Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

神奈川県秦野市「乳牛通り」・・・御神水「井之明神水」

神奈川県秦野市の乳牛通りをフラフラして、やっと曾屋神社の境内に辿りついた・・・という感じが表現されているかのように、ここのネタで何日もたせていることか。

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曾屋神社に到着!

乳牛通りはジワジワ登り坂、そして徐々に傾斜が強くなっていき・・・やっぱり神社につきものの階段があって到着。鳥居から神社正面にむかって右手側に作業車が入れるようにスロープはある。だがかなり急な坂なので・・・一応はバリアフリーで境内には入れるケドね。

画像を見て分かると思うんだが、若干だが画面の水平が狂っている。左に傾いている。これは、ワガハイがバテている証拠だ。まあ、普通の体力の人なら全く問題ないと思うが、やっぱり喘息持ちだとこんな感じですな。

 

この日は神職さんとナニガシカの作業の方が本殿内に入っていった。脚立持って入っていったな。高いところの電球でも切れたんダロウか?といった感じ。今時、白熱電球じゃなくてLEDかもしれないけどね。高寿命とはいうけれど、LEDも意外と短命で切れるコトもあるからねぇ・・・ああ、我家も昨年はLED電球がトラブったなぁ。以下のリンク先を参照下さいな。似たような電球を使われている方は要チェックですぞ!

etsuro1.hatenablog.com

お参りして、右手に進むと・・・

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暖簾みたいなのがある・・・

フラフラと力なく坂を下ると湧水がある。先客あり。神社裏手から直接車で湧水脇に乗り入れることが出来るようだ。ワガハイよりも圧倒的に若い男女が、ペットボトルなど数本に水を汲んでいた。

思えばこの神社の直ぐ裏手は国道246号であり、数年前には拡幅工事をやったりしていたんだが、よくぞ湧水が枯れなかったもんだ。まあ、枯れたら神社境内の湧水だけに、世間は大騒ぎになるだろうから、関係者は工事を慎重に行いつつ、お祓いしたりナンナリと、気をつかっただろうなぁ。

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曾屋神社の湧水

曾屋神社って、ワガハイも時々横をクルマで通るんだが、こうしてお参りすることがなかったんですな。はじめて参拝したんだが、なかなか落ち着いた神社でしたなぁ・・・湧水っていうのは、やっぱり人を惹きつけるもんだ。水道が整っていて、しかも秦野の水道水は美味い。わざわざここに水を汲みに来るというのはよ~ワカランことなんだが?

やっぱり、ここの湧水はナニか違うのだろうか?

♪ 富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も・・・

ってぇ唄があったけど、溶ければ水に変わりないなら、日本酒の仕込み水にこだわるなんて馬鹿げているコトになるからねぇ。やっぱり違うんですよ!

しかし、わざわざ水汲みに来るって・・・どんなこだわりがあるんだろう。曾屋神社の信仰心だろうか。フランスならば、ルルドの泉っていうのもあるからな。洋の東西を問わず、水と信仰は切っても切れない・・・っていうのは、人間にとって水は要だからだな。

皆さん、いい水飲んでますか? 秦野市民は美味なる水をトイレでも使ってますぞ!そう思うと、都心での生活って???

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寄って撮る

地形的にも斜面が急になったところで湧いている水なので、湧水としてはありがちな環境ですな。

さて・・・説明板があったので読んでみた。例によって、読みやすいように書き写しておく。

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湧水の説明板

神水「井之明神水(いのみょうじんすい)

