Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

だいたい3000字書くと終わるな・・・コロナ禍はまだまだ終わってない筈だよな

「二度あることは三度ある」と言うが、ならば三度あったら四度あるのだろうか?新型コロナ感染者の波も、第五波があれば第六波もあるだろうと身構える。人出が増えて、加えてワクチンの有効性も徐々に下降線を辿っていく運命は証明されているのだから、軽症者続出といった第六波は、専門家の意見など聞かずとも容易に想像出来る。

全員ではないが、相当に多くの国民が経験を通して対処法を学習してしまった。第五波の収まり方は、ワクチン接種とともに経験の積み重ねの効果が現れたんだろう。毎日夕方に発表される最近の感染者数は、神奈川県でも一桁が見られることも出て来た。まあ、検査数の問題もあるが・・・相変わらず無症状でスルーしてしまっているケースはワクチン接種効果でむしろ増えているかもしれないし・・・

で、一番今気になるのは、重症者数の減少と死亡者数の関係だ。これって、亡くなられた方がおられれば、重症者数の数も減る・・・という認識で間違いないだろうなぁ?とにかく、感染者数の減少とともにコロナ禍が過去のことになりつつあるような空気を、微妙に感ずるんだが、まだまだ終わってない筈だよな。

スペイン風邪では、まわりで死者が出なくなったコトを安心して街に繰り出した人達が、再び感染を拡げてしまった・・・ということを繰り返したと、ワガハイは祖父母達から聞かされた。「何につけても詰めが肝要!」と嫌になるほど聞かされた。だから、これからの対応っていうのが、また難しいのかもしれない。ある程度の緊張感を維持することというのは、案外面倒なことだからな。

 

当ブログでは、昨年から何度もスペイン風邪について祖父母達から聞いたコトを書いてきた。以下のリンク先も読まれてない方はどうぞ! (2021年11月2日追加)

etsuro1.hatenablog.com

etsuro1.hatenablog.com

 

コロナ禍のどこか鬱屈とした感覚が流れ続けている状況で、小田急線で起ったことが京王線でも起きた。小田急線での教訓は京王線で生かされたのだろうか?事件や事故は突然起るから、咄嗟の判断と行動というのは、時にマニュアルが通用しない、訓練が通用しないことだってあり得る。一体ナニが大切なんだろう・・・報道されている映像や情報からしか分からないことだし、迂闊な判断は避けた方がいいのだが、何となく京王線での対応には疑問点がある。なんで乗客は窓から車外へ脱出し、ホームドアも乗り越えなければならなかったんだろう?あれでは身体の不自由な人は、どうにもならないではないか。

コロナ禍のどこか鬱屈とした感覚が流れ続けている状況・・・不穏な感覚に晒される中で、反社会的な思いを募らせていく人が増える・・・或いは行動に移すということはあるのだろうか?心理学などといった学問を引き合いに出すまでもなく、何らかの堪忍袋の緒が切れるというのは理屈ではないからねぇ・・・ただでさえ、生きていくっていうのは不穏との付き合い方だから、それに社会不安が上乗せされれば、いろいろ不都合なことは今後も起るに決まっているように思える。

コロナ禍のどこか鬱屈とした感覚が流れ続けている状況の衆議院選・・・そうしてあまりにも見事に落選した・・・比例復活するにしても、その屈辱の中でナニを感じているのだろう。地元有権者には信任されてないのだ。議員の立場と、そうではない立場の人間では、禊ぎに対しての感性も一致していないということのあらわれでもあるだろうな。驕り高ぶる者は地に落とされるのだなぁ・・・でもまあ、重鎮であるから比例復活・・・故にゴロタっぱを彷徨う政治家浪人を経験することもなかろう。連続政治家浪人の悲痛さというのも、目撃したことがあるからな。

