昨日の内容は、相模灘の新酒で平穏な新年を迎えられたコトを書いた。やっぱり、平和なコト、幸せなコトを書くのは気分がイイ。それに読まれる方も気分がイイに違いない。
しかし、問題点を書くコトも大切。それは個人的な意見でしかなく、違う人にとっては快適に感ずるコトもあるかもしれないが、時にワガハイと似た趣向の方にとっては貴重な情報になる場合だってあるのだ。
というワケで、こういう前振りをしたということは、本日は芳しくなかった結果を書くワケだ。
基本的に静岡の酒には好きなモノがある。先ずは「杉錦」だし、「喜久酔」も良い。「森本」は素晴らしいし面白いし、「國香」は綺麗で丁寧な造りに感服する。スーパーマーケットの酒売り場でもしばしば目にする「臥龍梅」もまた、安定した品質を提供してくれるし、同じくスーパーマーケットの棚で見かける「富士錦」も、不快感なく呑める酒だと思う。
このように、神奈川県に比べて蔵元の数が多いこともあるだろうが、選択肢がある。神奈川県は、「丹澤山」「相模灘」「盛升」「残草蓬莱」位しか、ワガハイの選択肢には挙がらないから。しかも、その選択基準を厳しくすると、それらの太文字で示した3つの蔵になる。
もっとも静岡県だって、厳しくしてしまうと「杉錦」「森本」でワガハイの趣向は完結してしまうのだけれど。
まあ・・・昨日も書いた通り、より厳選した酒を楽しもうと考えている昨今では、おそらくこれら太文字の酒以外は口にしなくなってくるかもしれない。
でも・・時々番狂わせもあり得るし、突然、進化する蔵もあるから、そのアタリについては時々の頂きものから察していくコトになるのだろう。
だいたい、巷の情報で信用に足るコトなんて、先ず無いのだから。
要するに「丹澤山」や「杉錦」が好きな人の情報ならば、信用できるけれど。それはやっぱり自分の香味感性と一致するからねぇ。
そして、絶対ともいえるのが喫煙されている方とは、食べ物の趣味はなかなか一致を見ないというのが、経験的に確定しているように思う。ワガハイは生まれてこのかた、タバコは一本も口にしていないから。
そりゃ、酷い小児喘息に苦しめられた幼少期を経て、ナニかにつけて呼吸器が平均値より弱体であると医者から告げられ続けてきた人生なワケで、そんな経験者が喫煙などするワケがない。線香の煙も嫌なのだから。
そう!線香の煙、焼香の煙も苦手だから葬儀や墓参りも苦手。そういう煙には慎重に対処してきた。
大変、厄介な人生を送ってきたのだ。
地雷はアチコチに仕掛けられているのだ。
というワケで、神経質な人間という動物になってしまった。
故に、香味に関しても敏感というか、神経質になってしまったのだろう。
だから、料理人に香味に関して褒められたコトもあったが、実は微妙な評価と感じていた。それは、香味感性が優れているというワケではなく、自己防衛の為の神経質な香味感覚というのが実際のトコロだから。
これって、健康体ならば・・・こうはならなかったコトだからねぇ。
我が親父なんて、味音痴だったから。ナニ食べても「旨い!美味い!」と喜んでいたし、多少傷んでいるものを食べても腹も壊さなかった。こういうのは遺伝しないんだなぁ。
さて、上画像の酒がナンという酒かについては明らかにしない。でも、部分的なラベルによって、分かる人は分かるだろう。ここの酒蔵の酒って、昨今イロイロ採りあげられていたりして話題みたいなんだが・・・ど~もワガハイ的にはナニが良いのかワカランのだ。
それは昭和末期時代・・・純米を購入してみたものの、それは排水口に消えた。神奈川県内で最悪の酒を造り続けている酒蔵と肩を並べる酷さだった。
平成になり、蔵元が若返り、酒造りの方針も改めたと聞き、少し期待したんだが・・・一時、イイ感じになってきた時もあった。友人がお土産に持ってきてくれた純米吟醸は、随分と良くなっていたので、これからに期待した。
暫くして・・・平成末、ある酒販店のお薦めで購入してみたものの、その期待感は萎んだ。山廃に着手した頃だった。速醸もイマイチだったし、山廃に至ってはナニしたいのか混迷を極めるような香味だった。
つまり、クドい雑味は引くコトがない。しつこく持続してしまうのだ。これによって、食が台無しにされてしまう。
というワケで、自分で購入したのは4合瓶で2本のみ。他は頂ものなのだが・・・5本程が排水口に消えて、一本はナントカ料理酒で消費した。
でも、この酒蔵は存続している。世の中は広い。ワガハイとは全く異なった香味感性の人たちが沢山おられるコトを示しているのだろう。ひょっとすると、ワガハイのような者は少数派なのだろう。
或いは、こうした酒に合致する料理習慣が、静岡県にはあるのかもしれない。確かに言えるコトは、静岡は総じて神奈川県よりも料理が甘い傾向があるから。