Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

切れかかった電球のようなワガハイの記憶・・・突然一節が不正確に思い出される

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ロシアものを探してみた

我家の中に、ウクライナ製のナニかがあるだろうか?すると、ナニひとつ直接的な製品としては見当たらなかった。キエフのお土産・・・そう、知人が昔々キエフに行ったが、その時のお土産ってナンだっけかなぁ?と記憶を探ったが・・・たぶん、お土産は土産話だったな。

そこで、ロシア製のナニかが在るのだろうか?と探してみるが、コレもとりあえず思い当たるモノは無かった。

改めて家の中のモノでナニ製が多いのかと、ザックリ見渡してみると国産、中国、ベトナム、タイ、台湾、イギリス、アメリカといろいろあるが、案外フランス製が多いことに気付いた。

ティファールル・クルーゼプジョー製の胡椒ミル、ボルドーのワイン・・・

ロシア製は、たぶん無い。

 

ただ関連するモノとして、展覧会図録や書籍では「芸術と革命(西武美術館・1982年)」、「トルストイ全集(河出書房新社)」の一部、そして「チェーホフ 桜の園・三人姉妹(新潮文庫)」が書棚の中ですぐに見つかった。なんか・・・他にも展覧会図録はあったような気がするんだが・・・。

 

●芸術と革命(西武美術館・1982年)

これは開催当時、画期的な展覧会として話題になった。(まあ、今でも話題になるコトのある展覧会だがねぇ・・)ワガハイもエラく若かったから池袋まで見に行った。マレーヴィチの作品見たさ、ってぇヤツだったなぁ。そして若すぎたんだな、やっぱり鑑賞するためには知識も人生経験も不足していると実感した。だから分厚い図録を購入した。いずれ図録を見返して、展覧会を思い出しながらナニガシかの思いつきに結びつくかも知れない、と思ったのだ。

それでペラペラと眺めていると(評論家の長々とした文章は読む気にならない)、カジミール・セヴェリーノヴィチ・マレーヴィチ(西武美術館の図録ではマレーヴィッチとなっている)のページで手が止まる。やっぱり色彩の使い方や構図のバランスっていうのがワガハイ好みなんだなぁ・・・

マレーヴィチって人は、1878年キエフ近郊で生れている。そして1935年レニングラードで亡くなっている。図録掲載の作品は「国立ロシア美術館」、「レニングラード国立演劇博物館」といった所蔵先が記されている。

ああ、こんな情勢ではこうした美術作品との再会っていうのも、もうあり得ないコトになってしまうのかねぇ。

そりゃあ、ウクライナ侵攻という危機的な現実において、美術がど~た~こ~た言ってる場合じゃない!って怒られるかもしれないが、人の命の次には文化的遺産っていうヤツのコトは気に掛かる。ウクライナの地にある博物学的な標本っていうのも、気になる。国家っていうのは、都合の悪い表現ってぇヤツはもみ消すからなぁ。

 

トルストイ全集(河出書房新社)初版 昭和48年2月19日

ワガハイが持っているのは昭和54年5月25日3版だ。思い出の本で、伯母からプレゼントされた本の一つだ。伯母曰く、トルストイの初期作品っていうのは面白いらしい。勿論時代背景などに知識が必要だし、政治体制が異なるコトも考慮しなければ読めないから難しい・・・というコトだったが、とにかくそのうちに悦朗も興味深く読めるようになるかもしれないから、というコトだった。

ワガハイ、いまだに読みこなすことは出来ない。文章が長いしねぇ・・・(でも展覧会図録の長々とした評論家の文章よりは、時間を掛けて読む意味はあるだろう)。この本を開くと、冒頭は「コザック――カフカーズ物語――」である。これがまた長くてねぇ・・・昔読み始めて途中放棄したんだな。

長編小説っていうのは、読んでいる途中で忙しくなって中断するとダメなんだよなぁ。ワガハイ的には一週間途切れるとダメだな。というワケだから、どうしようか?これ、再読チャレンジ出来るかなぁ・・・。

そしてこの本の最後には「ロシヤの兵隊はどんな死にかたをするか」である。〈一八五三年、私は、カフカーズでももっとも景色のいい、もっとも物騒な土地のひとつであるチャフギリの要塞で、数日を送ったことがある・・・〉という書き出しの短編である。

なんかねぇ・・・ロシアっていう国も行きつ戻りつ、なかなか進んでいかないようだなぁ、と思う。こりゃあ、少し本腰入れてトルストイを再チャレンジしてみるか!なぁ・・・

 

●「チェーホフ 桜の園・三人姉妹(新潮文庫)」

これは鈴木忠志さん演出の、その時は既にSCOTだったかなぁ?ギリギリ早稲田小劇場だったかなぁ?とにかく白石加代子さんだったねぇ。しかも西部美術館で演劇やったんだよなぁ・・・あれ?だいぶ記憶が曖昧になってきたが、概ね間違ってはいないと思う。その演目が「桜の園・三人姉妹」だった。

まあ、言うまでもなく「桜の園・三人姉妹」なんだが、ありゃあ、面白かった。

それで、またも一節が思い出され、該当箇所を探索して見つけたので、以下にメモしておこうと思う。勿論、全体の中の一部だから、コレだけで解釈するのは誤りのモトなんだが、とにかく思い出したことなんだな。なんで大雑把ながら、この一節を思い出したんだろう・・・ワガハイの記憶も、フィラメントの切れかかった電球のような感じになってきたんだろうか?

あっ!これってもう分からない世界なのかなぁ・・・LEDだもんなぁ。

トロフィーモフ ロシアじゅうが、われわれの庭なんです・・・(中略)・・・われわれは、少なくとも二百年は後れています。ロシアにはまだ、まるで何一つない、過去にたいする断乎たる態度ももたず、われわれはただ哲学をならべて、憂鬱をかこったり、ヴォートカを飲んだりしているだけです。だから、これはもう明らかじゃありませんか、われわれが改めて現在に生きはじめるためには、まずわれわれの過去をあがない、それと縁を切らなければならないことはね。過去をあがなうには、道は一つしかない。―――それは苦悩です。世の常ならぬ、不断の勤労です。そこをわかってください、アーニャ。

チェーホフ 桜の園 神西清訳 新潮文庫