ついついウクライナの地図を見てしまう。ドニエプル川沿いの ザポリージャという街のストリートビューも見てしまう。そして侵攻されたと報道された、破壊される前の街並み・・・既に失われた世界を見てしまう。
悲しく、虚しく・・・こういう画像を見ていると、画像の意味が以前とはまるで変わってしまって、あまり長い時間、ストリートビューの中を彷徨い歩くことは止めたほうがいい、と感じた。これ、メンタルやられるわ。
ザポリージャにある「Restoran-Teplokhid Korneychuk」という評価4.5、クチコミ91件のクスクス料理店というのを見つけた。これは・・・船のレストランなのだろうか?ドニエプル川沿いというよりも、ドニエプル川に浮いているみたいだから、場所はすぐに分かるだろう。
コロナ禍の最中に大丈夫だったンダロウか?という疑問はあるが、レビューには楽しそうな画像も数枚添えられている。それは数ヶ月前の画像だ。
原発攻撃でザポリージャという名前を聞いた時、そういえばそんな名前の街もあったような・・・といった認識であった。ワガハイ、ウクライナのコトをロクに知ってはいない。とにかく原発はザポリージャ中心街から50~60km、ドニエプル川を下ったところにあることは分かった。
衛生画像から確かに原子炉6基が見える。炉を冷やす都合から川沿いだろうと見当つけていけば、すぐに見つけることが出来た。対岸にはニーコポリという街がある。そこにも素敵なカフェがあり、美味そうなピザ屋があり、Maiami(!)という名前のホテルがある。
今、そこに平和はない・・・か。
ところで、ジャパネットで買物をしたコトはあるだろうか?ワガハイは数回購入経験がある。最初は掃除機だったな。下取り価格っていうヤツだ。粗大ゴミで捨てるのも手間がかかるモノを下取りしてくれるのは有り難い。それがジャパネット購入の最大の理由だった。定期的にカタログが送られてくる。滅多に買わないのに立派なカタログが送られてくるんだが、割が合うのかねぇ?
ま、ペラペラとカタログを眺めながらも、災害や戦争が始まったら購入したモノのナニを持って逃げるコトが出来ると言うのか?と感じてしまう。身の回りにモノが多いなぁ・・・もっとカタチではないコトを問いかけ、求めてもイイんだよなぁ・・・などと思ったトコロ、昔読んだ本の一節が思い出された。
コレがねぇ・・・雑学のカタマリゆえにナンの本だったかすぐに思い出せないんだなぁ。それでそんなコトを書きそうな本を数冊取り出してみるものの、サクサクとページを斜め読みしている程度では見つからない。大抵はそういうモンだ。
だが、今回は割とすんなり見つかった。
問うことはすべて、探し求めることです。探し求めることはすべて、探し求められるものから、予め方向を決定されています。問うことは、存在するものが「あること」、また「こうあること」において、存在するものを認識しながら探求することです。
清潔とはすべて、ゴミを探し求めることです。探し求めることはすべて、探し求められるゴミから、予め方向を決定されています。清潔とは、ゴミが「あること」、また「こうあること」において、ゴミを認識しながら探求することです?????
掃除機と時間 序説 ゴミへの問いの形式的構造? 悦朗 著 (打消し線は便利だな)
平和を問うことも探し求めるコトなんだろうねぇ・・・そして「平和」から予め揺るがしがたい決定的な方向性を示されているんだろう。「平和」を認識しながら探求することです・・・昔読んだ本の一節を、読み替えながら思い出した。それはハイデガーの代表的な本の一節だったんだな。
ウクライナはコサック・・・コサックダンス(ホパーク)っていうのも、思い出した時に忘れないようにメモしておこう。