このところ数回に分けて「神奈川県立近代美術館 葉山館」で開催の展覧会に絡んで書いた。
一度に要領よくまとめて書く・・・けない。集中力が続かないし、長くPCの前に座っていると腰痛がねぇ・・・。それに網膜裂孔のレーザー治療を行ってから長時間、画面を見るのがど~も・・・なんていうか、辛くなるワケではないんだが、疲れやすいとも違うんだが・・・これは治療がど~のというよりは、飛蚊症が一因だな。
デカい飛蚊症が左目にあるのだ。これが鬱陶しいので画面のような明るいモノを見続けるのが嫌になってくる。
なんか、・・・が多くて歯切れの悪いコトになったんだが、なんとも的確なコトが言えない。そして全てが老朽化が原因だから、治療したところで完治するものではないので、な~んか希望は薄いねぇ。医者通いって言ったって、劣化速度を遅くするというダマシの治療だから、医者の対応もダルイ感じだよなぁ。
こうして気付いたら人生の希望が失われていく。確実に明日の方が悪くなる。嫌だけど受け入れざるを得ないのだから、苦痛を楽しむ達人になりたい・・・というのは無理だ。
だが、逃れられない苦痛を乗り越えたのか?或いは乗り下げたのか知らんケド、渡辺和子さんという人がいた。カトリックのシスターでノートルダム清心学園の理事長だった人だ。『置かれた場所で咲きなさい』という著書がベストセラーになったコトの方が有名だろうか。
確か渡辺さんは、骨粗鬆症かナニかで背骨が潰れたんだっけ?それで身長が縮んだというような話しをしていたような気がする。それはテレビの対談での話しだったと思うけど定かではない。
それって凄い苦痛だろう。イテー!なんてもんじゃないと思うが、祈りで耐えたのかなぁ。ま、時々キリスト者には祈りで耐える人はいる。「イエスさんの受けた苦痛を思えば、こんなの大したコトではない」と言う人もおられる。
それはまあ・・・信仰的にはあり得るとは思うけれど、サッサと医者行けば治りの早いことさえ我慢して悪化させなければ良いけれど。だがおそらく、先輩方の経験談を思い出すと、時にス~~~っと身体全体の不具合が馴染んで楽になる日が来る、などというコトもあるみたいだ。
全ての不具合がイイ感じでバランスがとれて、落ち着くというのだ。ただし、若い頃のようにはならないけれど。そうして「老人の身体へと脱皮して行く」と話してくれたのは茅ケ崎在住のNさんで、ワガハイが五十肩だった時のことだった。
そういえば「不具合を抱えながらも、コトのプロセスを刻んでいけば為せる」と語ったのは、昨日も当ブログに登場した斎藤義重さんだった。若い時は若い時の仕事の仕方があり、そういうやり方でしか出来ない。逆に老いた今のような仕事のやり方など出来るワケがないのだ。そして一気に出来ず、人の手助けが無ければ出来ないことに苛つくけれど、そういうプロセスを経ることで出来るコトや気付くコトもある・・・そんな話しを伺ったコトがあった。
というワケで、本日は斎藤義重さんの命日でございます。2001年のコトでございました。一応、21世紀まで生きたというのも、らしい感じがする。2001年宇宙の旅ってなモンで旅立たれた・・・と。97年の人生だった。
それで・・・没後に銀座の東京画廊で開かれた個展は、展示に関して生前にしっかりと指示が為されていたようで、緊張感の漂う空間がそこには現れていた。その正確な記録写真があれば見てみたいんだが・・・ワガハイよりも圧倒的に親しかった方に聞いてみたこともあるんだが、わからないという。
まあねぇ・・・画廊は作品売ってナンボだし、画廊に現れた空間なんて売るコトが出来ないものだけに関心が薄いんだろう。
ただ、ワガハイの薄らいでいく記憶の中で、その画廊空間を思い出す・・・というか想像も既に相当加わってしまっていると思うが、あれは「十字架の道行き」にも似ていたような気がしてならん。こうした観点から斎藤作品を論評するフシはない。ワガハイ的には多分に無教会的な気配が漂う作品として、在ったと思う。そのあたりも、ヨーロッパでウケた一因かもしれないのだけど。
コレまた、日本の土壌では読み解きづらいんだろうなぁ。
しかし・・・昨日は某100均店内にて突然息苦しくなり、鼻水が出て目まで痒くなった。急いで退散してサッサと帰宅し、アレルギー薬をズブズブと使用した。ナニが、化学物質系のシロモノが漂っていたのかもしれぬ。身体はヘロヘロになりつつあるのに、相変わらず我が免疫系の暴走は止まず。まったく都合のよいコトにはならんものだ。
昨日は桂ざこば師匠が亡くなられた。死因は喘息。ワガハイも同病だけにグサッ!ときた。妻も複雑な表情をしていた。ざこばさん、喘息の管理がうまくいってなかったのだろうか?或いは昨日のワガハイのように、ナニかに反応してしまったのだろうか?
でも・・・楽しい落語をありがとうございました。