Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

ソモソモ「詩」とは「祈り」なのだろう・・・「宮沢賢治の彼方へ」

Hatena Blog「読書の秋」というオ題が終わったようだ。では本のコトを書こう。何故なら季節に関係ないからだ。それに「酒欲の秋」だったら相当に書けるんだが・・・燗酒が美味い季節到来というわけだ。

 

さて、オリジナルに対して解説本なり注解書なり、いろいろな本が出版されることがある。だが、大抵は面白いと思ったコトがない。若い頃に読んだある哲学書など、解説本の方が圧倒的に難解で、なんだかスジが狂っているように思え、翻訳本を読んだ方が圧倒的に分かりやすかったコトがあったなぁ・・・ありゃあ、確かハイデガー著「存在と時間」だな。

そんなコトがしばしばあったから、オリジナルから派生した書物っていうのは遠ざける傾向がワガハイにはあった。だが、これは違った。読書家としての師ともいえる友人から勧められたこの本だ。

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宮沢賢治の彼方へ 天沢退二郎 著 思潮社

二十代に何度も読み返した「宮沢賢治の彼方へ」は、1993年に「ちくま学芸文庫」になっているようだ。そしてザッとウェブをさらってみると古本では入手出来そうだ。

そう・・・現在はザッとウェブをさらって情報が得られるのだ。この本に限らず、昔はそう簡単に情報は得られず、下調べも出来ず、図書館通いをしたもんだ。田舎暮らしならば近くの図書館では役に立たず、司書に聞けば蔵書のありそうな近隣の図書館を教えてくれたりした。でも、結局神奈川県では横浜まで出かけないとダメだったなぁ。ま、それは本を買うにしても同じで、桜木町有隣堂まで行くか、ならば一足のばして神田まで行ってしまうか?という感じだった。

宮沢賢治の作品というのも、百科事典が書棚にズラリと並んでいた時代の空気ってぇヤツが反映されているように思う。あと図鑑なんかもね。そういう匂いと同調する「宮沢賢治の彼方へ」なんで、果たしてスマホで下調べが出来て、百科事典など必要の無くなった時代が常識の世代にとっては、ワガハイの言う匂いまでは既に共有困難な事態になっているのかもしれない。

だが、再読に耐える本だと思うので、また違った世界への導きを若い世代に・・・という期待感はあるんですな。まあ、年齢に関係なく宮沢賢治好きならこの本を知らないというコトはないかもしれないんだが。

これはオススメの一冊ですな。

 

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中学生の頃に買った200円の文庫本・・・宮沢賢治詩集

miyazawakenjisisyuu・・・と打ったところ・・・宮沢賢治歯周・・・と変換しおった!全く酷い話だ!そりゃあ、ソロソロ歯医者の定期検診予約をしなくては、と思っていたところだが、ワガハイの心理を読み解いてしまう変換能力を備えたのだろうか・・・ATOK一太郎入れている為か、Microsoft IMEにしても、いつの間にかATOKに戻ってしまう。)

 

話を戻そう・・・古本屋に出すこともなく、ず~っと書棚に置かれてきた文庫本だ。画像からも年季が入っている感じがするよねぇ。ハッキリ言ってブックオフなんかに持っていったらゴミに扱われるだろう。だが、持ち主からすれば値段に置き換えられない・・・つまり売り物ではなくなってしまったモノである。だからブックオフではゴミなんだな。ヤバイよねぇ・・・コレだからゴミ屋敷化の危険があるんだよな。

 

また話が脱線してきた。

 

高校の教科書でも宮沢賢治が扱われていたんだが、授業の内容はどうしても失速したんだなぁ・・・本気で向うと手強いからねぇ・・・銀河鉄道でも。詩ならなおさらだ。

「永訣の朝」・・・けふのうちに/とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ/みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ/(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

これはもう、兜率天の扱いの問題だ。

「兜卒の天の食」とするか「天上のアイスクリーム」にしてしまうか、っていう例の話だ。ワガハイは「兜卒の天の食」だよなぁ、と思う派なのだ。教科書では「アイスクリーム」版だったな。そうでなければ(Ora Ora de shitori egumo)がなんのコッチャ?

