Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

機能が不可逆的に回復不能になる点・・・再読「唯脳論」ワガハイならば「唯酒論」?

昨日の続きという部分もある。

昔読んだ「免疫の意味論 多田富雄青土社」のコトに触れたので、ならばだいたい同時期に出版されたと思うのだが「唯脳論 養老孟司青土社」がある。著者が養老孟司さんなので、コチラは読まれた方も多いのではないかと思う。

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かつて話題となった「唯脳論

まあ、「唯物論」「唯心論」ではなくて「唯脳論」とはキャッチーなタイトルが付いたモノだと思う。ワガハイ的には「唯酒論」というのは書けそうなんだが・・・まあ、それはただの酒呑みのくだらない正当化のための屁理屈にしかならんだろう。

 

で、「免疫の意味論」を速読したので、もののついでと言っては著者に失礼だが「唯脳論」も再読した・・・ 速読である。だいぶ記憶はボヤけていたものの、概ねの内容について誤解というようなコトは無かった。やはり、若い頃は頭が冴えていたんだなぁ・・・ということで、今では別人になってしまったようだ。まあ、こうして一人の人間も旬というのを過ぎて、熟成を重ねて腐っていくものであろう。ナニも「九相詩絵巻」を持ち出すまでもない、生きながらにして「無」へのプロセスを経ているのであろう。

ゆえに、肉体の死の境界さえも曖昧である・・・まして意識まで問題にし始めたら、ワガハイは既に死んでいるかもしれないし、「お前は既に死んでいる」っていうヤツかもしれない。

・・・死体の定義は、いまだ相変わらず、明瞭ではないということである。「機能が不可逆的に回復不能になる点」を死の時点とする。唯脳論」心身論と唯脳論 p. 49より

 ワガハイ的には、「機能が不可逆的に回復不能になる点」なんていうのは、日々のことであり、あまりに日常的なことのように思うのだが?まあ、この著作をしたためている時の養老孟司さんが何歳だったのかは計算するのも面倒なんだが、今、与太話に付き合って頂けるならば、このワガハイの意見に養老さんも同感される歳頃になられているのではなかろうか?いやいや毎日死んでますな。まあ、少なくとも脳細胞はそうなんだろうからな。

 

でもまあ、若い人なら悲しむかもしれんが、この歳になってくると、脳細胞の死も、アルツハイマー病の原因といわれるアミロイドβの蓄積も、楽園への歩みにも思えてくる点はある。人によるが、ボケなければ受け入れられないモノもあるだろう。

実際には認知症というのも周囲だけではなく、当人にとっても苦しい経験なのだが・・・医療・医学・福祉は、その苦しい経験を緩和し、場合によっては貴重な経験に異化させるということが不可能ではないことを示してくれていると思う。

異化だけに医科、だねぇ~。

 

我が父の認知症に接していた時に、その父が欠落していく記憶を無理矢理繋げてストーリーとして組立て直していく言葉を聞き、時間軸の重要性というのをより強く実感した。どこまでも自身を納得させようと過去を反芻している父の姿があった。そして「オカシイなぁ・・・」とつぶやいていたから、当人も変だ?と思っていたのだ。

ボケないうちに準備しておこうと、エンディングノートなるものを作成し、「ナニかあったらこのファイルを見てくれ」と言っていたのに、いざとなったら綺麗さっぱり遺言書も含めて廃棄されてしまっていた。あらゆる重要なモノが消え去っていたからなぁ・・・実に綺麗な最期でしたな。こう言ってはなんだが、父親から一番学んだことは、父の人生の終焉への数年間の姿だったねぇ。

やっぱり、「機能が不可逆的に回復不能になる点」というのは、日々の日常にあることだなぁ・・・。

 

中間部分を飛ばして、いきなりエピローグの話になる。

「脳と身体 エピローグ」というのが〆となっている「唯脳論」・・・その一部を以下に引用する。

解剖学を二十五年やっていて、感じることがある・・・(長いので中略・興味ある方は是非とも本を入手して読まれたし)・・・「あるもの」を「ないもの」にすることはできない。脳は経験にないものを、「存在しない」とみなすことができる器官である。それはあんがい恐ろしいことである。社会はしばしば、あるものをないとし、多くの悲劇を生んだ。唯脳論」脳と身体 エピローグ p.264-265

コロナ禍にあらためて読み直してみて、ナカナカ面白い内容でしたなぁ・・・ま、養老孟司さんは、ひょっとすると照れちゃうかな?「イヤイヤ、若かった頃の著作で・・・」ってね。やっぱり最近の言説と一致しない、とまでは言えないけど、ニュアンス違うよなぁ・・・と思う点はある。でもそういうもんだ。養老さんだって日々「機能が不可逆的に回復不能になる点」を通過しているんだからな。そしてそれは新しい衣に着替えているという意味もあるのかもしれない。

