Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

豊臣秀吉の小田原攻め・・・八代龍神

酒話が続いたので、本日は止める。

誤ってシャッターを押す

レンズキャップを外して、カメラを構えようとしたところ、誤ってシャッターが切れた。ノーファインダーだったが一応、内容は撮れていた。それにAFだから勝手にピントも合っていた。コレなら資料作成に使える。

改めて撮り直した・・・

構図はだいたい真っすぐになった

撮り直してみたけれど、だからど~~した、と云うんだろうか?説明板の内容はどちらでも十分に読めるではないか。目的は、構図を整えなくても達成出来ているのだ。それに、後修正で容易に画像の傾きなんて調整出来るし。

ま、とにかく・・・

  八代龍神
 天正十八年(一五九〇年)豊臣秀吉の小田原攻め
の時、加藤清正の家臣可児才蔵の統率する熊本の
八代水軍の船が小田原に上陸中折からの台風に依
る激浪で古新宿の浜辺に大破して打揚げられた。
この水軍は有明海の不知火の光を恐れて八代の龍
宮様から御神体を奉受し船神様として船の親柱の
元に納められたものを破船の中から引出し古新宿
の祠に安置して龍宮社として祭ったものが八代龍
神の縁起とされている。尚その水軍で働いていた
船頭や船子は近海に魚群の多い小田原の海辺に定
着し代々漁業に携わり原住の漁師と共に集落を作
った。八代龍神は昔から海の神様として漁師の信
仰が厚く船元の子供は朝晩必ず社内にある大きな
輪型の蠟燭立てに明りを上げることを日課として
行われ、その光は四六時中光々として輝き絶える
ことがなかったと言う。

読みやすいように書き写した。

コレは神奈川県小田原市浜町という、海岸に近い場所にある八代龍神の説明板だ。かまぼこ通りのちょっと東側、ってなトコロだ。

龍だな

小田原の海には、そういう話があったというワケだ。秀吉の小田原攻めは、現在の小田原の状況に少なからずの影響を与えている。中町とか寿町という辺りに祠があったり、屋敷の中にお稲荷さん的なナニガシかがあったりするのは、いろいろあるらしいから。

なんでも、家など建て直すと地面をあまり掘るといろいろ出てくるらしく・・・サクッと建て替えたい、なんていう地元の人の話しを聞いたコトもあったから。

だから・・・まあ、タタリ的なコトがですねぇ、言われたりするワケですよ。そんなコトから、あまりそ~ゆ~トコロに居を構えたくはないワガハイだった。歴史ある街には、避けられないコトなんだろうが。

そ~ゆ~コトを気にしない質であっても、周りから止めろ!とか言われるとねぇ・・・面倒だから。

 

実は20代の半ば頃、狭小物件なんだが小田原城の堀からチョㇿッと入った一角が売り出されていた。で、頑張れば買えるなぁ・・・なんて思っていたんだが、土地に詳しい知人に聞くと・・・「止めておけ」の一言だった。その後、不動産を取得するとはどの様なコトであるかというのを、まあまあ厳しく説教された。

たぶん、建て直しなんてやろうとしたら、イロイロ出てくる物件だったかもしれない。城下町あるある・・・だよなぁ。

亀・・・だねぇ

来年は辰年というコトで、ナニか龍に関わるトコロはないのだろうか?と検索したら幾つか見つかったので、まあまあクルマで行きやすいので出掛けてみた「八代龍神」だった。鳥居に面した道路は路駐したら顰蹙をかう程の狭さではなかったけれど、神社正面には「駐車禁止」を示す三角コーンが置かれていた。

そりゃあ、鳥居を塞ぐように駐車したら、ちょっとそれは無礼だわなぁ。というワケで、少しずらして停めさせてもらい、サクッとお参りだった。両側は戸建てなので、長居は迷惑だろう。

困ったコトに、近隣に駐車場は見当たらなかったから、かなり離れたトコロにクルマを置いて、徒歩というコトになるのが正論だろう。

古新宿漁業組合の文字が刻まれていた

ま、詳細は他にも書かれていたりするから、ワガハイはネホリハホリ書かない。それに興味のある方は、小田原散策のルートに組み入れられると良いと思う。小田原の漁師のルーツに触れるような楽しい時間が過ごせるかと思う。

 

ところで古新宿・・・こしんしゅく、と読むみたいだ。しんじゅく、ではないようだ。

maps.app.goo.gl