 湧出する御神水「井之明神水」は、日本の近代水道の歴史上、特筆すべきものです。
 往事の「曾屋村」地域では井戸を掘っても水を求めづらく、湧き出ていた「井之大明神・井之明神社」
(曾屋神社の旧称)の水と、現在の水神町の水神様(石の祠が現存)の二か所の湧水を、生活用水として利用してい
ました。現在でも一部、古い水路が残されています。
 当時はウナギや小魚なども生息していたそうです。古い絵図を見ても、高い位置に鎮まる神社のもとに街並みが
形成されているのがわかります。およそ百五十有年余り前、安政五年には、氏子の佐藤安五郎氏が巨費を投じて隧道
を完成させ、水源の増水に成功しました。その後、生活用水の汚染等の問題が起こり、梶山良助氏を中心に、氏子住
民の手により、明治二十三年、近代水道では、横浜、函館に次いで、全国で三番目となる「曽屋区水道」が敷設され
ました。県からの技術指導はあったものの、民間による「簡易陶管水道」としては全国初のことでありました。この
水道水源が、神社湧水と、隣接する乳牛(ちゅうし)地区の湧水でした。
 生活様式上水道にたよる形となり、神社湧水も境内地の湿地化など、事情により一旦埋められることとなりまし
た。しかしながら、平成になり、ご祭神ゆかりの水が復活されることが望まれるなか、平成十六年に旧湧出口発見に
至り、見事「御神水復活」の日の目をみました。そこで旧社名「井之明神社(いのみょうじんしゃ)」にちなみ、「井
之明神水」と命名されました。
 平成二十九年、現存する「旧曽屋配水場跡」「ロ号水源・ハ号水源」等が、遺構として「曽屋水道」として、遺跡
関係の「国登録記念物」に登録されました。

注:改行は説明板に合わせました。

説明板の左部分には、図版とともにその解説がある。以下にそれを書き写しておく。

【図版右列上】

『曾屋村絵図』(天保6年・1853年)
「井大明神」を頂きに、村の様子が
描かれています。

【図版右列中】

イ号水源(現在埋没)

【図版右列下】

ハ号水源(神社県道側石積)

【図版中列】

地下素掘り隧道
(境内裏手地下)

【図版左列】

現在の駐車場埋立以前の湧水マス
を掘り当て、「井之明 神水」を
復活・復元した。

注:「井之明神水」の半角アケは説明板のとおり

【図版入り破線囲み部分】

「妹背石」(いもせいし)
妹背とは夫婦・男女の意味です御神水復活にあたり、
受鉢を探していたところ、縁あって珍しい石に出会いまし
た。真鶴で採石された「小松石」です。元は「楕円形」で
あり、石工さんが石を割ろうと矢を一回打ったところ、中
が綺麗な凹凸状になっていたそうです。矢の跡が残ってい
ます。この雌雄一対の、珍しく縁起のよい形状から「妹背
石」と命名し、それぞれを「男石」「女石」と呼びます。

というコトだったねぇ。

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ハ号水源の場所

湧水から直接出入り出来る道から帰路につけば、「曽屋みち」を歩いてイオン秦野に立寄ることも出来る。そしてその先で県道704号とぶつかりT字路となっている。正面のパチンコ屋さん辺りが、昔の「(株)金井酒造店」があった場所だったと思うな。

ま、ワガハイは「大正通り」の駐車場にクルマを入れたので、元来た道を戻ることにした。

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井之明神水「お水取り」「人形流し」

説明板の内容については、概ねそういうコトなんだろうな。だが、確証は無いが腑に落ちない点は幾つかある。果たして「水道」という概念は、この秦野にどの様にやって来たんだろうか?横浜との往来で伝え聞いたんだろうか?ど~も近代水道ってぇヤツは、キリスト教の伝道と関わる匂いが漂うよなぁ・・・まあ、神社内の説明板だからそのあたりのコトは書かないだろう。

だが・・・この神社の説明板の内容でも〈近代水道では、横浜、函館に次いで、全国で三番目となる「曽屋区水道」〉と書かれているように、横浜、函館ですねぇ・・・しかも〈明治二十三年〉っていったら1890年ですな。まあ、全国地方の街々にキリスト教伝道師が行脚していた頃だからねぇ。

これは・・・ナニかある、でしょうなぁ。

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スロープの途中・・・ありがちですな

追記:今回の乳牛通り界隈散歩では、お久しぶりにOLYMPUS PEN EP-5 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F1.8 を使った。軽量なのでフットワークが軽くなってイイですな。デジタルカメラとしては、古い部類になってしまう機材かもしれないが、使い勝手に慣れているので手放せない。もう修理がきかないのでトホホですな。