 

おおっ!今日は案外まともな内容になっちゃったかな?そりゃあ、マズいねぇ。

 

注: 唯脳論 養老孟司著 青土社 1992年7月15日 第10刷版

 

サルナシの花・・・マタタビ科マタタビ属なんだよなぁ

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サルナシ 猿梨 マタタビマタタビ属 [Actinidia arguta] 撮影:2011年5月11日

キウイでアレルギーを起こすようになったワガハイにとって、サルナシも食すことが出来なくなってしまった果実なのだが、まだ、アレルギーを起こさなかった頃にサルナシを鉢植えで育ててみたことがあった。苗木をホームセンターで見つけたので購入したものだ。

上画像はサルナシの花だが、キウイに似た花である。まあ、アレルギーであっても花が咲けば綺麗だし、小さな実が付けば嬉しいもので、充分に楽しめる。そしてワガハイが食すことが出来なくても、妻が食せば良いのである。

だが、どうも栽培の加減が掴めずに、試行錯誤しているうちに枯れてしまった。水はけは重要であり、かといって水涸れはダメだということは多くの植物に共通のコトだが・・・どうもワガハイは山椒とサルナシはうまくいかない。たぶん、地植えしてしまったほうが簡単だろう。鉢植えというのはいろいろコントロール出来るのだが、ちょっとしくじれば枯れる。それが面白さでもあるし、上手くいったときの感動もひとしおなんだが。

 

ワガハイが栽培に失敗した理由には、ひょっとすると苗木そのものの品質にも原因があるかもしれない。巷の情報からすると、ワガハイが育てたサルナシはあまりに弱勢過ぎるように感ずる。入手した時の値段も、1000円はしなかった。タキイネット通販での値段は一本2500円(エルダー種)である。しかも「つくりやすい」という表示までされている。これは・・・なんかむむっ!と挑発されたような感情を覚えますな。

タネとか苗っていうのは、ケチるとロクなことはないねぇ・・・。やっぱり折角育てるならば吟味した方がいい。手塩に掛けた結果に答えてくれる、特に苗木は吟味したものの方がいい。育ってきた時にあれっ?て後悔するのは、「木」というのは付き合いが長いものだからいけませんな。

でもねぇ・・・お値段が高ければ良いという訳でもなく、選ぶポイントは信頼出来る業者から購入するという方法しかない。個人の趣味の限界である。これが業務で大量導入するならば、育苗家から直接様々なアドバイスを受けながら購入して育てるというコトも出来るだろうが。

ということで、ここ一番の時には結局、「サカタのタネ」とか「タキイ」とかで購入するというコトに落ち着く。

これはタネの話だが、由来不明のトウガラシ(タカノツメ)の苗を購入したコトがあったんだが・・・綺麗で立派なタカノツメが大量に収穫出来たのはイイが、ぜ~んぜん辛くないのである。というコトもあったからな。プロに話したら・・・

「タネだねぇ~」

この一言で終わり。まあ、なんだか血統(系統)で決まってしまうような話ではあり、気分の良い話ではないのだが。

 

桃がスーパーマーケットの店頭に並ぶ季節になった。幸いなことに桃に関してはアレルギー反応が起こらない(庭が広いならば桃も育ててみたいもんだが・・・花、綺麗だからね)。それは今のところ、なのかもしれないが、長く楽しむ為には食べ過ぎないことだろうと、気をつけて食している。やっぱりうまいからねぇ~。

本当は山梨などに行って一箱買ってきて食べまくるなんでいうことをやりたいのだが、ナニゴトにおいても自制が要求されるな。桃もキウイのようにアレルギー反応を起こすようになってしまったら、相当に好物を減らすことになってしまう。それは人生において大きな損失だからなぁ・・・。

 

昔に比べればアレルギーのメカニズムも解明されてきたと思う。だが、自己と他者を判別して他者を排除するという免疫の説明は、あまりにも不正確なのであって、新型コロナウイルスのワクチン開発の話など、ほんの片言レベルの情報を聞きかじっただけでも、果たして免疫というのは自己の内にあるのだろうか?と疑問になってくる。自己そのものがナンなのか?というコトにも疑問がわく。それは・・・昔読んだ「免疫の意味論 多田富雄青土社」の内容でもある。あらためて、多田富雄さんの書いたこの本の内容を思い出し、興味深い視点で書かれた本だなぁ・・・と思う、今日この頃のワガハイなのである。

 

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画像補足:2021年6月29日

 「免疫の意味論 多田富雄青土社」の話は、当ブログの以下リンク先にもありますぞ!

etsuro1.hatenablog.com

 

