Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

「吉田克朗 展」神奈川県立近代美術館に行った

神奈川県立近代美術館にて(画像は展覧会図録表紙部分)

先日やっと行ってきた神奈川県立近代美術館なんだが(当ブログ過去記事以下リンク先)、やっぱり鎌倉の鶴岡八幡宮境内にあった時の方が、圧倒的に行くのが楽だった。葉山になって随分と年月が経ったが、ど~も慣れない。

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いや、ロケーションは素晴らしい。観光という意味ではだけど。ただ、美術館の建設環境として適しているかどうかは疑問だが。という言い方をするからには、要するに適してないと言っているワケだ。

www.moma.pref.kanagawa.jp

海沿いの立地っていうのは、やっぱり潮風はねぇ・・・塩害は長期間のうちに何らかの影響を与えてくるだろう。

メンテナンスが大変になるだろう。

それは横須賀美術館も同様だけど。

www.yokosuka-moa.jp

 

例えば鎌倉の七里ガ浜の国道134号に面した・・・話題を集めた建物なんて、最近は修繕したのかもしれないが・・・一時は金属部分が悲惨な状態になっていた。ま、ステンレスを使ったのか何だか知らんが、材質の選定ミスかなぁ?と、渋滞の車窓から眺めていた記憶がある。

日本の海は地中海に比べると塩分濃度が高いので、アッチのリゾートみたいな開発は難しいと思うんだけどねぇ。そんなワケで日本のアマルフィ・・・熱海はあんな感じになりますよ!というワケだ。

 

例によって脱線したので戻す。

 

神奈川県立近代美術館 葉山館」では2024年6月30日まで、「吉田克朗 展」が開催されている。そしてこの企画展の展示空間を抜けていくとコレクション展では「斎藤義重という起点」と題した展示もされている。

吉田克朗さんも斎藤義重さんも、若い頃のワガハイに多大な影響を与えてくれた方なので、つまりこの展覧会に行ったのは墓参りみたいなモンだった。展示された作品については既知のモノが多かったし、しかもリアルに画廊で拝見した吉田克朗さんの作品とは、再会の喜びのような感情を覚えた。

というワケで、これは間違いなく墓参であって、美術鑑賞という感じではなかった。会場は懐かしさと思い出すエピソード、特に吉田克朗さんとの個人的な雑談などを思い出した。

55歳で召された!

毎日ヘロヘロ生きているワガハイでさえ還暦をクリアーしたのに、克朗さんは還暦を越えられなかったのか・・・と。もう一発!いける作品があっただろうに・・・という無念さ・・・というのは、ソレを観るコトが出来なかったワガハイの勝手な満たされない欲求である。

55年間で満たされた画業だったのである。それは必要十分だった筈なのだ。

 

でもまあ、この展覧会場でお久し振りに再会出来たような喜びがあった。やっぱり上手いよなぁ・・・あのガチっ!とした面の強さって出来るモンじゃない。それが才能と言ってしまえばそうなんだろうが・・・努力しても到達出来るようなモノではないなぁ。

もっとも晩年にお会いした時には、少々暗い表情をされていた。あの時、既に体調が良くなかったのだろうか?ワガハイの顔を見ると・・・

「ひでぇ仕事だろう。みんな素晴らしいとか褒めるんだよ。ホントのこと言えよ!こんなコトしか出来ねぇんだよオレは・・・ハッキリ言ってくれ!ダメ出ししてくれ!」

そう言われた。ワガハイ、言葉に困ってな~んも言えなかった。そして

「分かっているんだろう・・・正直に言えないなら帰ってくれ」と言われた。

ワガハイも老いて尚更、あの時の克朗さんの気持ちがどの様なコトだったのか察するようになった。そしてご自身の率直な苦しさをワガハイに伝えてくれたんだなぁ、と思う。

でも、その苦悩って・・・描ける人の苦悩

いや、描けてしまう人の苦悩と言ってもいいかもしれない。

ホントウに求めているコトは、やっぱり内から湧き上がるコトだし、それはナニガシカから与えられるモンだろうなぁ。

それを動因、と言えばそうなのかもしれないけれど・・・

でもまあ、そんな幸いな瞬間なんて作品制作で四六時中起こるようなコトでもあるまい。それを克朗さんは渇望していたのかもしれない。でも、当人が気付いてなかっただけで、ワガハイは展覧会場でお久し振りに作品と対面して・・・鬼が付いている!と思ったけれどねぇ。

 

土門拳が、出来のイイ撮影結果にそんなコトを言っていたような気がする。ワガハイ的には木村伊兵衛と並んで好きではない写真家なんだが。