Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きするろーじんの戯言記録

絵葉書・・・「伊香保・榛名山」

朝からメインのデスクトップPCでのお仕事をし・・・やけに暑いなぁ、と思ったらエアコンを入れてなかった。部屋の温度は27℃みたいだけれど、PCやUPSからの排熱が感じられるというコトか。

そうなると、ノートPCの方が発熱は少ないか?朝からノート単独で作業しているならば、暫くはエアコンを使わないでもナンとか過ごせるのだから。

 

ところで、相変わらず庭ではセミの抜殻が大量発生しているみたいだ。なんか、妻の様子からすると、いたるところでみつかるらしい。いったいど~なっているんだろう?

こうなってくると、実はセミの幼虫によって植物の生育に影響が出ているのかもしれない。

でもなぜか、ドウガネブイブイのような迷惑感が漂わないのは、要するにセミはブドウの葉を食害しないからだ。そのドウガネはこのところ、その姿が減った。なぜだろう・・・もう、繁殖活動も終わり、産卵も終わってしまったのだろうか?

いちいちドウガネのライフスタイルなんぞを調べる気にもならんが・・・って、本当は正確な防除を行うならば生態は知っておくべきだけれど・・・ひょっとしたら既に我家の狭小庭にも産卵している、と、考えた方が現実的なんだろう。

ま、そのうち、庭の一部を掘り返す時もあるだろうし、来年は鉢の植替え作業も行わないといけないから、その時に幼虫を退治すればイイことにしよう。

 

室内では微妙な断捨離を行おうと、少しずつだが封印されていた箱などを開けている。その為に昨日、一昨日と絵葉書のコトを採り上げた。そして本日も絵葉書ネタとなる。ここ暫くは絵葉書ネタかもしれない。

これもなかなか古い絵葉書

昔々、キャンプ用にニトリで買ったテーブルクロスを敷いて、その上に絵葉書を載せて撮影している。少々皴だらけなのはご容赦。

 

このような古い絵葉書だけど制作年が不明で、著作権がど~なってんのかワカラン。著作権切れになっていると確実に言い切れる感じとも思えず・・・という理由で、一枚一枚をスキャニングして明瞭にアップするコトは避けている。

一枚だけ縦構図があって並べ辛い

本日は「伊香保榛名山」。

 

そしてコレもワガハイが行ったコトがない伊香保だけに、誰かの土産?(親父の持ち物が紛れ込んだのか?)

だけど子供の土産に伊香保温泉って・・・喜ぶか?

ワガハイ、幼少期に温泉に行きたいなんて思わなかったからなぁ。行きたかったトコロは上野動物園で、その頃はパンダなる動物の存在も知られてなかった時代だから、キリンとか、シマウマを観たかったのだ。

インド象さんは小田原城に居たからねぇ。別に上野まで行く必要はなかった。

小田原市 | ゾウのウメ子について

小田原城は北条氏ではなく、ウメ子の居城だったから!?

 

それで、話を絵葉書に戻すけれど・・・

上の画像からの拡大で恐縮ですぅ~

この絵葉書セットで一番引っかかったのは、コレだな。このコトをわざわざ表記する時代だったのだなぁ。

そして著作権関係は「春耕社納」という記載から、春耕社という印刷屋?デザイン会社?があったのだろう。そこが作ったと、いう、コト?でイイんだろう・・・か?

 

ま、とりあえず春耕社で検索をかける・・・

 

先ず、大阪堺市と新潟の春耕社が出てきた。これは建築?不動産??みたいなので違うだろう。そしてもう少し画面をスクロールしていくと・・・

www.ir.nihon-u.ac.jp

これは・・・案外、ビンゴ!じゃね?

 

時代は明治34年、伊豆に生まれた上田彦次郎さんは・・・

芝区愛宕町(現在の新橋)にあった絵はがき製造・販売の日新社に入社。全国の観光地を駆け巡って名所を撮影しては絵はがきの注文を取り、売りさばいた。その後、大正15年に独立して、上田春耕社を興す。(上リンク先より引用)

で、〈日本観光写真連盟の中心メンバーの一人としても活躍した〉という記述もあることから、何となく昔々に聞いたコトがあったような気がしてきた。ガラス乾板で撮影しまくった人だ。

いや~~、ガラス乾板は使ったコトないねぇ。4×5とか、8×10はアルけど。

上田彦次郎さんについては多くの記述が為されているから、ワガハイが書いてもコピペだらけだからやらんケド、興味のある方はサクッと調べて下され。

 

主な活動は伊豆エリアになってくるみたいだが、全国を巡って撮っていた時期もあるし、その道の専門家だから各地からお仕事の依頼もあったに違いない。

 

だが・・・撮影年は推定出来ん!

ファッションに詳しい人ならば、着ているものから推定出来るかも知れんが。

戦後は戦後、なんだろう。昭和20年代後半~あたりか、も、しれない?