昨日書いた「瑞雲寺」であるが、「力不動」のことを書いて本体を書かずに終わった。幾ら瑞雲字のHPがあるにしても、いくらかはワガハイの視点で書いておいてもイイのカナ?と思ったりしたのだ・・・昨夜、風呂に浸かりながら。
寺入口にある説明板だが、ナンダカ表面がブヨブヨなんである。ソロソロ・・・突然、薄皮が剥がれるようにして崩壊してしまうのではなかろうか?で・・・一応、お節介ながら文面の保存を兼ねて撮影した。それで例によって以下に読みやすいように書き写しておく。
瑞雲寺
曽我梅林の中にある寺として知られるこの寺は、龍珠山瑞雲寺と号し、曹洞宗で津久井の大井山功雲寺の末寺であり、相州
黒岩城主本▢豊前守が、日頃帰依していた功雲寺の5世仁忠継儀和尚を招請して、明応元年(1492)に建立した名刹である。
創建当初は、現在地より東方200メートルの丘上に建立されたと伝えられるが、江戸時代の後期に現在地に移されたと言う。
寺には、18世観源大器和尚の「へえずり石」や、縁結びと子宝を授かると伝える「洗心池とめん玉弁天」があり、また曽我
兄弟が父の仇を討つために願文を納めて、「十人力」を授けられたという「力不動」が安置されている。
この不動尊は大山不動尊の前不動で、曽我剣沢の地にあったものを江戸時代後期に当寺内に移されたものである。
なお寺内入口左側の梅林は、21世住職によって開設された当時足柄平野唯一の私学「自修学校校舎」の跡地である。
同校は明治43年7月に開設され、大正15年8月、校舎拡張のため東方丘上に移転、のち湘北中学校、湘北高校、向上高校
と校名を変更した。
注:▢は説明板上で文字が欠落しているものと思われる。
さあ、この説明板なんだが、その隣にある既に崩壊した境内案内図の運命を、まもなく辿るのであろうか?その境内案内図の現状が以下のような感じである。
境内案内図が元気だった頃のお姿は、瑞雲寺のHPで見ることが出来る。表面が剥離してしまったような状態に見えるのだが・・・どのような作りになっていたんだろう?だが、目を凝らして表面を観察すると・・・
なんか、図やら文字やらの痕跡が、僅かに見えるのだが・・・ナカナカ判別は厳しい。撮影した画像をスルーで見ると、まず判別不可能である。で、チョロッとフォトショップでコントラストをいじってみたのが以下の図である。
「現在地」と読める。つまり、この画像を撮影するために立っている位置が示されておる。あとは「無の境地」とでも言うかのように・・・判別困難な表面の質感が広がっていた。まあ、禅寺だからねぇ・・・らしい、かなぁ。
「読めない?だからど~した・・・己の足で歩けば分かるだろう。」
そう言われているような気もする。ワガハイ的には、この案内図はとても興味深い在り方をしているように思われた。「無」とはナニも無いワケではない・・・作って書いて、壊して作って・・・そして最後に全て消した・・・みたいな感じ。
ま、ここは「そうか、そうか・・・」と言って白隠さんのように通り過ぎていくっていうのも良いんじゃなかろうか?
瑞雲寺、立派なお寺ですなぁ・・・本堂の画像は瑞雲寺のHPで見ることが出来るので、ワガハイは割愛する。