室温25℃、湿度58%、気圧975hPa

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枝豆(神奈川県平塚産)洗って塩もみした状態

室温25℃、湿度58%、気圧975hPa・・・本日午前11時、我家の「エンペックス・ウェザーガイド気象計 BM-716」の数値だ。ウェザーニュースのサイトにある天気痛予報では「やや注意」となっている。

ワガハイの体調は芳しくない。小笠原界隈に位置する台風5号の影響で、時折やや強めの降雨という条件は、喘息持ちにとって良いワケがない。服用している薬によって発作状態にはならないが、喉の奥・・・気管の入り口というか・・・喉仏の下辺りというか、が、むず痒いのだ。これが悪化すると一気に咳き込み始めることになる。

台風がやって来ても、全く症状が出ない時もあるのだが、今回は出ている。いったいナニが違って症状が出るのだろうか?前の晩の飲酒量であろうか?栄養バランス?運動量?果ては風呂で何処から洗い始めたか?イヤイヤ、寝床から右足荷重で立ち上がったのか、左足荷重で立ち上がったのか?結局、理由は分からない。

 

ところで本日冒頭に書いた「エンペックス・ウェザーガイド気象計 BM-716」は、割と正確な数値を示している感じがする。ただ、壁掛け設置の宿命だが、空気流通孔が計器裏側にあるので、壁自体の湿気の影響が加味されているだろうし、空気自体の流通が滞りがちだろう、ということで、レスポンスは良くない・・・特に湿度計。壁から少し浮かせる設置具を作ろうと思っていながら、一年以上が過ぎてしまったんだがね。ソロソロ工作しますかな。

 

確か三日前のことだったが、平塚産の採れたての枝豆が農協直売所で売られていた。それは見るからに鮮度が良く、「採れたて」というポップに偽りはないと確信出来るものだった。そして購入して茹で上げたのだが、まあ、その茹で始めた時の香りの良さ!ああ、残念ながら我家の小さな畑の枝豆は、今期失敗に終わったようである。なかなか鮮度の良い枝豆は得られにくいので、今期において最初にして最後の香り高い枝豆になったかもしれない。

昨晩は、秦野産の枝豆を食した。これも農協直売所で買ったものだ。これもまた美味かったのだが、鮮度が若干だが落ちていた。枝豆は青採りだけに鮮度変化が早い。枝葉付きで売られていれば良いとも限らず、結局は収穫したら一刻も早く食べてしまうに限る。ゆえに、やや広い庭があるならば、枝豆栽培はやったほうがイイですな。

そういえば、誰かが美味い枝豆を育てる条件について語っていたコトがあったんだが・・・忘れた。ただ、経験上は兼業農家の方がご自身の為に田圃の脇で育てた枝豆を持ってきてくれたコトがあったんだが・・・それが一番素晴らしかった(除く、兵庫県作用の直売で買った黒豆の枝豆)。その方は地方公務員だったが(数年前に亡くなられた)、真夏のビールのつまみ用に枝豆を手塩に掛けて栽培していた。稲よりも大切にしていたフシもある。

まあ、いちいち、あらゆるコトやモノに思い出が絡むもんだ。イイ思い出も、悪い思い出も、だ。鮮度の良い枝豆を食すと、その美味に喜びながらも、その地方公務員兼業農家の方を思い出す。いい人だったからな。イイ思い出と共に味わう枝豆は、なかなかに噛みしめる味わいも深いもんですな。

 

しかしながら・・・酒は「國香」で美味な枝豆・・・食環境は素晴らしいのだが、今回の台風5号はチョット気管のムズムズ感を生じているなぁ・・・大豆アレルギーではないんだがな。今日はステロイド吸入一発追加しないとダメだな。

アレルギー疾患の皆さん、お互いご自愛しましょうね。

咲き乱れる桔梗を思い出し・・・「特別純米酒  國香 雅の粋」「小松菜の煮浸し」「鶏肉とズッキーニのペペロン炒め」

クルマ移動で余計なところには寄らず、人と接する場を少なくすれば、あまり神経質に考えなくてもイイのかもしれない。コロナ禍も長くなって、流石に神経質なワガハイも、我慢の限界、己の欲に対する規制の限界が近づいていると思う。いろいろ騙して過ごし、自分にご褒美なる誤魔化しワザを駆使してきたんだが。

まあ、フツ~に考えれば、というよりも考えなくても、そりゃあそうでしょ!というコトがヌケヌケと実現しなかったりする状況を見ていると、そのストレスによって我慢の限界値はジリジリと下がってくるからねぇ・・・というワケで、何となく疲労感がたまってきている人も多いのではなかろうか?と、我がコトを身勝手にも一般化してしまおう。

 

