Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

再読「東洋の理想」

付箋だらけ

岡倉天心の「東洋の理想」を読み返した。何年振りの再読なのかは判然としないが、前回読んだ時に気になったトコロに付箋を貼っておいた箇所に、今回も何らかの反応をしたワガハイであった。

そして追加の付箋も多かった。

というコトから、この講談社学術文庫は付箋だらけとなった。

だが、これだけ付箋を貼りまくったからといって、ココからナニか展開が生ずる気配はない。ただ、付箋を消耗しただけかもしれない。

この本については当ブログでも、同じく岡倉天心の「茶の本」とともに何度かお勧めしている。別に、この本の内容が正しい考察とは言えない点もある。時折、あれれ?そうだっけ?と思う歴史認識もあるのだけれど、それは書かれた時代の歴史認識だったのかもしれないので、間違いとも言えないけれど。

 

岡倉天心は、1862年に生れ、1913年に亡くなった。つまり50年の生涯だった。そしてこの「東洋の理想」は、1903年にロンドンで刊行されているというので、40歳の頃に刊行されたワケだ。もっとも何年この構想を練って書き上げたのかの詳細は知らんからナンだが、概ね30代後半に構想されて、刊行前年に頑張った・・・といったトコロだろうか。

つまり、30代のモノの捉え方が書いたワケだ。

今回の再読において感じ続けていたコトは、彼の若さだった。エネルギッシュであり、やや過剰な外連も鼻についた(60代のワガハイが読むと、なんだか眩しさを感ずるねぇ)。だが、ハッタリも効かせなければ世間は見向きもしないモンだ。そうして本質を踏み外すっていうのは相場なんだが・・・この本はそれほど大きく外してはいないだろう。

 

さて、通読せずに一節のみを抜き出すのは解釈を誤るコトに繋がるが、ワガハイの備忘録として一つだけ、ココにメモしておこうと思う。

そして事実、現代の芸術を語る批評家には、常に、おのれの影のみを踏み、日没
の斜陽が彼の背後の地面に投ずる巨大な、あるいは多分奇異な姿を驚異の眼で眺め
つつ、そこにのみ低徊するという危険がある。
◇「東洋の理想」講談社学術文庫 十四 明治時代( 一八五〇年-現在)p.180 l.2~

ニーチェを思い出しながら、この記述周辺を読むコトになった。なんか、岡倉天心ニーチェ多重露光のような感覚を覚えた。そしてコレは明治時代のコトを書いているとは言えず、まさしく1850年から2023年の現在に至るまで、全く状況に変化は無いと、ワガハイ的には思うのだった。

 

まあ・・・岡倉天心の本を一冊お勧めするならば「茶の本」だけど。

茶の本」は、読んでおいてイイと思うけれどねぇ。芸大の油絵科出身者でさえ読んでなかったりするからねぇ。それで五浦(茨城県)の「六角堂観瀾亭」には出かけてスケッチなどしている。文字読むよりも、彼の大学生にとってはリアリティがあるんだろう。

etsuro1.hatenablog.com

それにしても、岡倉天心がもう少し長生きされていたならば、どの様な見識を得て、言葉を残したのだろうか?死因は慢性腎炎だったという。そして腎臓疾患の定番の尿毒症・・・ワガハイの父方の祖母も、戦後まもなく同じ病で40代で亡くなっている。父親から聞いた尿毒症の最期からすると、岡倉天心もなかなか辛い死を迎えたのだろう。透析なんて治療はなかっただろうから。