Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

目黒での寄り道・・・の思い出(追加情報・その2)やっぱり説明板の書き起こしをしたね

f:id:Etsuro1:20200626173847j:plain

よもやこのネタで3日間やるとは思わなんだ

やっぱり、画像では読みにくいという意見があり、かつ、調べたい人が画像だけでは検索出来んだろう・・・ということで、以下に書き起こしたわい。参考にしてちょ~だい。なお、一カ所”赤(校正)”入れたいところがあるんだが、原文のままとする。なんか・・・目黒区教育委員会が設置したものに訂正いれるのは・・・気が引けるんでね。ま、こう書いちゃったら訂正入れているのに等しいか?まあ、あまり気にしないことにしてほしいな。

以下、趣味に勉学にご活用くださいませ。

 

藤の庚申と庚申道【ふじのこうしん と こうしんみち】
中目黒5-6-5

 小堂にある2基の庚申塔【こうしんとう】は古くから「藤の庚申」と呼ばれています。昔、ここ
に藤の大木があったことからつけられた呼称で、今も碑の横に藤の木があり、春
には美しい花をつけます。
 左側の駒型の碑は1m以上もあり、合掌六臂【がっしょうろっぴ】の青面金剛【しょうめんこんごう】や三猿などの図柄が彫
られています。また、「為両親二世安楽也」という願文や造立された月日を示す
「貞享【じょうきょう】元甲子年十月下旬」(1684)の文字が刻まれています。
 右側の小さな板碑【いたひ】型のものは元禄元(1688)年の造立で、上部の左右には
日月の図柄が彫られ、中央には「南無青面金剛」と文字が刻まれています。現在
は摩滅してしまっていますが、記録よると下部には「申【さる】ノ形」という文字が縦に
3列並べて彫ってありました。これはおそらく、三猿を文字で表したものと考え
られます。
 藤の庚申の前を通る道は、東へ進むと長泉院【ちょうせんいん】や十七が坂を通り、道沿いには
「馬喰坂上庚申塔群【ばくろさかうえこうしんとうぐん】」や「十七が坂上庚申塔【じゅうしちがさかうえこうしんとう】」など多数の庚申塔があることから、
庚申道と呼ばれています。現在では細い道ですが、古くは目黒不動尊方面と宿山【しゅくやま】
方面(現在の上目黒・東山方面)を結ぶ主要な道であったといわれています。
平成29年3月
目黒区教育委員会


※【 】内はルビ Etsuro1により適宜送り仮名も含めて表記/改行は説明板の通り(ただし、閲覧機材の都合により反映されない場合はご容赦!

 

結構この地域、庚申塔などいろいろある場所みたいだねぇ・・・新型コロナが終息したら、改めてじっくりとこの辺りを散策してみたいと思うねぇ。