一昨日、昨日に続き、神奈川県秦野市東田原の「源実朝公御首塚」である。たぶん、本日で一通りこのネタは書き終わると思う。
立春も過ぎて、春の光は日に日に力強くなってきている。冬至で最も弱くなった太陽の光は、風前の灯火のように弱々しく思う・・・っていうのは言い過ぎだろうが、高緯度の地域では当てはまる感覚ではなかろうか?
その弱くなった光に僅かばかりの力強さを感ずるタイミングにクリスマスがあって、立春を過ぎるとイースターで復活日となる。これはキリスト教の教会暦の話だが、つくづく様々な暦ってぇヤツを見ていくと、良く出来たものだなぁ・・・と感心する。ワガハイの記憶が確かならば・・・鎌倉の覚園寺だったか、立春の頃だけ堂内に光が差し込んで、仏像が明るく見えるんじゃなかったっけ?そういう計算されたモノもいろいろあるよなぁ。
ま、この「源実朝公御首塚」は、そうした光に関する劇的なものはなさそうだが・・・屋外だしね。その代わりに植物たちが様々な表情によって盛り上げる場だろう。背景の表丹沢の山々も、そう簡単には様子を変えるコトは無いだろうし、里山の風景が長いこと保存されることを願うな。
ま、ここからは目立たないけど、第二東名の工事が進んでいるケドね(完成間近)。
「実朝まつり実行委員会」というのがあるみたいだ。そのように書かれた自治会広報板のような作りのものが立っていた。そこには「秦野俳句協会」の「投句函」も置かれていて、歌や俳句が盛んなのだろう。
定型句って、ハマったら面白いだろうな。写真ってぇヤツも、ちょっと定型句的な要素があると思うが、趣味としては一句詠む方がナンかイイように思うなぁ。写真マニアっていうのもいろいろあるが、機材マニア、クラシックカメラのマニア、写真集マニア、撮影マニア(この中には草花・鳥・鉄道・・・というように被写体によって分化されていて、相互交流はあまりない)など、多岐にわたる。
趣味としての写真っていうのは、案外面倒なもんだ。ワガハイ的には撮影会みたいなのって大嫌いだがね。デジタルになったんだから、撮ってその場でプレビュー出来るんだから技術もなにもない。サッサとガツガツ撮ればよろしい。さして学ぶコトなど無いわなぁ・・・と思うのだが。
俳句の方が、あ~でもない、こ~でもないと、集まってアレコレ出来そうな気もする。でもまあ、そこには師匠がいて、それはそれで面倒なコトもあるのだろうか・・・ま、人間社会だからな。
短歌、俳句も上手く綺麗に言葉並べても、なんか上手いコトまとめやがったなぁ・・・的に感じてしまうことも多々あるからなぁ・・・師匠の作品とかね。それって絵画教室でも写真教室でもアリアリだけど。
生徒さんの作品の方が面白い!ってコトはしばしばあるわなぁ。やっぱりゲ~ジツは手練れになっちゃあイケンわなぁ。生前の岡本太郎さんって、遠巻きに姿を見かけたコトがあったが、
「んんん・・・、素人!イイ!」
ってなコト言ってニコニコしていたな。でも、岡本太郎さんの「爆発!」ってぇヤツは、決して華々しく明るい爆発ではなかったと思う。闇を抱え込んだ内なる静かな爆発っていう感じもあった。憂いや悲しみあっての、明るさであろう。そしてその明るさを、闇は理解しなかったんだねぇ。※
ま、岡本太郎さんは洋画家だったからな。西欧絵画を学ぶうちに、伝統的なそういうコトも受け継いでいたのかも知れない・・・というか、キャンバスに油絵の具で描くっていう行為自体が、そういうコトを内包しているからな。
絶望的とも思える200号の広大なキャンバスは、荒野であって、或いは光だけの世界であって、ど~にも手強くて立ち尽くすのであった・・・ああ、若き日の無謀なるワガハイの冒険の記憶。ワガハイ、この世界に闇を持ち込むのであろうか・・・そういうコトもあるんですな、描くってぇコトは。
とにかく「実朝まつり実行委員会」というのがあるんだから、「実朝まつり」っていうのがあるんだろう。ワガハイ、その祭りを見たコトはない。情報によれば毎年11月23日に行われるらしい。
祭りっていうのも、陰影があるからなぁ・・・なんか、苦味のような感覚が幼少期からあってねぇ・・・それは屋台で買って貰った肉桂(ニッキ、シナモン)の香味と重なっているからだろうか?
それはともかく、陰影を味わうというのは、あらゆるコトであるわなぁ。酒の香味もそうだけど。
上画像、左側からポストを使った「投句函」があって、その右隣に謎のプラスチック製の箱がある。そして「秦野俳句協会」の木製立て札が並んでいて、自治体掲示板風の中に句が並んでいた。
謎のプラスチック製の箱・・・コレってナンだろうねぇ?中には雨水が一杯に溜まっていた。冬だからまあ・・・大丈夫かもしれないけど、暖かくなってくるとボ~フラの巣窟になって・・・やがて蚊の皆さんが驚喜乱舞するコトにならねば良いが。
ワガハイ、どうも本体とは無関係なコトが気になって仕方ない質なのだ。結局、この「源実朝公御首塚」「金槐和歌集」について、大して有用なコトなど書いていない。でもまあ、ど~せ情報は詳細に書いてもコピペになるし、有益な情報は溢れているからな。だから、無益な情報を提供するワガハイであった。
まあ、訪ねたところで「源実朝公御首塚」、石段の上に石が積み上げられているだけである。ソレだけのコトである。だが、ソレだけではないところが滋味深く心に迫るのだな。実のところ、ワガハイはこの場でウクライナ情勢を憂いでいるばかりだった。源実朝公を思いつつ・・・
※ 〈光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネによる福音書 1章05節)〉のパクリである。