Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

蘇民祭のニュースに「平泉 みちのくの浄土」の図録を広げる

先日、岩手県奥州市にある黒石寺に伝わる蘇民祭が、その1000年以上にわたる歴史に幕・・・というニュースがあった。藤波大吾住職は「祭りを支えてきた多くの人に感謝を伝えたい。今後は祈とうを行って地域の信仰をつないでいきたい」と語っていたそうだ。

 

祭りにもいろいろある。信仰とは無関係の祭もあって、それが本来的に祭なのかという疑問もある(文化祭、学祭、市民祭りとかもあるからなぁ)

だが、祭となれば人が居なけりゃ始まらない。たった一人の祭というのも・・・まあ個人的な祭り・・・記念はあるかと思うけれど、やっぱり複数人によって行われるのが祭だろう。

記憶が定かではないからボカして書くが、キリスト教会での聖餐式が成立する人数・・・即ち最小限の人数がある。だから司祭一人じゃ聖餐式(ミサ)にならないワケで、ってそりゃあ、そうだろうが。

「毎週お祭り騒ぎやっててうるさいキリスト教・・・」という言い方が、イスラム圏であるとか、ないとか?

茶会だって、一人では”会”にはならんだろう。

 

ま、そういうワケで蘇民祭が最後となれば急に参加者が多くなるのは人情。例年の2倍(270人)ほどの人が集まって「蘇民袋」という麻袋の争奪戦を行った蘇民祭だったそうだ。

その祭の復活については希望が全くないわけではない。祈りの中に温存されて復活を待つのだ。祈りが失われて、祭の形式だけが復活したのでは本末転倒だろう。そう思うのは、なんか少数派のお堅い意見なのだろうか?

なんか、民放のコメンテーターは観光資源としての復活を語っているだけだったので、そういう意識が主流なんだろうか?

ならば、この国は無宗教の国とした方がいいだろう。仏教国と言う資格はないのでは?と、多数派から叱られるか、相手にされない意見をワガハイは持ってしまう。

微妙な問題だから触れるのを避ける傾向が強い宗教の話題だが、ワガハイ的には伝統的な宗教に保存された記憶には、特に昔の文化風習を推察するための多くの記号が含まれている、と思う。従って信仰心を尊重すれば、その頃に生きた人たちの心情までもが文学や美術に蘇ってくる。

蘇った内容が、了承出来るかどうかは別問題としても。

まあ、科学優勢の時代である。神仏を信仰する必要はないとしても・・・まして盲信する必要などないと思う。だが、今まで積み上げてきた文化風習を維持するならば、その底流にある教えは何ぞや?というコトを知り、考えるのもアリだろうと思う。

「特別展 平泉 みちのくの浄土」の図録

蘇民祭は「不快感を与えかねない」とJR東日本掲示を断ったポスターの件で広く知られるようになった感がある。だから蘇民祭のコトばかりが取り沙汰されてしまうのが少し残念な気がする。本体の黒石寺の名前よりも、祭の方が独り歩きしている感もある。

 

妙見山黒石寺(みょうけんざん こくせきじ)天台宗である。729年(天平元年)に行基が開いたとされる。そして仏像の宝庫!ワガハイは行ったコトがないのだが、妻は行ったコトがあるから熱く語る!

「凄い薬師像があるのに、そのコトには言及しないんだなぁ・・・」

 

国指定重要文化財

岩手県指定有形文化財

文化財指定がされていれば凄い、っていうワケではないんだが、ワガハイはその一部を展覧会で見た。その「特別展 平泉 みちのくの浄土」は、2008年11月に「仙台市博物館」から始まり、「福岡市博物館」「世田谷美術館」を巡回した。ワガハイは世田谷で観た。

その図録をとりだして「四天王立像」「伝慈覚大師坐像」の図版を眺めた。東北の仏像は、ズシリと重い印象を持つ。改めてそう感じた。東北の信仰は、より切実だったように仏像から感ずる。

 

※ 神奈川県伊勢原市日向薬師も、行基が開いた(716年)とされる。

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