昨日、ついに我が身にもやって来たか?というトラブル、という程でもないが、場合によっては事故!という場面があった。

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ホームセンターの駐車場出口にて

屋上駐車場から出口に向って走って行くと、右から間違ってクルマが侵入してきたので急停止。まあ、クラクションを鳴らすというのは、昨今様々なトラブルが生ずるのだが・・・鳴らさないワケにもいかないので軽く鳴らした。相手は間違いに気付いてくれたので、大事には至らなかったのでヨカッタ。

ここの駐車場の出口への進路というのは、三角コーンで仕切られているし、表示板もあるんだが・・・ちょっと込み入っているので、事情を知らないと勘違いもあり得る。ケアレスミスっていうのは不注意ではあるんだが、やはり注意力の低下や状況把握力っていうのは、疲れていると間違いなく低下するだろう。最近のいろいろなケースは、コロナ禍での疲労というのも原因になっている場合もあるのでは?ただ、こういうのも関連性が証明し辛いんだろうな。

ホームセンターには安価にして最善の方策を考えてほしい、と思うので・・・今度行く時に、一応ここのホームセンターにお願いしておこうと思っている(既に指摘されているのかもしれないが)。ま、店の方がこのブログ見て気付いたなら、手っ取り早くて楽なんだがねぇ。確率は宝くじの当選並に低いだろうねぇ・・・大したアクセス数じゃないからねぇ。

場所は神奈川県平塚市のユニディだ。

 

さて本題。

ふと思い出したのだが、静岡県周智郡森町に「曹洞宗 鹿苑山 香勝寺」というお寺がある。「ききょう寺」とも言われる。つまり今、綺麗に咲いているのではないか?ということを思い出してしまったのだ(本当は見に行きたいのだ)

そこで、数年前にたまたま通りがかりに立寄ったこのお寺の画像が何処かにある筈なのだが・・・出てこないので、残念ながら画像はなし。だが、このお寺のHPをご覧になった方がイイだろう。動画もあって、咲き乱れるききょうが風に揺らぐ姿は、癒やしの極みですな。リンクは貼らんが、検索すれば直ぐに分かるだろう。コロナ禍ストレスも幾らかは解消されるかもしれない。

 

しかし、りが・・・いい名前ですなぁ。

 

さて、その香勝寺から概ね西南西方向を目指してクルマを走らせると、だいたい7キロ程度だが・・・「國香酒造(株)」がある。先ずお断りしておきたいコトだが、蔵見学も販売も行なっていない酒蔵だということ。蔵の側を流れる敷地川の土手から遠巻きに蔵の姿や環境を堪能して終わりとしたいものだ。如何にも旨酒が出来そうな環境であり、その風景を見ているだけで飲酒欲が沸き起こってくるようだ。

まあ、常識的に考えれば迂闊に酒蔵見学はすべきではないし、そもそも「國香酒造」の佇まいを見て「ご免くださ~い」なんて訪ねて行くとしたら・・・ワガハイからすれば無粋だと思いますな(もし行っちゃった方がおられたら、ごめんなさい記述だがね)

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静岡酒のひとつの基準・・・「國香」

ワガハイの生活圏では入手不可な酒なので、静岡の酒販店から取り寄せた「特別純米酒  國香 雅の粋」だ。もう、ワガハイがいちいちコメントする必要はないだろう。だが、生意気ながら欠点探しのテースティングをしてみれば・・・ない!ワガハイの香味センサーの感度では全く問題なしである。

だいたい何処の酒蔵でも幾らかのナニガシカはあるもんである。その一番気になるコトは「水」・・・つまり「酒造用水」の質だ。これは硬水、軟水ということもあるが、それ以上に「水の香味」が気になるワケだ。無味無臭の水というのは、まあ無い。幾らかは土の匂いや地下水(井戸水)独特の匂いや臭い、そして好ましくない味というのもあるわけで、それが酒の香味に影響を与えていることがある。

仕込みそのものに使う水だけではなく、酒造に関わる設備や用具を洗浄するのも「水」なのだから、当然、水の匂いというのはもの凄く影響のあることだと思う。この点に関しては最も安心して呑める酒の一つが「國香」だと、ワガハイ的には思っている。

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裏ラベルだ

裏ラベルの印字書体がギザギザ輪郭で、なんだか懐かしい感じもする。とにかくクリーンな印象の特別純米酒であり、粕歩合は高めだろうなぁ・・・口に含むと微かにメロン香を感ずる酢酸イソアミル系、静岡酵母HD-1の特徴でしょうな。穏やかにして微かな香りなので、食の邪魔をすることはないだろう。

優雅な純米酒だが、案外油分のある料理とも相性が良かったですな。ワガハイはキッコーマンのサイト、「キッコーマン ホームクッキング」内の「しっとりやわらか!鶏肉とズッキーニのペペロン炒め」をワガハイ流に都合良く改変したものを食しつつ、「小松菜の煮浸し」も用意して「國香」を呑んで楽しんだ。

 

