Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

記念写真はねぇ・・・干物を買いに真鶴

真鶴ですぅ~~(正面の尖がった山は大山ですぅ~~)

「昨日、一昨日と、なんか大分サービスしちゃったんじゃない?」

とは妻のコトバ。だが、もうジジイのボヤキみたいな話で恐縮かなぁ。特に「明るい部屋」に関してはある写真評論家?が小馬鹿にしていたからねぇ。

私は、なぜか自分にもわからないが、その驚きの最後の証人の一人(「反時代的なもの」の証人)であり、私のこの書物は、その驚きの古風な名残なのである。(明るい部屋 ロラン・バルト 花輪光 訳 みすず書房 p.117)

というワケで、バルトさんが「最後の証人」と言ったのが1979年なワケで、日本語訳が1985年が初版。ワガハイの手元にあるのは1985年初版第二刷だ。

いったい、今年は何年ですか?

ワガハイは古風な名残の余韻の擦れたカスみたいなモンですぅ~~。

真鶴半島にいますぅ~~

フィルムカメラのファンがおられるにせよ、デジカメも主流ではなくなり、スマホにとって代わり、更には静止画と動画の境目も曖昧になってしまった今日この頃・・・皆様いかがお過ごしでしょうか?ってなモンだ。

 

オマケに日本のキリスト教は縮小の一途を辿っている。聖母への祈りとも感じられるこの書物を、感動的に受け取る読者なんて、いよいよ皆無だろう。(仏教系も含めて、宗教全般が毛嫌いされる傾向は強まる一方な感じだけれど。)

 

脈絡なく、ボヤキがいくらでも続くねぇ。

真鶴港が見えますぅ~~

まあ、確かに写真のコトを書いているようでいて、写真論ではない感じもして、でも根幹ともいえるトコロを書いているのがバルトだ。それがコード(記号論)っていうモンではあるけれど。単に写真のコトというワケではないからねぇ。「写真についての覚書」を通してナニを語っているのか?それは記憶と記録、そして認識のコトだから。

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。ルカによる福音書 22章19節 新共同訳)

「わたしの記念・・・」に関わる写真・・・19世紀の近代化の流れの中で、そのように置き換えられていった「写真術」なのだ!それを実感するにはペテン師ダゲールを参照するのではなく、やはりニエプスとタルボットだからねぇ。

最も大切なコトは、新しいコトに載せ替えられて存続していくコトもあるから。

明治大正期の日本は、今よりも余程、聖書の内容が一般に知られていたから、写真師はこういった不思議な物語のたとえとして、写真術を受け取っていた・・・という人もおられた。それはチャンと写真館という職種の使命の元となっていたからねぇ。

真鶴半島 琴ヶ浜ですぅ~~

どうせまた、バルトさんのチョットしたブームが来る時もあるんだろう。そん時にゃあ、再び表面を滑走するような読解が繰り返されると・・・ますますナニ書かれているか分からなくなって、遂には神秘主義として打ち捨てられる運命にあるのかもしれない。

もう捨てられているか・・・写真評論家?が小馬鹿にしてたんだから。

やっぱり、光学的な現象を物質に置き換えるという、フィルム(アナログ)カメラの時代だったからこそ、リアルな「明るい部屋」だったんだろう。しかもガラス乾板の時代なら尚更だ。ダゲレオタイプとまで言わずとも。

 

なんか・・・アナログ時代を思い出しつつ、ぼやく老人ってな感じになってきたなぁ。

 

さて・・・

とにかく真鶴半島ですぅ~~

暖かくなったもんだ。

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もう、蜃気楼は見えない。そして春にしてはスッキリくっきりとした海景があった。

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干物を買いに、また真鶴に立ち寄ったのだった。

 

今日は、これから黄砂がやってくるという予報。西風が強い神奈川県南部だが、まだ視界良好、晴れ。だが先ほど、カエルが鳴いた。