アジサイもいろいろ種類があるから、凝りはじめたら大変だよなぁ。
で、ソモソモ子供の頃ってアジサイが好きだっただろうか?お絵描きでアジサイを描いた記憶はない。
ちょっとアジサイについて記憶を探ってみる。
あ!」シミジミと綺麗なもんだなぁ・・・と感じたアジサイは、ハッセルブラッド500CMで撮った時だった。
このカメラについては、改めて説明するまでもない代表的な6×6版のカメラだ。ライカと並んでステータス的ブランドだ。で、そのココロは・・・というと日本製のマミヤRB67の方が圧倒的に信頼性は高かったし、レンズの描写性能もヌケの良い画像だった。
だが、ハッセルの魅力っていうのは、その構造の単純さだ。箱があって、その中にファインダー像を得る為のミラーがあって、遮光フラップがあって取り外し可能なフィルムホルダーが付く。勿論、レンズ交換が出来る。
これは当たり前の構造ではあるが、昔々の絵画を描く際に用いられた描画ツール「カメラ・オブスクラ(カメラ・オブスキュラ)」にフィルムホルダーが付いただけのような、カメラの発達史と原型を見るようなシンプルさ、それがこのカメラの魅力だ。
このカメラで撮影するだけで、原点のカメラ・オブスクラにしっかりと繋がっているコトを意識出来る。
それはブロニカだってマミヤだって同じと言う人もいるだろうが、ハッセルは素っ気ない構造だから尚更なのだ。そのくせ、些細な故障が生ずるけれど、それは愛嬌である。
そういえば、アジサイとハッセルのコトは、以下でも書いたな。
というワケで、ハッセルのお陰でアジサイの面白さに気付かされた。そういう経験がなかったなら、もう少しアジサイに気付くのは遅れただろう。
つまり・・・ハッセルのファインダー越しに見たアジサイの画像によって気付いたんだなぁ。ツァイスのプラナー80mmのお陰とも言えるかもしれない。
ま、いまさらハッセルを取り出してアジサイを撮るコトはない。防湿庫に眠ったままだからねぇ。お久し振りにフィルムを装填して撮影しようとしたら、持病ともいえるフィルム送りにトラブルが発生したりして。
まあ、デジタルだよな。フィルムはホントに使わなくなった。
だけど・・・モノクロフィルムで撮影して、バライタ印画紙に丁寧にプリントしたものを引き出しから取り出して見てみたんだが、やっぱり階調にボリューム感があって凄いねぇ。
あれは・・・インクジェットでは太刀打ち出来ない物質性の強さだ。銀塩写真は画像を見ていると同時に、物質性を鑑賞しているよなぁ。所詮、薄い銀粒子の層に過ぎず、物質性と言うには大げさすぎると思われる方もおられると思うが。
でも、全盛期のイルフォードとか、アグファでプリントしたヤツを見ると、やっぱりトーンにコッテリ感がある。まさしくフルボディ!とんこつ!厚切りビーフステーキ!
あああ・・・物質性からはドンドンと離れていく世の流れ。データだもんな。
そんな時代に美大の油絵科に通っているっていう若者は、ナンなんだろう。大丈夫かぁ?とは思うものの、例えば多摩美術大学のサイトを見てみると、美術学部油画専攻は、「油彩から立体、パフォーマンスなどまで探求し、時代を越えた新たな創造に挑戦する人材を育成」と書かれている。
ま、美大だけに「新たな・・・」といった文言が多発する内容になっている。
へそ曲がりなワガハイだから、言いたいケドねぇ・・・「新たな」って、ナニ?
知り合いの娘さんが多摩美に行っていると思うから、会う機会があったら聞いてみようかなぁ・・・
「もう、平面の問題になど取り組んでいるヤツなんて居ないんだろう?」
そんなのやっても、だ~れも分んないもんなぁ。それを引き継いでいるような教員も見当たらない。
そしてナントカ専攻というコース分けをしている意味も、あまり無いのでは?といった感じにも思える。結局、情報やデザイン系に関しては、もう美大という領域で学ぶものなのだろうか?と思ったりするけど。もっと総合的な科目をもった大学でやった方がイイんじゃね?
かつて「もの派」の巣窟だった多摩美も、こうなっちゃったんだねぇ。
あ!彼らは追い出されたんだっけ?
この辺りが只今開催中の展覧会 ↓ に絡んでくる。
「吉田克朗 展」を通り過ぎた先の展示室でやっている ↓ ヤツね。
今月末までの会期だから、行くならソロソロ行っとかないと終わってしまうけど。
まあねぇ・・・ちょっと事情を知らないと、読解が困難な世界ではあるよなぁ。
こんなコアな展覧会やって、神奈川県立近代美術館、大丈夫かぁ?
客、入ってんかぁ?
義重※・・・って、義十・・・と読解されてピンと来られるならば、かなりもの派がナンだったのかの原点が分かろうというもの。斎藤義重さんって、つまりそ~ゆ~人だったから。
※ よししげ・・・と読むが、普通は「ぎじゅう」と言う。というか「よししげ」というと誰?というコトになる。