静岡型といわれる酒造りも、いいですなぁ・・・真夏に冷やで「國香」というのもお洒落だな。

 

〈追記〉2021年6月26日 19:40

香勝寺の桔梗の画像がやはり見当たらない。ひょっとしたら、見ることに夢中で撮影しなかったのかもしれない。なので、以前に我家の庭で撮影した桔梗を追加しておくことにした。

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Canon EOS-5D markⅡで撮影しているので、かなり昔の画像だ

 

 

「丹沢山」・・・足柄若水 六十 熟成山廃 2011年度醸造

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この栓を幾つ開けてきただろう・・・丹沢の酒

「東京都の小池知事が過労で休養」ということについて、先ずはしっかりと健康状態の回復を祈る。政治家なので、そのスタンスに関してもいろいろあるが、とにかく休養は大切だ。ほとんど休みなしで働き続けていたということだからなぁ・・・。

ワガハイのような虚弱体質な人間には考えられない程にタフな方達は多いのだが、その中でもど~なっちゃってるんだ?と半ば恐れさえ抱きかけていた人の一人である小池知事である。ナンダカ変な言い方なんだが、ちょっと安心した面もある(こう言ってはなんだが、安倍前首相の時はそういう心情にはならなかった)

小池知事のペットロスというコトが伝わったが、これがワガハイは嫌でねぇ・・・知人宅の犬や猫にちょっかい出して遊ぶっていうのがちょうど良いところだ。その犬猫が亡くなった場合でも、ロス感はくるからねぇ・・・。

 

さあて、ここからが不謹慎な書き方になるかもしれない。なにせコロナ禍において何かとやり玉にあげられる飲酒のコトだからだ。もっとも、昔から飲酒喫煙というのは叩かれる代表的対象だが。

ワガハイの飲酒がドクター・ストップとなったとしたら・・・だが、それは人生に於いていずれは身に起こる悲劇である。どのみち最後は呑めなくなる。その時、お酒ロスというか、アルコール・ロスというか・・・そういった感情は起こるのだろうか?

もう少し精密に考えると、毎年記録更新が続く日本酒の香味である。この記録更新に接するという楽しみは、ワガハイにとっては、ハッキリ言ってスポーツの記録更新よりも興味ある出来事なのだ。この楽しみが享受出来なくなるということは、果たして諦めきれるコトなのだろうか?

ドクター・ストップというのは、生命存続という大前提において究極のフル・ブレーキングである(国の存続という大前提において、五輪について既にドクター・ストップは掛かったはずなんだが)。受け入れざるを得ない。フツウの神経の持ち主ならば、死に急ぐということは出来ないものだ。という、究極に近い条件において

「それで飲酒を諦めるなんていうのは、本当の酒好きではない。」

といったコトを言っていた人が、かつておられた。流石にぶっ倒れて救急車で搬送され、生死を彷徨い生還した後は、暫くは禁酒していた。

「おかしいんだなぁ・・・オレは酒を愛しているんだが体が受け付けないんだ。ココロとカラダが一体になってないんだなぁ・・・」

ってなコトを語っていた。ところが後日、彼は隠れて飲み始めたらしい・・・たぶん、ココロとカラダが一体になったんだろう・・・か?そしてまもなく旅立たれた。まあ、彼は自分でアル中って言っていたし、酒の味は分からんからなんでもいい、と言っていた。ただ、現役時代は国税庁勤務だったらしく、ワガハイがたぶん目を輝かせて

醸造試験場ですかぁ?」

なんて質問してしまったからなぁ・・・それ以来、お会いすると頻繁に話をするようになった。残念ながら醸造試験場ではなかった。それはご当人も残念だったそうだ。だが、

「オレは利酒なんで出来ねぇからよ。オレが技官だったらひでぇ酒が出来ちゃう酵母とか培養しちまうぞ。ソロバンの方でヨカッタんだが・・・醸造試験場は憧れだな。」

と語っていた。もう彼とはお会い出来ないと時々思い出して、酔っ払い知人ロスというのもあるな。

 

と、しみじみとした内容で終えようかとも思ったんだが、知人の知人に困ったチャンがいて、ワガハイは数回お目に掛かったコトがある人だ。某居酒屋の常連だった彼は、ある日とてつもなく上機嫌で、店のカラオケで吉田拓郎のナニかを歌った後で突如、服を脱ぎ始め・・・で、まあ・・・そういうコトですな、暑かったんでしょうな・・・カウンターの上に立つと、そこで踊り出してしまったらしい。

結論・・・彼は、そのお店から永久出禁!というコトになったらしい。その後、出禁を解除してくれたのかどうかはワカラン。

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ホワイトバランスは合わせてあるので・・・酒の色は参考になるだろう