麻生さんは盤石の14選かぁ・・・まだしばらくは失言を聞くことが出来るのかもしれない。これって、楽しみにしてイイコトなのだろうか・・・ポリポリ

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横須賀城址にて

昨日までの御前崎に続いて、静岡県遠州界隈である。城跡があれば立寄りたくなる。それは姫路城であるとか、松本城であるとか、立派な城よりも城跡というのがナントモ想像力と空想力、そしてなによりも妄想力を掻き立ててくれて面白い。再建された城・・・鉄コン筋クリート天守閣なんてぇのは、ど~にも無粋である。ただし、昭和の小田原城はヨカッタ・・・鉄筋コンクリートの城に象さん(ウメコ)という見事な組み合わせを堪能することが出来たからなぁ・・・あっ!これもまた村上春樹さんがナニかの小説で書いていたな。あの風景は好きでねぇ・・・あの風景と象さん見たさに何回も出かけたもんだなぁ。

そうだ!象さんってアタマいいよねぇ・・・週一回ペースで3回ほど会いに行くと、ワガハイの顔を覚えてくれたみたいだったな。最初は全く無視されたけど、近寄ってきて愛想振りまいてくれた。ワガハイが手を振ると、鼻を振って答えてくれるし・・・あれはたのしかったなぁ。

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横須賀城址の碑がたつ

で・・・横須賀城址には象はいない。観光客もあまり見かけなかった。ここは掛川市になるようだが、JR掛川の駅に出るには遠い。丘陵を越えて行かなければならないから、むしろJR袋井の方が楽かもしれない。この界隈の地名や学校の名前も、大坂、大須賀、横須賀といった感じで、似たようななまったようなのが見られる。これは掘り下げるとナニかあるだろうな。

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横須賀城址をフラフラ歩く

武家社会ってぇヤツがどんな感じだったのかはワカラン。大河ドラマ見たから分かるってぇモンでもないだろう。武家でも失言を繰り返す人っていたのかなぁ?まあ、当時は電車はなかったから、車内で刃物を振り回す輩はいなかった。そのかわり、ナニかあったんだろうなぁ・・・人間という動物は、そんなに進化してないだろう。

でもまあ「葵天下」っていう酒を造っている蔵もあるし・・・酒蔵があるっていうことは、やっぱり今以上に栄えていたんだろうな。県立横須賀高校の隣にある「三熊野神社」も立派だ。よく見ていくと通り筋に昔の面影や、想像力を膨らませるアイテムが散在しておった。

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横須賀城の図

以下、お久しぶりの書き写しで御座います。

横須賀城の歴史


 横須賀城は戦国時代末期、天正六年から八年(一五七八~一五八〇)にかけて、徳川家康の家臣大須賀康高によって築かれた城であり、当初は約六キロメートル東に存在する武田方の高天神城を攻めるための軍事拠点として使用されました。
 天正九年に高天神城が落城すると、江戸時代にかけて、城は近隣支配の拠点となりました。
 城主は築城者大須賀氏の後、渡瀬氏、有馬氏、松平氏、井上氏、本多氏と続き、天和二年(一六八二)からは、西尾氏八代が城主となりました。
  (城主は八家二十代)
 明治二年(一八六九)の廃城後は、城に関する土地や建物等が民間に払い下げられ、横須賀城はその姿を消しましたが、昭和五十六年(一九八一)五月八日、国の史跡に指定されています。
 横須賀城の特徴は、中世城郭と近世城郭の二つの構造を持っている平山城であること、大手門が二箇所にあること、宝栄地震(一七〇七)までは城内に船着場があったこと、河原石だけの石垣がみられることなどがあげられます。

 

   平成二十一年二月
   掛川市教育委員会
   大須賀町商工会

なるほど、築城者大須賀氏っていうのが、この地の名前になっているのかな?

御前崎とともに、駆け足で回ったんでねぇ・・・あらためてユックリと歩いてみたいですな。仕事の時間調整で見て回ったからなぁ・・・あまりにも急ぎ足だったんだな。

遠州灘の広がりある海景っていうのも、なかなか魅了されるんだが・・・地震が心配だ。まあ、日本は何処でも逃れられない危険だけどな(人間のもたらす危険っていうヤツも多いからなぁ・・・不法投棄は崩れてくるし、電車も乗れなくなるじゃないか!)