昨日の画像は、神奈川県相模原市緑区の宮ケ瀬湖界隈の桜だった。界隈といっても、湖岸の観光施設があるエリアではなく、宮ケ瀬湖の上流側で流れ込む支流のひとつ、「水沢川」界隈と説明した方がより正確だ。
もっと言うと「松茸山自然の森公園」である。
ここもねぇ・・・もう少し暖かくなってきたらヤマビル大量発生エリアなので、ワガハイは絶対に踏み入れたくない。
ヤマビルが好きな人なんていないだろうが・・・ありゃあ、絶対に御免だ。20代の頃、気づいたら足が血まみれになっていて驚いた経験があるから・・・痛みもなく、いつの間にかヤマビルに血を吸われていた。
猛烈に気持ち悪いヤマビルとは、もう二度と出会いたくはない。
さて、その松茸山という、いかにもナンと言うか・・・の名前も気になるところだが、グーグルマップを見ていると、これまたその界隈に気になる名前が見つかる。それは「堀切の碑」である。今のところな~んも解説されていないグーグルマップである。
まあ、ワガハイがクチコミを書けばイイのかもしれないが・・・その方が広く活用されるのかもしれないが・・・本日のブログネタにしてしまう。
言うまでもなく、花粉の飛散量は異様なレベルであった。そんなワケで迅速に確認して撮影し、そそくさと現場を立ち去るべくクルマに乗り込んだ。
余りにもサクッと撮影を行った結果、クルマの中で画像を確認してみると肝心の説明板を撮り忘れていた。というドジの為に再度クルマを降りて花粉舞う空間へ・・・。
焦りは禁物だねぇ。
堀切〈ほっきり〉の碑
この石碑は、正面上部に堀切と記され、当時、
新井村組が建立したと刻記されている。
『鳥屋財産区の歴史』によれば、「これは、
今からおよそ百八十五年前の文政三年(一八二〇)
に造られた石碑で、文政十一年(一八一四)より
六年がかり、実に千三百五人の人工〈にんく〉を費やして、猪、
鹿害の防柵、巾二間半(約四・五米)、深さ一間半
(約二・七米)と想定される堀を、それも新井より
鳥居原まで(約一六四〇米)造った記念の石碑で、
それも当時の人別帳より見ると、新井集落の戸数
わずか一二を数えるのみであって、その労苦察する
に余りあるものであった。」と伝えている。
という石碑である。
新しい石材やコンクリートを使って補修がされている。古い状態を維持しながらの補修は出来ていない。だが、こうして石碑が維持されていることによって、ワガハイのような者がやって来てもナニかがあったことを感ずるコトが出来るし、そこにある説明板を読めばナルホド!と知識を得ながら風景に接する楽しみが得られる。
風化して文字が読めない石碑では、その石碑自体の役割は果たせていないんだが・・・そもそも説明が刻まれているという説明板的なモノの説明板が必要っていうのも、なんかねぇ・・・。
しかも、石材という寿命の長いとされるモノに代わって華奢な素材でつくられている説明板・・・ってねぇ?
より弱い材質で補われていますよ・・・と。
というコトは、これからも作り変えていかないと説明は維持されず、石碑もやがては倒れて風化して、ただの自然石と変わらないモノになっていくワケだなぁ。
正面図の拡大がなくて、背後の図があるってぇのはど~なんだろう?とは思うが、この石碑が見ている風景ってな感じで、こっちの方が空間に広がりがあって面白かったのだ。ただソレだけの理由だ。
現在、丹沢を歩けば鹿柵が彼方此方にあるし、農地との境目には高圧電流まで流れている柵も設置されている。だが、昔は堀を造っていたんだねぇ。猪や鹿の被害に悩まされているのは、今も昔もかわらないんだな。