古本を買うと、前所有者の付けたアンダーラインが気になる。それは気になる人にとってはノイズとして感じてしまうことが多いと推察する。というワガハイも、若い頃はそうだった。鉛筆で引かれた線ならば、丁寧に消しゴムで消し去りながら読み進めたりしたものだ。
そして赤ボールペンや、裏ページにまで滲んだインキなどで引かれたアンダーラインを見つけると、前所有者のデリカシーの無さにイラついた。
では、老いが進むワガハイは現在、ど~ゆ~心境にあるかというと・・・ナニもしない。そして前所有者がソコにラインを引いた根拠などを推理して楽しんでしまう。こういうのは哲学書なんかだと実に興味深く、その楽しみは少々意地悪かもしれない。
「あ~~~、ソコに引っ掛かったのねぇ、まだ若いな。ソレは表面的な読解じゃね?」なんて、自分の脳力を忘れて偉そうに楽しんだりする。そしてそういう楽しみの結果、ワガハイが読み進める推進力としていた興味ある問題を忘れてしまう。
もう、パラレルに思考する脳力は無くなった・・・と、自覚する昨今。
いや・・・ひとつのコトを持続する集中力も落ちた。
チョットした作業をするとお茶が飲みたくなり、再び仕事を始めるとトイレに行きたくなる。そしてトイレに行くと再びお茶を飲む。茶には利尿作用があるから、小休止する回数だけ確実にトイレに行く。
まあ、ワガハイは日本茶に限らず、コーヒーに限らず、カフェイン摂取量が多すぎるのかもしれない。農林水産省の情報によると、カフェイン摂取が多すぎると・・・〈めまい、心拍数の増加、興奮、不安、震え、不眠〉が起こるという。
なるほど・・・中枢神経への刺激剤だから、そういう問題症状が現われるコトになるだろう。
食品安全委員会資料
factsheets_caffeine.pdf (fsc.go.jp)
農水省やら、上のリンク先資料などを参照すれば感ずると思うのだが・・・カフェイン摂取量に関して、日本はど~なんだ!というハッキリとしたコトは書かれていない。海外の事例ばかりだ。あとはそれらを参考にして各自考えて対応してね!ってな感じかな。
要するに、摂取量上限を提示したトコロで、カフェインに対する耐性なんて人それぞれだろうし、一概には言えない。ただ、摂り過ぎ注意!特に妊婦さん、というワケだ。
この件に関して、日本ではコレで事足りるのだろう。
でも、ナニニつけても日本って、こ~ゆ~のが多くない?
それが日本らしさ?
知床の海で遭難すれば、それは救出に難儀するのはわかる。だが、国道上で大雪が降れば、人の命に危険が及びながらも救出は困難する。果たして、困った時に助けはやって来るだろうか?助けの手が伸びるだけでもラッキーというのが現実というコトか。
原発再稼働の安全対策も、科学的根拠などある筈もない。なんで40年が60年になったりと変化するのだろう・・・その議論の最中に、炉は停止している。たぶん、炉は休ませると自然治癒力が働いて寿命が延びるのだろう。
しかし、仕掛けとはそういうモノなのだろうか?動かさなければ消耗しない・・・というワケではないのでは?
海外の事例・・・この一言って、日本にとっての殺し文句なんだろうか?だとすればコンプレックスだねぇ。
さて、「大切な本」と題した本日の画像は「雑木林の博物誌 足田輝一 新潮選書」である。この本はワガハイのお気に入りの一冊で、昭和52年に初版、手元にあるのは昭和62年発行の15刷だ。時々、この本を手にして部分読みを繰り返している。
長い付き合いだねぇ。
その記述の中で180頁辺りの「ゲンノショウコ」が気になる昨今。水上勉の小説「焚き火」についても書かれている。さもない野の花に対して興味を懐かない人の、行き着かない世界について簡潔に示されている。
ワガハイにとって、其処此処に触発される記述が見られる。
気になる箇所には付箋を貼る。アンダーラインは引かない。ゲンノショウコ・・・「現の証拠」。足立輝一さんは、ゲンノショウコの実について書きながら・・・「実」だからねぇ。ナニも言わずに語っているな。
雑木林の博物誌・・・人間という動物の問題が流れているなぁ。