Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

大寒波襲来?・・・「荷紐」が変換できない

これからやってくる25日(水)頃、大寒波っていう情報がある。テレビでは盛んに水道管の凍結対策を呼びかけている。

コレから書くコトはワガハイの子供の頃だから、主に昭和40年代の記憶となる。当ブログは昔々の思い出話がつい多くなるが、仕方ないねぇ・・・老人は話しておきたいコトが蓄積しているから。

 

小学校への道のりは、住宅街の路地を抜けて畑の脇と田圃の真ん中を突っ切る道を抜けて、歩道のある車道では小さいが深い川を越えて坂道を上り、信号を渡ると到着した。子供の足で15分程度だった。

家の前の空地に集合して集団登校をする。植え込みの土は霜柱が沢山あって、水たまりは全凍結状態。北側を眺めると、遠くに表丹沢の峰が白くなって、近所の商店のオヤジさんはトラックのエンジンをかける。排気管からは真っ白な煙が大量に排出されて、風景全体が青白い。

教室は木造校舎だったから隙間風だらけで、室内に居るよりも外の方が楽な感じがした。風が吹いてなければ、だが。先生が早めに教室に入ってきてストーブをつける。そして火が安定してくると職員室に戻っていく。

ワガハイは背丈がヒョロヒョロと高かったので、席は最後部だった。だからストーブの恩恵は得られなかった。いわゆる学校用の木の机と椅子だったんだが、二人がけで、机の天板が開いて、その中に教科書やノートを収納するヤツね。今思うと昭和レトロだねぇ。

あの机って、使いにくくて嫌いだったケド。それに使い込んでいたから天板の表面はガタガタで、下敷きナシでは文字が書けなかった。椅子も直ぐに尻が痛くなるし、座面を構成している板材は一枚板ではなかったから、その隙間から冷気が洩れてくる。座布団一枚では寒い。座布団は二枚!

ちょうど机の下辺りに床材の節穴があって、そこからも冷気が流れてくる。その節穴に足を置いて冷気を防ぐんだが、ず~っと節穴を隠し続けているワケにもいかないし・・・ガムテープや養生テープで塞いでおくようなコトも出来なかった。

何故かというと、当時はガムテープなんて一般的じゃなかった。そもそもガムテープなんてあったんだろうか?まして養生テープは、間違いなく存在していなかっただろう。

セロハンテープはあったケドね。(1930年アメリカ合衆国の3M社によって開発された・・・んだそうだ。Wiki情報だけど)

 

因みに当時の梱包は麻紐で縛ったりして、その縛り方も図解されたものがあったな。母が梱包して郵便局へ持って行くと「荷紐のかけ方がよくない」と指摘されて受け付けてもらえなかったりした。

荷紐・・・コレ、一発で変換が出てこなかったゾ!紐」って変換した!ATOK

荷物の梱包が綺麗に出来る男はカッコイイ!って言われた時代があったからねぇ。だから綺麗に紐やロープを扱えるといい男になれる!ってなワケで、大人達におだてられながら、蝶結びを賢明に練習した小学校低学年だった。

そしてあるとき、荷紐は必要無いとされた。

せっかく練習して上手になった蝶結びは、いい男の条件ではなくなったみたいだった。

そうして努力と時代の流れが合致するとは限らないコトを学んだ。

 

ああ・・・寒いコトについて書くつもりだった。大寒波襲来だという。神奈川県南部に居住しているから、たぶん水道管の凍結はないだろう。子供の頃のように、井戸水をくみ上げる手押しポンプが凍結して動かなくなった、なんていう心配も、そもそも手押しポンプを見かけないからねぇ。あれ、あると停電とか災害時に心強いケドね。

でもまあ、一応は凍結に備えて飲み水程度は確保しておこう。たぶん我家の環境ならば、朝は凍り付いたとしても昼には溶けるだろう。給湯器も凍結防止ヒーターが働くから大丈夫なはずだ。この機能が壊れてなければね。

海も寒い風景・・・神奈川県真鶴半島より表丹沢観望(正面は小田原の街並み)

夕方だけど・・・寒い風景だねぇ。