※ただし、液晶モニターのカラーマネージメント(sRGB) が採れていればの話

本日の本題は川西屋酒造店のお仕事・・・「丹沢山」の長期熟成酒である。

これはもう、素晴らしいわけで、熟成といいながらまだまだ熟成に耐えられる若さも維持している。抜栓直後はなかなか目覚めない香味で、長い眠りについていた酒をソ~ッと起こしていくつもりで味わう。室温で・・・だが若干、品温は下がるので20度程度で味わう。老香というものは特に目立たない。まあ、低温管理下で熟成された酒なのだろう。ワインセラーよりも低い温度帯での熟成だろう。

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足柄若水 六十 熟成山廃 二〇一一年度醸造

山廃としては相当に綺麗なクセの少ない造りのように感じた。これでは、別に速醸と大差ないのでは?と思う方もおられるかもしれない。だが、香味がユックリと開いてくると、やはり酸の表情の多様性は山廃だ。しかも綺麗で穏やかな酸だ(これ見よがしの山廃感は演出されていない、蔵のテロワールに忠実な造りとみた)。一日目はあまり多く呑まないようにして、翌日まで室温保管とした。

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山廃純米酒 丹沢山

抜栓後二日目・・・スッキリとした傾向の香味ながら、もう一つキレが上がりそうなんだが・・・やや輪郭が甘い感じがする。そこで燗酒とする。

先ずは燗酒30℃・・・見事な燗上がり傾向で、口に入れた瞬間に襟首ただすような感覚を覚えた。おおっ!って目覚めるような感じだ。

燗酒40℃・・・丹沢山の燗酒といったら「麗峰」が代表であり、それは蔵元が明記する以上に凄いと思っていたが、この熟成山廃の香味は、その上空を飛んでいく。

燗酒50℃・・・この温度帯まで燗つけると、実は温度が下がっていくプロセスが非常に面白くなってくる。その香味変化の多様性は豊かさに満ちている。日本酒を構成する様々な香味がチョロチョロと顔を見せながら・・・つまり若干だが、それぞれの成分のピークが出てくる温度が異なるのだろう・・・どの温度帯においても酒全体の香味バランスが崩れるということはないので、一種類の酒ながら数本分の個性を楽しむことが出来る。

燗酒60℃・・・基本的に50℃と大差ないが、完全に冷えた状態になったとき、煮切り酒とした時の可能性を感じた。これ、美味いですな。勿体ないようにも思うけど、これで”かえし”作ったらとんでもないなぁ。

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裏ラベルだ

裏ラベルを読むと・・・2011年度醸造だから新酒としては2012年に出来ているとして、蔵内8年熟成で昨年の6月出荷、酒販店の冷蔵庫で1年熟成ということだ。この一升瓶の中で9年間の眠りについていた酒というわけだ。東日本大震災を経験した後の一発目の造りというコトになるのかな?ワガハイの計算が間違っていなければそういうコトになる。

昨日の当ブログでも10年前について書いたが、なんだかいろいろ思い出すきっかけになる。さあ、どうしようか・・・この山廃、行き付けの酒販店の在庫、買い占めちゃおうか?ちょっと面倒な悩みを抱えてしまったようだ。まあ、この楽しみを分かち合うというのも大切だから、買い占めるのは止めておいた方がイイのだろう。だが、あと2本ぐらいは買っても問題はないかな。

 

なお、抜栓四日目まで楽しんだが、終始、香味バランスが崩れることなく開いていった。最後の一杯は室温で。

「桑の実」煮詰めていく過程でコニャックを加える・・・2010年までは

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桑の実  撮影:2010年6月28日

今年は植物たちの展開が早めなので、桑の実の時期も終わってしまったかもしれない。ワガハイより遙かに世代が上の人から聞いたことのある話だが、関東の山里は養蚕が重要な産業の一つだったことから、桑畑があちこちにあった。そして子供達は外で遊びながら桑畑の桑の実を採って食べ、指や口のまわりを紫色に染めていたという。気軽に食べられるおやつだったそうだ。

桑畑の桑になる実は、割と大きい。それは畑の環境の為なのかどうかは定かではないが、山で見かける桑の実は、上画像のように小さなものが大半である。昨日の当ブログでも林道散歩のことを書いたが、林道脇や、隣接した空き地、伐採後の空間などには、いわゆる下草層っていうような場所ということになるのだろうか、様々な植物が育って興味深いことがある。さらには知っていれば美味なるお宝が見つかることがある。

上画像を撮影した2010年までは毎年、箱根外輪山の林道を歩きながら、道端の桑の実などポツポツと採取して帰宅し、ジャムを作っていた。これは実に美味なジャムで、上等かつ高級感漂うジャムとなる。煮詰めていく過程で少しだけコニャックを加えるのが好みだ。ま、そのコニャックのグレードはあまりケチらない方がよろしい。クオリティに見合っただけのジャムに仕上がるものだ。

