Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

ナニにつけても美味しいモノは先に食べる主義!

昨日の花かんざし・・・これから更に開きます!

もう、口癖のように書いてしまう。花粉がねぇ・・・

洗濯物は室内干しで、帰宅時は上着を払って玄関付近に掛け、換気もフィルターを付けた換気口から行っている。だが、鼻はムズ痒く、クシャミと鼻水が出る。加えて喘息発作にはならないものの、気道の一部もムズ痒い。

今や多くの人たちが悩み苦しむスギ・ヒノキ花粉。辛くても直接人命にはかかわらない疾患だと思っているのか、長年にわたって根本的な対策は進まない。対症療法としての薬は、大昔に比べたら格段に効くようになったし、副作用も緩和されてきているように感じはするけれど。

未だに、この件に関しての不満は解消されない。

この分だと、ワガハイは死ぬまでアレルギーと付き合っていくしかない。3歳の誕生日を迎える前に小児喘息を発症して以来・・・やっぱり鼻炎症状との付き合いがダントツで長い。

 

コンタック」という鼻炎用の薬が発売されたのは、ワガハイが中学の頃だっただろうか?この薬によって鼻水や鼻づまりが相当に改善された。ただし服用すると眠気が強かった。その眠気と戦いながら授業を受けていたから、教壇から見たワガハイの姿はヘロヘロしていたんじゃないかな?一応、教師には事情を説明しておいたけれど。

それで、ある漢方薬は眠くならないという話を、母親が誰かから聞いてきた。成績が上がらない原因の一つは、鼻炎薬の副作用もあるのでは?と考えた母親は、ある日ワガハイが帰宅すると「小田原へ出かけるから一緒に付いてきなさい」と言う。

中学生になった男が、母親と一緒にお出かけなんて嫌なんだが、ナンでも凄くイイ漢方薬を買いに行くってな話だから、それは藁にもすがる思いであった。

その漢方薬屋は有名で、今では観光スポットにもなっているんじゃなかろうか?薬屋が観光名所ってのも、ナンか変な感じもするけれど・・・「ういろう」という、名古屋とどっちが本家なのか?と思うような屋号で、仁丹のような薬がナニガシカに効くとかで行列が出来たりしていた。

今の店舗は、まるで城のような外観になっていて、国道一号線沿いだし、正月の箱根駅伝中継でも映るからねぇ・・・案外、全国的に知られた建物だ。ワガハイが連れられていった時は、もっと地味ながらも木造の老舗らしい趣のある雰囲気だったように思う。

それでとにかく・・・店内にはたくさんの引き出しと、瓶に入れられた怪しげなナニガシが展示されていて、正直不気味な感じだった。そして白衣を着た人から問診を受けたんだが、なんか喘息や鼻炎には関係なさそうな質問もあったなぁ?内容は忘れたけれど、ナンでそんなコト聞くんだろう?と思ったもんだ。

 

さて、処方されたのは要するに「小青竜湯」だったのだろう。薬の名前など、中学生のワガハイは聞かされていなかった。とにかく生薬がブレンドされた袋があって、それを母が薬缶で煎じた。漢方薬的な独特の香りが家中に充満し、換気扇から流れるその匂いに隣のおばさんもナニゴトか?と訪ねてくる程だった。

その薬は確かに強烈に効いた。そして眠くならなかった。ただし、効きすぎなのではないか?と、少々怖くもなった。なぜなら、妙に覚醒感が伴いながら少々クラクラするのだ。濃度を薄めて服用したりして、花粉の時季を乗り越えたなぁ。

ただ、かなり高価な薬だったようで、二度と母は薬局にその薬を買い求めには行かなかった。いや・・・その薬を服用したからといって、ワガハイの成績がうなぎ上りに改善したというような効果が見られなかったから、かもしれない。

そりゃあ、そうだよなぁ・・・幼稚園の頃から、みんなと同じペースで学ぶコトが中断されてきたワガハイは、順番に学ぶというコトが苦手だった。だから授業の予習や復習っていうコトはやらずに、教科書を見て興味のあるトコロからさっさと勉強して、徐々につまらないトコロの攻略をしていたから。

美味しいモノは先に食べる主義!

だからねぇ・・・帳尻が合うとテストの成績が突然良くなるという、不思議な中学生だった。テストに向けた勉強をしていたワケじゃなかったから。

つまり、床に臥せていても「国語」や「社会」ならば教科書を読める。だが「算数」「数学」は、やっぱり数式を書かないとねぇ・・・そういうバラつきもあったなぁ。数学は体調のイイ時に一気に勉強するんだがね。

 

中学生の頃の憧れは・・・航空整備士。だが、体力的に厳しいだろうというコトも感じていたな。同級生の父親が日本航空の整備士だったんだが・・・その話を聞いて、ワガハイは体力がなぁ、と夢を諦めた・・・なんて一瞬の夢があったわなぁ。ジェットエンジン・・・あの頃、レシプロエンジンより面白そうだったんだよなぁ。