山人」が開催中だ。

お久し振りの世田谷美術館

企画展示は切り替えのタイミングだった。それは事前に分かっていたコトで、ゆっくりとミュージアム コレクション(2階展示室)を鑑賞するにはちょうど良い。

画家という感性優勢の人間という動物

彼は画家という感性優勢の人間という動物なのだ。人の言葉をクリアーに己の脳内に記憶はしない。感性を通して肉体化するようにして記憶しているのだ。

信号待ちの間の饒舌な「表現の場」

希望の未来って、いったい誰の希望と未来なのだろうか?それは個人と全体、そしてその逆もまた真なり、という具合にいくのだろうか?老人になりながらも、思春期のような言いがかりをつけたくなるポスターが貼られていたのだ。

激しくズレて飴色に変色したセロハンテープが見つかった

そ奴はセロハンテープを買いだめして、熟成させていると言っていたような気がする。

「油彩画用の溶き油」をクローゼットの奥の院で探す

本日の画像が油彩画用の溶き油なのは何でか?というと、こうした油は独特の臭いを発するので、ハクビシン除けに使えるのではないか?と思ったのだ。

明日は電車を走らせるらしい・・・「ポリオワクチン接種のための戦闘休止」と「DIC川村記念美術館」休館

美術館運営は赤字続き・・・って、まあ、そうだろうねぇ。そりゃマーク・ロスコのコレクションは重要だと思う人もいるだろうが・・・

「全体と部分との関係」から「受験の不思議さ」と「面倒な個人コレクション」の話し

既にあの世に逝った叔父の話しだけど。彼は入手した作品を手元で楽しみ、人生を終えたら美術館に寄贈して、その作品を個人として所有することに終止符を打ちたいと思っていた人だった。

全体と部分との関係・・・造形の問題は国政にも通ずる?

生まれては消えていくイメージ。だが消えていくイメージも無ければ次のイメージは生まれない・・・その繰り返しをよく見ていく。

永遠の謎・上空からトンビ・須田国太郎 展

あの竹橋にある近美って、何故か誰の展覧会やっても物故作家展に見えてしまうという不思議な空間だけど。まあ、「美術館は墓場」という説を強固に裏付ける空間だ。

読み間違い・・・「すいたぶんめい」「ならひろし」そして「ダメ酒と美酒」

いやこれ、シブ過ぎるだろう。須田国太郎さんはツウ向き過ぎね?子供たち向きか?これ、観客動員大丈夫かねぇ?空いていればファンにとっては好都合。ゆっくりと堪能出来るけど。

「近代輸出漆器のダイナミズム―金子皓彦コレクションの世界―」・「日置桜 特醸純米酒 無濾過」

お久し振りに君島屋さんでも行って見るか?と思ったんだが、その前に「横浜橋商店街」にあるキムチ屋さんに行ってみようかと思いついた。

そうして「老人の身体へと脱皮して行く」んだそ~だ

あれは「十字架の道行き」にも似ていたような気がしてならん。こうした観点から斎藤作品を論評するフシはない。ワガハイ的には多分に無教会的な気配が漂う作品として、在ったと思う。

原点に繋がっているコトを意識出来る?

物質性の強さだ。銀塩写真は画像を見ていると同時に、物質性を鑑賞しているよなぁ。所詮、薄い銀粒子の層に過ぎず、物質性と言うには大げさすぎると思われる方もおられると思うが。

昨日の続きでございますぅ~「吉田克朗 展」

雑居ビル2階の画廊の扉を開けると、ワガハイの顔を見るなり挨拶もなくいきなりそう語り始めた怪しい男がいた。吉田克朗さんだ。

「吉田克朗 展」神奈川県立近代美術館に行った

吉田克朗さんも斎藤義重さんも、若い頃のワガハイに多大な影響を与えてくれた方なので、つまりこの展覧会に行ったのは墓参りみたいなモンだった。

狭い鎌倉に人がいっぱいっていうのは・・・

日本が好きならばどこの国の方でも日本に居住し、永住されれば良いと思うし、日本人でもこの国が嫌いならば、他の国で国籍が取得出来れば良いと思う。それだけのコトだ。

メダカが泳ぐ小さな水面

全体と部分・・・それは集団と個人。或いは国家と個人。世界と一国家。だが、いびつであっても一つの地球上で存続するバランス感覚ってぇのがあるだろう。

バブル期の残照・・・21世紀は人手不足に悩む?

バブル期には、某芸能人が学芸員資格を採ったとか採らなかったとか話題になったし、その資格はオサレなイメージだったように見受けられた。

案外昔の書物の方が便利?

モノの見方や聞き方ってぇのをとレーニングするには、絵を描いたり、モノを作ったり、楽器を演奏してみたりするのは、やがて思考力に繋がっていくものだ。

カラヴァッジョは実にけしからん!

聖書っていうのは、信仰の書にとどまらない。コレ、読んでないと西欧の文学も美術も曲解や誤読に陥るし、哲学も異常に難解な理屈をこねまわさねばならなくなる。ワガハイ、これが原因でハイデガー「存在と時間」が妙な読み方に誘導されてしまった。我が国の…

恵みの酒・・・「杉錦 誉富士 菩提酛 純米酒 2022BY」

多くの日本人を魅了するフェルメールだって、相当にゴツイ画面だからねぇ。あんなゴチゴチな画面って、なかなか日本人の手になる絵画には見られないから。

なるほどゴマノハグサ科かぁ・・・ネメシア

時々図鑑を調べて科目を確認してみると、植物学者さん達もあらゆる植物を細かく分析したもんだなぁ・・・と感心してしまう。そしてよく考えられた名前が付けられているもんだと思う。

与謝蕪村の図録入手・・・目覚まし時計がゼンマイ仕掛けだった頃

文人画の世界に遊ぶ面白さを、もう一度現物を前にして体験したいもんだ、と思っていた頃にコロナ禍だ。

男二人が膝つき合わせるような窮屈な状態ってナニ?

映像や写真ってぇヤツをみる時、メインの被写体に感心がいくとは限らない。ワガハイはかなりズレたコトが気になってしまう。

伸びて縮んで、また伸びて・・・変幻自在の「ばら」という作品

ワガハイ、ゴッホさんから学んだコトは、物理的な大きさっていうのは大きな問題ではない、というコトだ。