Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

「センペルセコイアの大木」を見に行く

昨日の続きから始まる。

etsuro1.hatenablog.com

いつの日からか、リニア中央新幹線と言われるようになった。その昔、我が中学生の頃だったか?リニアモーターカーと呼ばれて話題になった。微妙に浮上して走る・・・というか、地上スレスレを滑走していくようなイメージとして理解した。

その後、HSST(愛知高速交通東部丘陵線で採用されているヤツ)は2005年に開催された愛知万博に合わせて開業した・・・んだっけ?リニアっていう乗り物は、まあまあこれ規模のモノで十分なんじゃね?と、我が勝手な思いはある。

騒音や振動が少なく、急勾配でも登れるとか、通常のレールの上を車輪で走る鉄道とは違ったメリットがあるらしいHSSTという乗り物は、その路線の環境によっては十分に意義のある技術なんだろう、とは思う。

でも・・・電気食いには違いないだろう。ナニせ浮上させるには、ただ車輪を転がす以上のエネルギーが必要なワケだから。

というワケで、リニア中央新幹線超電導だとか、イロイロな技術が投入されているみたいだから、思った程の電気食いではないのかもしれないけれど・・・でも、な~んか大袈裟過ぎる技術に思えてしまう。

それはど~してか?というと、どうせ浮上させるならばしっかりと浮上してしまう飛行機でいいじゃね~か?と、思ってしまうのだ。これはど~してもアタマが古いのかもしれんが、拭い去れない。

それにリニアモーターカーで新幹線という夢は、まだ日本がイケイケだった時代の妄想から出たタイミングだったコトは、どこかアタマの片隅に止めておきたい。バブル崩壊は元より、以後の失われた30年を経過し、あらゆる世の中の前提が変わった。そういう今において、大昔の夢を実現させようとしている・・・ように、我が目には映ってしまう。

な~んか、時代錯誤?

今さら、凄く古いコトが実現されようとしている、ように思える。

つまり、実現するまでに時間を掛け過ぎたには違いない。今やコロナ禍を経て、軽微な出張如きはリモート会議で終わらせ、極力人間の移動を節約出来るようになってきたのだ。もっとも最近は再び以前のように、テレワークが廃止されるようになってはきたけれど・・・あのコロナ禍の働き方からナニを学んだのか?

とにかく、モノや人が動けばエネルギーが消費されるのだから、そういう移動を抑え込んでいく必要性について、もっと本気で取り組んでいかないと温暖化・・・いや、熱帯化は更に加速していくだろうに。

と言いながら・・・今日もクルマを動かすだろうが。

 

さて・・・

長泉院

ここは神奈川県南足柄市の「長泉院」という曹洞宗のお寺だ。大雄山線の「塚原」という駅が最寄駅になるのかもしれないが、徒歩ではナカナカの距離になるだろう。散歩というよりはハイキングに近い感じの歩きになるかと思う。しかも行きはず~っと登坂だ。ま、地図的には以下リンク先のグーグルマップで確認されたい!

https://maps.app.goo.gl/pmcZVpTLQueodP8s7

 

地元民が抜け道として利用する広域農道があって、それは山北界隈から小田原への山裾を走るルートだ。この道を使うと信号は少ないし、ワインディングだから運転が苦手な人は走らないし、渋滞も先ずあり得ないのでワガハイもこの道は時々利用する。

ただし、これからの季節は早朝には凍結するコトもあるので注意しなければならないけれど。

境内で見つけた霜柱(午後に行ったのに溶けていない)

それでこの広域農道から少し入った位置にある長泉院に寄り道してみるのは、巨木があるからだ。「センペルセコイアの大木」と、グーグルマップにも書かれているその木は、とてつもなく大きいのだ。

センペルセコイア

ま、常緑なんで紅葉は期待するものではない。ただただ巨木を見たくなったなら、ココに来れば願いが叶う。そういうモンだ。そして日本国内でのセンペルセコイアっていうのは少ないのだろう。大概はここ長泉院のモノが情報に上がる。

というワケで、案外有名な存在だ。

標準ズームで出来るだけ全体を撮ろうとする

なんか寒々しい画と思われるだろう。

とても寒かった。平地も冷えていたけれど、ココは一段と冷えていた。あまり長く居られないような冷え方だった。

説明板

  センペルセコイアの大木(長泉院)

 セコイアメスギとも呼ばれ、スギ科の常緑高木で
ある。自生地はアメリカのオレゴン州からカリフォ
ルニア州の太平洋に面した標高七〇〇メートルから一〇〇
〇メートルの山地で、巨木地帯をつくっている。湿気の多
い暖地を好み、成長が早く、大きなものでは樹高一
一〇メートル、幹の直径二五メートル以上にもなり、世界一高く
なる裸子植物として知られる。日本には明治中期以
降に入ってきたものが多く、当院のものもこの時期
で、二十二代住職大森慧範〈えはん〉師が中国天童山参拝記念
として植樹したと言われる。あまりに早く成長する
ので、昭和三〇年に樹冠を止めている。この種の大
木は、本市内では珍しい。生きた化石といわれるメ
タセコイアとは別属である。


 樹高 三七メートル
 胸高周囲 三・六メートル
 樹齢 一〇〇年

  昭和六十三年十二月
      南足柄市教育委員会