Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

備忘録はつづく・・・「使徒言行録」と「臨済録」

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30年は使っている時計

有名なセイコーの鉄道時計なんだが、30年は間違いなく使っていると思う。故障はない。電池交換も長持ちだから少ない。ま、裏蓋開けたことはないからナントも言えないものの、電池がデカイのだろうか?

ワガハイはアレルギー持ちだが、今のところ金属アレルギーはない。だが、腕時計というのは腕で擦れるコトが気になって宜しくないので、20代半ばで止めた。その時に買った時計が上画像の鉄道時計なのだ。

別に懐中時計としてズボンのポケットに入れたりして使ってはいない。鞄の中とか、机の上に置いて置き時計のように使っていたり、壁に吊して使っていたり・・・その時々で適当に使ってきた。もしも一人暮らしで1DK暮らしだったら、特に壁掛け時計も必要なく、この懐中時計を部屋のどこかに置いておけば済むだろう。

まあ、アラームが付いて無いから、やっぱり目覚まし時計は必要かな?でも、今はすべてスマホに機能があるから、もう懐中時計も必要ないと言えば必要ない。だから無用の一品となったんだなぁ。ストップウォッチもスマホで簡便な計測なら出来るし、言うまでも無くカメラが付いているからカメラも要らない。

どうしようか?モノに過剰な思い入れをしても仕方ないコトだからなぁ・・・断捨離すべきか?そう考えると使わなくて止まったままの腕時計というのも幾つかあった。別に自分で買わなくても貰ったりしたモノがあるからな。

それで、ややイイ腕時計があって、これはいくら何でも使わないと勿体ないとかで、電池を入れ替えて復活させ、妻が使ったりしているが・・・暫く止まっていた時計って、やっぱり不調だね。クオーツなのに遅れるらしい。動かしているうちに誤差は減ってきたみたいだが。

 

ここで時計の話題にしたのは、終末時計というヤツがど~ナンだろうか?と思ったからだ。幾ら炉が冷えてきているとはいっても、電源喪失したチェルノブイリ原発っていうニュースには、ビビらずにいられようか。それが目的なのか偶発的なのかはワカランが、理解出来ないコトをやるもんだ。

日本は広島と長崎の原爆を経験し、直接経験していない世代でもその記憶を伝承し続けている。そして福島第一原発のコトも経験した。だから原子力に関しては世界で一番神経質になっている国民ではあるだろう。それに比べて他国の方が(特にお偉いさん)、その忌み嫌う感覚が圧倒的に薄いように感ずるのはワガハイだけではないだろう。

だから、核保有国の感性と、多くの日本の感性に一致点は少ないだろうなぁ・・・と思う。故に、ウクライナで起っているコトの、ロシアの感覚が理解出来ない、というよりも日本の常識の正反対に位置したモノなのではと感じている。

ロシアはチェルノブイリを理解していない(事故を経験しても為政者の欲望が勝つ?)・・・そして、戦略上のひとつの駒としか捉えていないようにも思える。

 

さて、「サウロ※1は、ステファノの殺害に賛成していた。使徒言行録8章1節 新共同訳)」にあるサウロという男は、ステファノの殉教後もなお、徹底的に主の弟子達を脅迫し続け殺そうと意気込んでいた。だが、そのサウロは回心する。そのあたりの経緯は、新約聖書使徒言行録8章から9章を読めば書いてある。それは普通に考えるとあり得ない寝返りと思われる。

何故、そんなコトが起きたのダロウカ?というのはイエスの力である!と言えば信仰としては間違ったコトではなかろう。だが、サウロはガチガチに迫害し、殺害する経験の中で回心の準備が為されていたんだろうなぁ・・・それがヒョンなきっかけで目覚めて人が変わってしまう。そういうコトは全くあり得ないコトではなかろう。

全くの逆説に転ずるのである。それは真逆に転ずるのだから、今までやってきた行いはすべて生きるだろう(まあ、酷いコトやってきたのが修行って言うんじゃ、やってられないのが現代だと思うが)。そういう回心が、プーチンに起るだろうか?(起ったとしても罪から逃れられないが。そもそもサウロの方がファリサイ派として純真だったか?)まあ、それはあまりにも奇跡に期待し過ぎるだろうなぁ・・・(回心したとして、一体ナニに向おうというのか?)

 

でも、ちょっとムシが良すぎるサウロって、ワガハイは思うんだがね。それに旧来の勢力に限界を見た、それで乗り換えたっていうようにも見えなくもない。古い教えを新しい教えにリフォームし、新しい船に乗せて旅だった・・・そういう回心にも見える。これは信仰における見方ではないだろうがねぇ。だが、サウロの回心がなければキリスト教も今日まで続かなかったかもしれない。強烈なキャラクターの男だ。

 

※1 サウロ、サウル、パウロ ローマの属州キリキアの首都タルソス生れ、ローマ没。14歳頃にラビになる訓練を始め、ファリサイ派の言い伝えを厳格に守り、律法違反者とキリスト教に改宗したユダヤ人を迫害した。イエス磔刑の2年後に、ダマスコへの途上で回心した。

 

結局、古い価値観を完全に切り捨てるコトは出来ない。そんなコトしたら我々は何処からやって来て、何処へ行くのか分からなくなる。まあ、彼の国は旧体制の崩壊というのが壁になって、現在位置が分からなくなったから、かつての価値観を求めるしかなくなったのだろう・・・か?

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臨済録」・・・変な本だねぇ

電車の中で読むのに丁度イイ「臨済録」。チョロッと読んで、ナニ言ってンだ??なんて考えているうちに降車駅を過ぎていた・・・なんていう本だ。

以下に気になる箇所を訳文で引用する。

三、上堂して言った、「この肉体には無位の真人※2 がいて、常にお前たちの顔から出たり入ったりしている。まだこれを見届けておらぬ者は、さあ見よ! さあ見よ!」

 その時、一人の僧が進み出て問うた、「その無位の真人とは、いったい何者ですか。」師は席を下りて、僧の胸倉(むなぐら)をつかまえて言った。「さあ言え! さあ言え!」その僧はもたついた。師は僧を突き放して、「なんと〔見事な〕カチカチの糞の棒だ!」※3と 言うと、そのまま居間に帰った。

※2 いかなる枠にもはまらず、一切の範疇を超えた自由人。臨済禅の代名詞となっている。

※3 乾いた棒状の糞。無位真人を絶対化することへの拒否。

臨済録 上堂 入矢義高 訳注 岩波文庫

ワガハイ、いろいろ断片的な記憶が蘇る昨今である(カチカチの糞の棒を思い出したのである)

「無位真人を絶対化することへの拒否」っていうのは、全く同意するなぁ(同意したトコロで糞!なんだろうが)。そうか、そうか、絶対化か!(こんな感じかなぁ?)