輪島は若い頃から何度も行った。漆芸と木工に興味があったから。
その興味の発端は中学一年の時だったと思うが、自宅トイレに三井生命のカレンダーが掛かっていた。そのカレンダーの絵柄に、螺鈿細工の綺麗な漆器があった。当時、螺鈿とはナニか?そんなコトなど分からない子供だったが、百科事典を引っ張り出して調べてみた。
良く理解出来なかったが、漆というモノが天然の樹脂であり、古くから塗装や接着に用いられているコトは分かった。そして螺鈿というのは、貝殻を漆で貼り付けて模様を作り出しているらしいと理解した。
これ以上の理解は、中学生としては実感が伴わないのでフニャフニャな知識に留まった。だが、カレンダーという印刷物で知った螺鈿細工のコトが気にかかり、以後、木工作が好きだったワガハイは漆のコトが気になりだしてしまった。
そうして輪島通いが始まったのは18歳頃からだが、幾つかの工房にお邪魔してみたり、問屋さんの話しを聞いたり、地元の人の話しも聞いたり・・・そうして当時、斜陽だった漆職人の世界に入るコトを、誰も推奨しなかった。
「素晴らしいと感じてくれるのは嬉しいが、お勧めはしない。止めておいた方がいい。」
そんな話ばかりだった。
だが、金沢の石川県立美術館に展示された漆芸作品をゆっくりと鑑賞しているうちに、ナニか、産地という特別な理由・動因といった制作の根拠が、ワガハイには薄いのでは?と思うようになった。
地に足が付いている、というか、根っこというか・・・外部からやってきて輪島で漆修行するには、もう一つ足りないモノがあるんだよなぁ・・・と。そりゃあ、修行すれば技術的には優れた職人になるかもしれないが、もの作りの動因っていうのは、それだけじゃないだろう。
若い頃の話しだが、もの作りの必然性について考えさせられた金沢と輪島だ。
1980年代初頭、兼六園の片隅のベンチに腰掛けて、買い求めたばかりの石川県立美術館の図録を広げて、しかめっ面で唸っていた怪しい男を見かけた記憶のある方がおられたら・・・(いるワケないケド)、それはワガハイだ。
とにかく、勉強の場だった。
それが破壊されている画像が昨日から報道されている。自然災害とはいっても・・・しょぼくれている。そりゃ、罹災された方々の比ではないけれど。
輪島市在住の知人の方々から年賀状が届いた矢先の地震・・・しかし、どうして夕方に起こるのかねぇ。被害把握が出来る前に日没という・・・しかも寒い季節に。
そして東日本大震災の時に失った親族を思い出した。とりあえず、あの時とは異なり、沢山ある原発の一つたりとも大きな損傷はない・・・らしい(ホントかどうかは分からんが)。それは安堵するところだが・・・安全な地だからと言って建てた「北陸電力志賀原子力発電所」の立地する志賀町が震度7。
やっぱり・・・ナントカ評価委員会だっけ?そりゃあ人間という動物のすることに絶対はないけれど・・・大した、冷静沈着な評価なんてやってないんだろう。そうして建てられた原発が停止しているからまだマシなんであって、動かしたいんだよなぁ・・・そういう勢力が強くなってきているんじゃね?
先に書いたように、ものを作るには動因やら必然性っていうのは問われるもんだ。環境から立ち上がってくる必然性を無視出来るワケがない。果たして日本という地盤事情に合致した方法はナニなのか?技術で克服するという力技もあるが、”往なす”のも高等技術!
柔よく剛を制す
この余りにも有名な言葉が示すように、”和”とはナンジャラホイ?日本ならではの方法があるんじゃなかろうか?それはガラパゴスと呼ばれるかもしれないが、それだけ独自の地盤の上に成立させなければならない、日本という国の条件だし、その上に生きる私たちの生活様式なのだから。
チョロッと地固めして、舗装すれば高速道路が出来てしまうお国柄とは異なった日本なのだから。ナニゴトも、その土地によってやり方が変わるもんだ。それじゃあ経済で太刀打ち出来ないというのならば、その経済についてブッタ切らねばならん。
経済という怪物だって、その概念は絶対ではないのだから。