カクカク シカジカ・・・ああ言えばこう言う・・・大使館の言い訳は本当にトップと一致しているのだろうか?その場しのぎの個人的見解が混ざってはいないだろうか?
殿のご乱心説ってぇヤツは、やっぱり出てくるもんだなぁ・・・と実感がわく。ヤバイ企業のトップの判断ミスだとか、狂っているとしか思えない場面っていうのはあるからねぇ。
ウクライナの問題でテレビ番組には専門家の方々が登場している。それぞれ立派な肩書きを持たれた方々なんだが・・・やっぱり独裁者の心理・思考なんて想像出来ないだろう。それにゼレンスキー大統領の言葉に対してのコメントも、な~んか・・・的外れ?
〈求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(マタイによる福音書 7章 7節)新共同訳 〉という言葉のムードっていうのは、共有出来ないだろう。結果的に動くか動かないかはともかく、ゼレンスキー大統領の願いは、EUに共振を与えているだろう。日本への共振は弱いかもしれないが・・・コードってぇヤツは、官能的なのだ。
独裁者への憧れを持っていたのではなかろうか?と感じていたトランプ氏、その発言に「プーチンは天才・・・」っていうのがあったが、トランプ氏の憧れた世界を走る独裁者への、額面通りの讃美なのだろうか。このコメントに皮肉が込められているのだろうか?これはよ~ワカラン・・・ワガハイは独裁者ではないからなぁ。
だが、案外バイデンさんよりはトランプ氏の方が、プーチンの欲望をより受け止める能力はあるかもしれない。餅は餅屋、ってぇヤツだ。
どのみち、民主主義であろうと無かろうと、トップを妄信するのは危険だからなぁ・・・。
民族や国民性っていうのも、本当にあるんだかど~だかワカランが、人間という動物の持つ習性から離れるコトは出来ないのは間違いない。ただ、アタマデッカチになってしまったから、コトがヤヤコシクなっただけだ。
質素でも我家で暖かい食事をし、安眠して生活出来れば、それが幸せ。それ以上は付加価値なんである。だから食事に旨酒が加わるっていうのは、相当に恵まれたコトだということは間違いない。だが、それに止まることが出来ないというのが動物「人間」の習性だ。
〈重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。(マタイによる福音書 19章24節)新共同訳 〉
この一節の解釈は、モノの見事に躓きますな。もう、聖職者でさえ納得のいく説明をしてくれなかったからねぇ・・・そして面白いことに、この一節をまるまる若かったワガハイに投げかけて来た人がいた。その人は臨済宗の坊さんだったんだが、ワガハイなりの解釈をした。いい線いってたらしい。
どの様に解釈するか・・・それはまあ、執着を捨てれば自ずと分かるもんだな。死にそうな思いをしたコトがあるなら、その時のコトを思い出せば分かるんじゃないか?と思う。これが正解!っていうコトを言うのは無粋だろう。
それでも、一つの不良的考え方を書いてみよう。そもそも今生きている世界は神の国・・・「御国」なんである。神が創造された世界なんである。だからそもそもあなたは今、既に御国に居る!のである。だから、針穴を通れるかどうかなんて関係ないのである。ただし、人間は御国を汚しているのである。だから罪深いのである。故に懺悔するんである。
さあ、だから酒を呑もう!論旨が飛んでいるように思うかもしれないが、酒を呑もう!針穴でも、酒はポタポタと通り抜けるかもしれない。余りにも小さな穴だったなら、圧力をかければ酒は勢いよく噴射するカタチでも通り抜けるだろう。
大丈夫だ。金持ちのアナタも、ワガハイについてくれば酒が呑めるぞ~っ!
ちょっと不良すぎるかなぁ・・・ま、死んでしまえば身体さえもあの世に持っていくコトが出来ないんである。そのダメ押しの例えとして、川の手前には追剥ぎババァが居て、渡し賃をもぎ取られるんであろう。それは、ナニ一つ持っていくコトは出来ないっていう教えなんじゃないか?だから棺桶にいろいろ入れたって、入れなくたって関係ないよなぁ・・・それでも入れる人っていうのは、そういう煩悩の現われなんであるな。
それでも、ワガハイの棺桶は粗末でいいから、旨酒を振りかけてから棺桶の蓋を閉めてくれぃ!これがワガハイの煩悩だな。
最後の晩餐も、先ずは旨酒だからなぁ。
「純米吟醸 盛升 無濾過生原酒」を呑みながら、全く残念なことにテレビからはウクライナの情報が流れていた。十分に旨酒を台無しにしてしまう内容だった。そもそも、旨酒呑んで堪能している場合か?????っていう問題もあるが、胸くそ悪いからこそ呑む。やけ酒になってくると身体に悪いし、だいたい醸造家に失礼である。
そんな旨酒を堪能するには適さない状況だったが、それでもこの酒は素晴らしい出来映えだったな。まず、少々意地悪いテースティングであら探しをしても、欠点は見つからない。そして精米歩合55%という純米吟醸酒としてはやや削りの少なめな酒ながらも雑味なく、香りは控えめながら新酒として求める”らしさ”を過不足無く表現されていて、優秀な出来映えなんである。
では、大手の酒造メーカーのような均質化されてしまった面白くない酒か?と言えば、そんなコトはなく、手作り感も漂う香味(僅かな醪っぽさの残り方?)だった。上槽は槽(ふね)なのかヤブタ(薮田式自動醪搾機)なのかはワカランが、とにかく上槽に関わる臭いは全く感じられず、水に関わる異臭も無し。それは蔵の環境や設備の清潔さが的確なんだろう。
昨日の当ブログで書いた「五百万石」の特徴とも共通する香味も感じられた「純米吟醸 盛升 無濾過生原酒」は、難しいコトを抜きにして、先ずは新酒の楽しさを味わいたい方々にはお勧めの一品だな。そして、ズブズブと米の品種による香味の深みにはまっていくなら「川西屋酒造店のお仕事」だと思う。結論はただ一つ・・・どちらも呑んで楽しむのが最高だ。
大志を抱くのはイイが、余りにデカイ欲望を抱くのは困ったもんだ。国家は大切だが、本当に国家を大切にしているのか、権力が大切なのか?
国家って、一人国家っていうワケにはいかない。ワガハイのような不良品でも頭数として国家にはかけがえのない命なんである!戦争で人を失うのは最も愚かだ。それは国家の滅亡を意味し、つまり「人間」への冒涜だろう。
「純米吟醸 盛升 無濾過生原酒」の香味世界に遊びながら、報じられるウクライナ情勢に憂い、コロナ禍の死者数に心暗くなり、また酒を呑んではその出来映えに喜び・・・行ったり来たりの感情の起伏に疲れた晩酌となった。
ウクライナの方々が、美酒に安堵する日が早く訪れることを願ってやまない。そして心あるロシアの市民の方々の幸いもあわせて。