Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

最短・最速の方法じゃないと矢場居ね・・・その続きno続きだねぇ・・・END

f:id:Etsuro1:20200407103847j:plain

イヌフグリ

スペイン風邪の収束プロセスについて、祖母の姉はこう言った。

「いつ終わったかは分からないんだよぉ。災難が過ぎたかな、と一息つけるかと思うと、また病人がポッと出る・・・そしてまた落ち着いてきて大丈夫かなと思うと、また病人が出る、出る・・・安心できない日が続いて警戒していたら、気付くと病人が出ていない・・・だから、いつ終わったか、というのは分からないんだよ。」

Etsuro1を囲んでいた、まあ親戚のご老人たちの話だ。みな、目を赤くして話し、うなずいていたな。嫌な話しだから、もう二度と話さないと、祖母の姉に言われた。

田舎町の議員だったつるっ禿おやじは、こう言った。

「戦争は回避出来る、これも難しい事なんだが・・・これは政治家の仕事だ。だが”はやり病”は、一人一人の意識と行動で解決するしかないんだ。勿論、政治家は国全体の方針を定めなきゃならん!でもな、今は民主主義だから一人一人が世界を作っている。Etsuro1、お前もしっかりとこのことを自覚した大人になれ。」(ミミのイタイところだなぁ・・・)

 

以上、明治生れの人たちの話を、Etsuro1の記憶を頼りに再構成してみた。このような機会でも無ければ、実体験者の聞き取り話しを公表することもないだろう・・・ということでね。

スペイン風邪が流行った当時と現在では、あらゆる条件が違うし、そもそもウイルスの種類が違う。だから科学的には単純に教訓とは言えないのかもしれないな。でもねぇ・・・結局”忍耐力”が試されることには違いないだろうからな。実際、この爺さん婆さん達は、思慮深く慎み深い人たちだった、と思う。そして信心深かった・・・”心的外傷後ストレス障害”なんて言葉が無かった時代、彼らは仏壇に花と茶を絶やさず、朝夕に祈っていたな。そうせずにはいられない心の傷があったんだろうな。祈るということは「忘れない」ことだと言ったのは、祖母の姉だったな。

 

緊急事態宣言が出される・・・個人個人の意識と行動が計られるんだろう。医療関係者の使命がどうか全うされますように。市民はうかつに動かないということも仕事だし、使命だろうな。異論反論ある政策にせよ、この与えられた機会で最大限の効果を得ないと、平穏な日常が遠くなってしまうよな。