 

さて、ここから先をどのように書き進めるか・・・桑の実が美味だというコトだけで終わりにすれば、分かりやすい内容で終結するのだが。既に幾つもの分岐点が内包されている文章なのである。

「2010年までは毎年、箱根外輪山の林道を歩きながら、道端の桑の実などポツポツと採取して帰宅し、ジャムを作っていた・・・」

ま、欲張らずにこの点に関して、内容を進めていくことにしてみよう。

 

2011年3月11日、東日本大震災が起こり、翌12日には福島第一原子力発電所の1号機建屋が水素爆発で大破、14日には3号機が水素爆発で大破・・・その前にベントもあったが、水素爆発は決定的だった。以後、毎日○○シーベルトという言葉がニュースから聞こえ、東日本エリアは苦渋に満ちた毎日を過ごしたことを、経験されている方々ならば忘れられないだろう。

正確な日時は忘れてしまった。しつこく資料を突き合わせればその日時を特定することは可能だろうが、そこまで頑張る必要は無いだろう。このブログは論文ではないから。

まあ、とにかく福島浜通りを吹き抜けた風が太平洋に出て、房総半島や相模湾を吹き抜けて伊豆半島や箱根外輪山、丹沢山地秩父山地などに当たった。それは吹き荒れる強風だった。そしてその地域の放射線量が上昇した。

その後、彼方此方の予想もしなかった箇所がホットスポットとして発見された。上下水道の施設から出た汚泥からも、放射性物質が検出された。

つまり、そういった状況をみて、2011年は林道散歩などする気分になれなかったし、そもそも放射性物質を含んだ強風が当たった山域の林道を歩き、ポツポツ採取して楽しんでいた桑の実である。ど~も採取する気にもなれない。ということで、2011年以降は採取をしなくなり、現在に至るのだ。

 

山の斜面の畑で採れた果物や野菜などは、既に放射性物質の検査などし、土壌の検査などもし、安全確認されているということなので、過剰な心配は非科学的だと思う。だが、林道の脇に関しては安全性に関して全く保証はない。思わぬところにホットスポットがあるかもしれない。これは全くの個人的な想像の領域でしかないが、いまだに大丈夫なところは大丈夫だが、逆に集積されているような場所もあるかもしれない。土壌に吸着されてあまり移動しないような放射性物質もあるだろう。

結局、検知器でも入手しない限り、ど~にもならんことではある。半減期を待つ・・・ま、落ち着いた頃にはまた何処かの原発が問題を起こしているかもしれない。40年選手が再稼働なのだから。

 

注:

※ 昨日(6月23日)関西電力美浜原子力発電所3号機が再稼働。運転開始から40年超えの原発再稼働は国内初。「無事に起動できて安堵・・・」という福井県知事の言葉あり。さては無事に起動できないのではないか?という疑念があったのだろうか?これから最長で20年の運転が出来るようになったらしいが、原発も還暦までは現役続行という世の中の流れか?いくらメンテナンスしても、還暦って身体のアチコチにガタきますぞ!成人病といわれてヒ~ヒ~言っている人のナンと多いことやら※

原発の監視を人員も含めて強化したところで、故障するときは故障するもんだ。その時、頭数が多ければ安全性が担保されるとは限らない。被爆者が増えるだけかもしれない。

※ 上記注の注・・・新型コロナ・ワクチン接種の副反応で、腕や肩の痛み、腕が上がらなかったり後ろ側に持って行けないといったコトがあるという。ソレって・・・ナンダカ、五十肩の症状ソックリなんですが。では、五十肩現在進行形のワガハイは、ど~したらいいのか?左肩は既に五十肩の症状が収まっているから左にワクチン接種しても問題ない・・・ではなく、左に接種して(テレビでは皆さん左に打っている感じ)副反応のために腕の動きに支障をきたし、現在進行形状態である右肩は動きに支障があるのだから、両腕がど~にもならんコトになるワケか?(五十肩進行中の右に打っちゃえば良いのだろうか?)。ま、数日間は着替えも出来ない状況に陥る可能性があるというコトだな。ま、しょうがない・・・その時はワガハイに近づかないほうが良いですな。なぜなら臭いだろう。

 

いや~アンダーライン引いて、そこから「注」に持って行って書いて、その更に「注」を書く・・・マトリョーシカ状態にしていくのも面白いかなぁ?と思って遊んでみたんだが、クドいだけかなぁ?

