Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

汝は汝の道を切りひらきたり・・・かぁ

このところ、ややシビアな内容のブログが続いている。

恐縮です!

 

まあ、人の世は理不尽なモンだろう。そもそも「理」なるモノを持ち出すコト自体が、忌み嫌われるってなモンだろう。故に「神は負け続けている」ってなワケだ。

まあ・・・神は理か?と言われれば、そ~でもないか。

というか、こりゃ「神学 vs 哲学」の長年に渡る論争だから、ワガハイがアレコレ思考したところでど~にもならん。ただ言えてるのは案外、神学も哲学も喧嘩する程仲が良い・・・かどうかはともかくとして、似た者同士だと思うが。

お!ビッグモーターやないかい? (神奈川県小田原市

昨日のワガハイが小学校でえらい目にあった件も、果たして我が親父の職場での対処がど~だったのかはワカラン。親父にハラスメントは無かったのか?と考えるとワカラン。ただ、昭和40年代の社会の常識の様々なコトが、現在ではアウトになっている。常識は変わった、社会は変化した。それは良い方向に変化しているかどうかは、分からない。ただ、現在の常識と、これから目指そうとしている地平の価値観に照らし合わせると疑問を感じはする。

etsuro1.hatenablog.com

〇〇さんというのは、安保闘争でアチコチの大学が閉鎖されていた世代だ。そうした世代にもまた、独特の世界観があって、ワガハイが知る範囲でのそうした世代の方々は、戦前・戦中派の価値観に対しては否定的だった。それこそ戦前派である我が父とは、反逆の対象であったかもしれない。

そう、あの世代は、ナニゴトも否定して始めるフシがあった。それは美術表現を観察すれば分かる。

もの派

コレなんて典型的だろう。破壊や否定というのは強力なエネルギーを生じさせるから、創造の元であると・・・そう言われるからねぇ。ある作品を前にした時に、ナニが壊れてナニを得たのか?ってな観方はあるから。

 

様式や形式は壊れるモンである!それはつまり偶像崇拝の否定というコトの意味にも通ずると、ワガハイは思っているけれど。

様式化と形骸化は同時進行する!

単に偶像を作らず、偶像を認めないコトが偶像崇拝の否定ではないだろう。偶像にどの様な意味が込められているか、というコトがなおざりにされたなら、それは偶像以外のナニモノでもあるまい。いや、それはガラクタだろう。

というワケで、日本全国の美術館の収蔵庫はガラクタに溢れている。そしてそのガラクタからナニを読み解いていくか・・・ってなコトは鑑賞者に委ねられている、っていうのが、日本の現状だよなぁ。だから現代美術っていうのは、概ね大した思想を背負ってはいないし、表現の必然っていうのも・・・まあ、欲望はあるけれど。

特に日本のコンセプチュアル、ミニマル・アートは・・・酷い。

つまり、表現の時代背景が、ソレだけ酷かったというコトだろう。

以後、美術も音楽(演奏家)も保守的に見える昨今・・・伝統を引き継ぐって言っても、日本での西欧美術や音楽には・・・無いからなぁ。

 

いずれ枯れてしまう方法論や技術でも、ソレが無ければとりあえず社会は困りましょう。だからクルマのエンジンを修理する技術も必要ですよ!と。例えば、これからの若者が整備士の資格を採っても、ソレで一生やっていける・・・だろうか?

では、変化が早い世の中で、一生やっていけるってなんだろう?政治家?

やがて政治家もAi化されるかねぇ。だが、Aiが導き出す最短の世界平和の道を、人間という動物は素直に受け入れるかねぇ?

都合の悪いAiの導きは、前提をいじって都合の良い結果が得られるまで頑張るっていうのが、人間という動物の姿だろう。

都合の良い占いが出るまで、占い師を変える・・・みたいに。大吉が出るまでおみくじを引き続けるみたいに。

案外、科学は死んでいるのかもしれない。コロナ対応もそうだった。だとすれば、神を殺し、科学を殺し・・・ナンでも否定して破壊し続ける(ガザ地区とか)っていうのは、ど~なんだろうねぇ?

 

来れ、汝
永遠の剣よ!
仏陀を殺し
達磨を殺し
汝は汝の道を切りひらきたり

茶の本岡倉天心 著 桶谷秀昭 訳 講談社学術文庫より

 

上、引用先をイメージしつつ・・・。