朝、まだ日差しが直接差し込まない庭のネメシアを撮影した。
だが、寒!
寒いのは当たり前だが、花粉対策でマスクはしたものの、上着を1枚着るコトを端折った。なぜならイイ感じで寒そうなネメシアが撮れそうな光だったから。
まあ、色味やコントラストをフォトショップでいじれば、寒そうな雰囲気に演出可能だけど、やっぱりココはリアルに行きましょうよ!
で・・・寒いからサクッと撮影して室内に逃げ込んだ。故にローアングルから花の様子が分かるカットなど撮るゆとりもなく、真上からの撮影で終わり。その結果、暖かい部屋の中で次に展開する先端部のカタチの面白さを楽しむコトが出来た。
出来れば、その先端をもっとクローズアップで撮るといいなぁ・・・と、思ったりするので、また撮影してみよう。上画像は標準ズームレンズだが、その時はマクロレンズを使ってみよう。
ところでネメシアは、時々目に付くと一株購入する。そしてその花を見ると
「何ってぇ名前だったっけ?」
と、マイド思い出せない。そして売場の表示を探して「ネメシア」と分かると合点がいく。だが、なんでこの名前を咄嗟に思い出せないのだろうか?
ところが、「宿根・・・」と頭に付けるとすんなりと名前が出てくる。
「宿根ネメシア」
一番最初にそう覚えたから、そ~ゆ~コトになったのかもしれない。
記憶ってぇのも変だねぇ・・・短ければ覚えられるワケでもなく、長いから覚えられないワケでもない。
まあ・・・「寿限無」は間違えずに全て暗誦出来なくなったが。
さて、ゴマノハグサ科といわれればナルホドと思える特徴がある。ゴマノハグサ[Scrophularia buergeriana ]は、子供の頃には空地に多く見られた植物だし、林道を散歩すれば路肩に見られる。ワガハイは都会生活者ではないから、都市公園の植え込みで見られるかどうかは分からん。
園芸品種も、そのルーツがあるわけだから、時々図鑑を調べて科目を確認してみると、植物学者さん達もあらゆる植物を細かく分析したもんだなぁ・・・と感心してしまう。そしてよく考えられた名前が付けられているもんだと思う。
いまでも、新発見があると発見者に因んだ名前が付いたりするので、星に名前を付けたくて観測されている天文ファンもおられるのだろう。植物もそうだっけ?学名には付くこともあるんだっけ?
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。創世記 02章19節 (新共同訳)
と・・・この創世記の箇所を思い出す。おそろしく古い物語ながら感心してしまう説明だ。
アレとコレをかけ合わせて・・・こんなに綺麗な花が咲く新種が出来ましたとさ。それはかけ合わせ仕事をされた方の手間暇の成果だけれど、やっぱり何処かからあらわれた新種のカタチや色だ。ソレにどのような名前を付けるのか、何処かで他者が楽しみに見ている・・・ってなコトは、感覚的に同意出来はしないだろうか?
もっとも「他者不在の日本」とは、昔から言われたコトだから・・・この感覚的同意ってぇヤツは分かりにくい問題なのかもしれないけれど。このようなコトが、日本の印象派理解のおかしさ・・・らしいから。
モネの睡蓮にナニを見るか・・・って、美大に行ったからってネイティブになれるワケじゃない。美術史学んでも、トンチンカンな評論とオマージュが溢れているように見えるんだが・・・あまりこういうコトを言うと爪弾きになるケドねぇ。
そういえば80年代に、そんなコトをアチコチの画廊で語っていた老人がいた。そのM氏も既に他界されたらしいが、なんか、あまりこのテのコトについて言い始めると、M氏の再来としてワガハイも嫌われるだろうなぁ。
面白いんだけど鬱陶しい老人M氏のコトを・・・何故かネメシアで思い出すという・・・ネメシアで思い出されて、M氏もヨカッタねぇ。到底ネメシアのような男ではなかったからなぁ。記憶って、妙な連想を生じさせるもんだな。