林道散歩でアントニン・レーモンド建築を思い出す

思いついたアイデアというのは、たまたま手元にあった紙類に殴り書きしておく。そして机上に乱雑なカタチで積み上げられていく。たまってくると適当な空き箱にそれらを入れる。そうしたカタチの揃わない箱が積み上げられていく。そして突然、それらを整理しておこうと思い出す。名案と思ったコトの多くが迷案であることがナンと多いことか。そうして多くの紙片がゴミ箱に棄てられる。

 

随分昔の話だが、どこかの美術館で建築家の安藤忠雄さんに関する展覧会があったんだが、やっぱり似たような感じで、ありとあらゆる紙片に書き込んでいましたな。そういうものがワザと乱雑さを装って平置きのケースに展示されていたと思う。ま、結構アザトい展示方法だと思ったもんだ。

でもまあ、中には面白いメモもあったんだが・・・今となっては内容が思い出せない。ワガハイが言うまでも無く、評価の高い建築家だが、正直なところ好感が持てる建築物がない建築家でもある。では、建築家では誰が好きなのか?と問われれば内井昭蔵さんというのが、真っ先にあがる名前である。だが、大好きといったファンではないし、概ね好感度が高いし、多くの人に通用する名前である、というコトでその名前が出てくる。

 

昔の建築家ならばアントニン・レーモンドさん(1888~1976年)設計の木造教会建築なんていうのは、大胆でグサッと響くものがある。まあ、これは教会建築だからコレで良いと思うんだが、金があってもこの人に自分の住処を設計してほしいとは思わんけど(ま、現実は物故建築家だから無理だけどね)。これ、なんか感性的に棘を感じるというか、やや陰性な印象を持つというか・・・その時代性も反映しているんだろうが・・・ワガハイ的にはもっと明るい印象の方が住居としてはいいなぁ。

聖オルバン教会 1956 東京都港区
東京聖十字教会 1961 東京都世田谷区
札幌聖ミカエル教会 1961 北海道札幌市東区

どれも名建築だと思いますな。大胆な設計ですな。ところでこれらの教会って・・・聖公会だわ。ま、やっぱり教会建築見るならば、カトリックやオーソドクス、聖公会は面白いのがあると思う(仏教寺院でも、禅寺よりも天台や真言宗の方が面白かったりするな)

 

ウィリアム・メレル・ヴォーリズさん(1880~1964年)も、レーモンドとほぼ同時代の建築家でもある人だが、この人も教会建築が多い。でもねぇ・・・教会に関してはレーモンドさんの方がグサッと来るんですな。たぶん、ヴォーリズさんは陽気な人だったんじゃなかろうか?存命ならば、こういう人に住居は設計して欲しいと思いますな。

日本福音ルーテル熊本教会1950年(昭和25年) 熊本県熊本市
旧マッケンジー邸 1940年(昭和15年静岡市駿河区

この二つの建築・・・似てますねぇ。そりゃあ、そうだろうけどねぇ。当ブログの以下リンクに「旧マッケンジー邸」に関して書いた。「日本福音ルーテル熊本教会」は行ったコトもないからねぇ・・・ま、チョイと調べれば出てくるんで、興味ある方は調べてみてくだされ!

etsuro1.hatenablog.com

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しかしながら・・・ワガハイはど~も19世紀後半から20世紀にかけて生きた人達に気になるものがある。つまりワガハイの祖父達の世代ってぇヤツだな。アンドレス・セゴビアさん(1893~1987年)なども気になるものがある。で、セゴビアさんの演奏会は幸いなコトに聞くことが出来た。これに関しては話の流れが来れば、思い出話をあらためて書いて整理しておきたいと思う。

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「足柄森林公園 丸太の森」先の林道傍らにて 撮影:2010年6月10日

梅雨の晴れ間に散歩するなら、街中散歩よりも林道散歩の方が快適だったりする。林道だからスギやヒノキの植林なんだが、もう花粉を飛ばす季節ではないから問題ない。むしろフィトンチッドの効果が得られる可能性が、ひょっとしたらあるかもしれない。

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上画像に同じ

なんか、前半の建築家話から飛んだように思われるかもしれんが、ヒノキやスギは建築材だからな。レーモンドさんの教会建築なんて、この画像のような丸太が使われていて、ダイナミックだからね。いろいろ構想を練るには机上じゃなくて散歩もいい。それに植林ではあるが、時々鳥の声も聴くことが出来るからな(カラスだったりすることもあるが)

ただし、猿には気をつけよう。あいつらはイノシシよりもある意味厄介だ。絶対と言えるほど良好な関係は築けないと思う。類人猿同士・・・妙に似すぎているのか、上手くいかない。長年、神奈川県小田原市江之浦に出没して住民の生活を脅かしてきたニホンザルの群れ「H群」の駆除というニュースが6月21日にあったが、ありゃあ、手強いですぞ!ワガハイも出くわしたことがあるが、クルマに逃げたからな。スゲ~睨みを利かせてくるからねぇ・・・ビビったら負けと思ってじ~っと見つめたら威嚇してきやがった。猿になめられるのもシャクではあるが、残念ながら退散でしたな。和解はなかなか困難だ。