さあ、「D52 72」ネタも三日目となった。画像の分量的には四日もつ感じなんだが、出来るだけサクサク行こうと思う。

物のスケール感というのは、周辺の空間との兼ね合いで変わる。だから見た目の感覚はあてにならないのだが、感覚的には木曽藪原で見た「D51 238」の方が大きかった印象なのだ。だが、Wikiデータだけれど・・・
- D51 全長 19,730 mm
- D52 全長 21,105 mm
D52の方が長い。測り方にもよる?かもしれないけれど、言われる通りにD52の方が寸法的には大きいのだ。ただ、物のボリューム感というのは寸法通りとは限らないので、微妙な付属物やら、僅かな曲線部とか、面取りの違いでも印象は変わるけれど・・・そうしたティテールを比較するには、並べてみないと分かりづらい。
とにかく、D51と52の見え方の違いが気になるのだった。このコト、また書いているコトだから(以下リンク先と重複)。
「D51 238」については以下参照。

太平洋戦争の面影が残されているD52なので、そのコトを思って見ていると複雑な心境になる。物資不足の中で物流を支えた機材だから、材質的にはイマイチなトコロも多いと聞く。だから本来の設計性能は発揮されていないらしい。
この後、蒸気機関車はディーゼルに置き換わっていくから・・・日本における蒸気機関車設計製造技術の粋を集めた機体というのは、実現しなかったんだろう。それが実現したならば、現在のガソリンエンジンの煮詰められた技術みたいに、卓越した蒸気機関が出来上がった・・・のだろうか?
だが、どのみち、日本が万が一にも勝利したとて、ディーゼル内燃機関に置き換わっていく時代の流れだったのだろうか。だから、あまり煮詰めるコトにばかりとらわれていると、取り返しのつかない事態になるのかもしれない。産業的にはね。

しかし・・・やっぱり御殿場駅で見るD52は、山北駅で見るものよりも一回り小さく見えてしまう。もっとも画像ではレンズの画角とパースによる影響があるから、比較出来ないけれど。

駅に降り立って、フラりと見られる点では御殿場駅が一番手軽だ。本当にロータリーの脇に位置するから。これ、ワガハイが子供だったら、富士山よりも思い出に残るかもしれない。多くの人に接する機会という点では、もっとも恵まれている機体なんじゃないだろうか?だが、ジモティーの方々は見るコトもなく通り過ぎて行ったケドね。

私はD52 72号蒸気機関車です
D52蒸気機関車といって日本で一番大きく力の強い機関車です。仲間は日本で
285両誕生しましたが、現在7両しか残っておりません。生まれは昭和19年で
山陽線・東海道線で働き昭和27年より御殿場線で活躍しました。
御殿場線を含め全走行距離は747,544kmで、地球を18.5周分走りました。
本当は貨物列車用ですが、御殿場線の様な山線で、勾配の大きい路線では
貨車・旅客列車を引いておりました。
特に御殿場線は、勾配がきつく25/1000の傾斜を全力で走行しました。
昭和43年に電車が走るようになり、26年間長かった努めを終わりました。
このポッポ広場に置いていただき、うれしく思います。
私の大きな体を見たり、触れたり、親しんでください。
注:蒸気機関の原理やD52のスペックについては山北のものと共通するので省略する。また、この説明板は全ルビなのでルビを省略する。
この説明板は割と新しい。それもそのはず・・・
御殿場市のサイトに、上リンク先のようなものを見つけた。今年4月に出来たらしい。


「汽車ぽっぽ」作詞 冨原 薫氏略歴
冨原薫氏は、明治38年7月3日 当時の駿東郡御厨町御殿場
454番地に生まれました。地元高根尋常小学校、須走高等小学
校を卒業、県立沼津中学に入学、同校卒業後、須走尋常小学校代
用教員として赴任。その後、高根小学校に勤務。以後30年余り
の間勤務した。その間が作詞作曲の全盛期であった。童謡・唱
歌として馴染み深い「汽車ぽっぽ」の作詞は、高根小学校の教師
をしていた昭和12年8月に作詞したもので、現在も多くの国民
に親しまれ、唄われている。御殿場深沢の小松さきさんと昭和14年4月に結婚。
昭和50年1月25日 70歳で永眠。
生誕地をここまで細かく記載しているのも珍しいし、結婚相手が書かれているのも珍しい。ま、どの様なコトなのかは知らんが、理由はあるんだろう。

トコロで、我が両親はいい加減だったなぁ・・・この歌詞、この様にワガハイは教えてもらった。
♪ 汽車 汽車 シュッポ シュッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ・・・
♪ 鉄橋だ 鉄橋だ 嬉しいな
※ 赤字は誤り
「汽車ポッポ」の歌、と両親は言いながら・・・両親のソレは「汽車シュッポ」の歌だったんだなぁ。後に間違を友達に指摘されて、ビックラこいたねぇ。

「ポッポ広場」の表示は凝っていたけれど・・・まあ、ナンていうか、カネかけるトコロが違うんじゃね?と、一応は突っ込みたくなる。これもまあ・・・施工業者の利益など絡んでくるのかもしれんが・・・。
広場の整備も大切だけど・・・本体のメンテナンスをもう少し、なんとかしないと、ソロソロ・・・???

しかし・・・「汽車ポッポ」の歌は昭和12年8月に作詞と説明があり、「D52 72」は昭和19年生まれ。この機体の走行をイメージして作られた歌ではない。それにD52の初号機は昭和18(1943)年みたいだから。
これで「D5272」については完結。御殿場線絡みのD52で、ワガハイの行動圏内にあるモノは全て見た。それにしても標高455mの御殿場駅「ポッポ広場」・・・寒かった。