Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

伊豆山神社と熱海土石流・・・忘れちゃいね~ぞ!

伊豆山神社

静岡県熱海市伊豆山神社は、確か伊豆という名前の原点である。伊豆山権現、伊豆大権現という言い方もある。ワガハイが子供の頃、祖父達の世代は伊豆山権現と言っていたと記憶している。伊豆山神社っていうと「?????」的な反応をされたコトもあった。

まあ、ワガハイの祖父の世代は明治生れだったからねぇ・・・もう、明治生まれの人達は別世界に行かれてしまっただろうから、このコロナ禍やらウクライナ問題で苦しむコトもない。もっとも、その世代は関東大震災伊勢湾台風といった自然災害や太平洋戦争も経験した。多くの親戚や友人をそうしたコトで失ってきた。子供が戦死して遺骨もないという人もおられた。

全くもって平穏な日々というのは、長続きしないようになっている世の中のようだ。

 

それで、伊豆山神社なんだが、ちょっと通りかかったのて立ち寄った。熱海土石流のこともずっと気になっていたのもある。土石流現場は、道路沿いにも垣間見られるから、運転中でもチラ見でも分かるから・・・それだけでもゾッとするから、気をつけないと事故る。

行った時にはテレビ取材が入っていて、カメラ一台にレポーター風&ディレクター風、そして少し離れて行政の広報担当者?ってな感じだったんで、ワガハイはサッサと通り過ぎて邪魔しないようにした。少しだけ路肩にクルマを停めて、現場で手を合わせたいとも思ったが、止めた。

伊豆山神社で手を合わせておこう・・・神社なら駐車場もあるしねぇ。周りの迷惑にもならずに済む。まあ、チョットだけクルマ停めてサクッと手を合わせる位で、見かけた警察官も文句は言わんとは思うが。取材の邪魔っていうのは、やっぱり無粋だわなぁ・・・。

土石流の場所はだいたいこんな所だ(煩雑になるので鉄道は省略した)

概略地図を書いてみた。ザックリとした地図なので不正確だが、土地勘の無い方には土石流現場と伊豆山神社の位置関係が概ね見当が付くのではないだろうか?

現場の画像が一枚でもあれば、より状況は分かりやすいとは思うが、ナニせテレビ取材やってたからねぇ・・・伊豆山神社にお参りしてから、もう一度様子を見てみたんだが、レポーターさんの語りは絶好調の様子だった。だから、こりゃあ待っている程ワガハイも暇ではないわなぁ。

というコトで、現場画像はない。だが、現在の状況に関する報道は少ないから、何らかの画像説明が出来たらヨカッタんだけどなぁ・・・とは思う。この事件(災害というよりは事件だろう)は、埋もれさせてはマズイだろう。

まあ、また熱海方面に行くことがあったら、現場の画像一枚でも撮ってこようと思う。まさか、またテレビ取材というコトもあるまい。

伊豆山神社からの眺め

一見すると綺麗な風景なんだが、隠れて見えない下側が土石流が流れた場所なのだ。あれこれ語るコトもなかろう・・・ここから風景を眺めていると複雑な心境になる。

平日夕方の伊豆山神社・・・お参りする方は途切れるコトがない。長い階段を上ってこられる方も多い。ワガハイは上の駐車場にクルマを入れたので、階段は登らなかった。その分、御利益は減ったんじゃないか?っていう心配はない。そもそも自分のナニかを願ったワケではないのだ。土石流現場で手を合わせられなかったから、ここで合わせたのだから。

たぶん、まだ一人の方の行方が分からないはず。親戚の行方不明状態っていう時の心の落ち着かない感じというのは、東日本大震災の時にワガハイも経験したが・・・こういう感情というのが自分に備わっていたのか・・・と思ったものだ。どうにもならないことに対しての感情は、祈りしか出来ることがないからなぁ。

大磯と関係があるんだ?

境内に「大磯高麗山(高来神社)・・・」という説明板あり。吾妻鏡ねぇ・・・鎌倉時代だねぇ・・・と、土石流の件で気持ちが沈んでいたんだが、ちょっと持ち直した。大磯の高来神社も、随分とご無沙汰である。今度行って見よう、と元気になってきた。

まあ、気持ちが沈んだままクルマを運転して帰るのもキツい。丁度いい感じで気分が中和されたように思った。

面白いカタチの石があるねぇ

伊豆山神社は、時間さえあればユックリとこの場を堪能出来るなぁ・・・大昔に一度来たコトがあった伊豆山神社なんだが、なんか記憶と一致したのは下って行く階段の風景と池の位置ぐらいだった。正直、こんなイイところだったっけ?ってなもんだ。あまりにも若かったワガハイは、ロクなモンを観てなかったのかもしれない。

それに、ど~せ「旨酒、旨メシにありつけますように!」てな願い事しかしてなかったんだろうからな。

「良縁に恵まれますように!」っていうのは、出雲では願ったんだが・・・お陰様で良縁でしたぞ!良縁・・・リョウエン、リョウエン・・・(繰り返すと怪しくなっていくなぁ)

 

とにかくお参りの人の流れが絶えないというのは、やっぱり凄いなぁ。だが、土石流という嫌な記憶も、伊豆山神社とともに思い出されるコトになったのだろう。

だって!お参りに来る人の多くは、やっぱり心の中で土石流のことを思わないという方が不自然だろう。

この事件の発端となった関係者は、伊豆の神様にあり得ない程の失礼なことをしでかした。冷徹に、このことは忘れ去られないように、と願う。