おまへがたべるこのふたわんのゆきに・・・これはもう、旧約聖書出エジプト記での「マナ」の記述以上に、切迫感ある状況を感じてしまう。

 

ま、ワガハイごときが宮沢賢治の正攻法的な解説を続けたところで、大したコトにはならんだろう。ここからはワガハイ流で行こう。

雨ニモマケズ/風ニモマケズ・・・

誰もが読んだコトがあるだろうなぁ。そして・・・

ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ

この内容って、ひょっとすると見向きもされない時代になっているんじゃないか?とも思う。だいたい「そーゆーモノに私はなりたい」と言っているのであって、「そーゆー私である」とは言ってないところがミソで、だから安心してしまうし、

「ああ賢治さんもそういう人だったワケじゃなくて、そうありたい、っていう願望だったのね。願望ならばねぇ・・・そりゃあいいケド」

ってな感じかな?

そういう読解によって、あまり深追いせずに終わってしまっている?或いは大人になると人はそのような意味合いに捉えて安心してしまう?はじめて読んだ時は感動したとしても。中には鬱陶しい詩だ!って言う人もいるからねぇ。

 

まあ、この雨ニモマケズ・・・っていうのは「詩」なのか「祈り」なのか?と思ってしまう。手帳に書かれたもので、まるで典礼文のようなものにも思えるからだ。・・・ワタシハナリタイの後には、文庫本では掲載されていないのだが、

南無無辺行菩薩/南無上行菩薩/南無多宝如来/南無妙法蓮華経/南無釈迦牟尼仏/南無浄行菩薩/南無安立行菩薩

と続く。

ソモソモ「詩」とは・・・「祈り」なのだろう。何故なら旧約聖書詩編は、別名「イエスの祈祷書」である。キリスト教の布教が盛んだった時代の賢治が、そこまでのコトを知っていたかどうかはワカランが、可能性はゼロではない。何故なら現在よりも遙かに能力の高い宣教師が、日本全国を歩き回っていた時代に生きていたのだから。と、までは言わずとも、詩と祈りは一体という面はあるだろうな。

あと、手帳に書かれていたというコトでは、「(病血熱すと雖も)」という中で、

さらばこれ格好の道場なり/三十八度九度の熱悩/肺炎流感結核の諸毒

とある。昨日の神奈川県の新型コロナウイルス新規感染者数は7人。今年最小となった。だが、40℃に達する体温に苦しめられ、重症化して亡くなられた方々の最期を思いながら雨ニモマケズ・・・を味わう時、ワガハイ的には賢治の世界の遠近感がまた一つ深まったように感ずる。

やっぱり最期は祈りかなぁ・・・

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紙が焼けたねぇ・・・

さあ!そんな賢治だが、こんな詩もある。

政治家(作品一〇五三番)

 

あっちもこっちも

ひとさわぎおこして

いっぱい呑みたいやつらばかりだ

    羊歯(しだ)の葉と雲

         世界はそんなにつめたく暗い

けれどもまもなく

さういうやつらは

ひとりで腐って

ひとりで雨に流される

あとはしんとした青い羊歯ばかり

そしてそれが人間の石灰紀であったと

どこかの透明な

地質学者が記録するであらう

 

宮沢賢治 詩集 春と修羅 第三集  宮沢賢治詩集 草野心平編 新潮文庫

「地質学者が記録する」というところが近代だなぁ・・・と感心するワガハイであった。人間たいして進歩なく、でも諦めることなく・・・ああ選挙だねぇ。あまりにも候補者がつまらないねぇ。

 

※ お題はまだ終わってなかったのね?2021年10月27日に確認。