Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

明日は電車を走らせるらしい・・・「ポリオワクチン接種のための戦闘休止」と「DIC川村記念美術館」休館

昨日はお久し振りの【号外】をやったけれど、多少はいつもよりアクセス数が増えたので、お役に立ったトコロもあるのかもしれない。

ワガハイ的には、こうした現場には落ち着くまでは近寄らない主義なのだが、ど~も報道関係がキチンと現場の状況を伝えてくれてない感じだったし、通りがかりだったので撮影した。

ま、正面切って現場に入ろうとするのは作業の邪魔になるので、チョット横から回り込む道筋で出来るだけ近づいてみた。作業関係者の駐車車両と、トイレを積んだトラックの脇から盛土流出の場を撮った。

勿論、望遠レンズ+テレコン使用。標準ズームではど~にもならない距離があるからねぇ。

それで、なかなか復旧は手強い感じに見えた。時折強い降雨があるし、舗装されてはいるけれど、農道だから狭いんだよなぁ・・・一応、幅員4メートルはあるだろうが。だから大型ダンプやトラックが線路に横づけ出来るような環境ではないように思う。

それでも、現場には至近距離までアクセスできる道はあるから、作業環境としては劣悪ではないのかもしれないけれど。

etsuro1.hatenablog.com

なんか・・・明日は電車を走らせるという情報だが、ホントに出来るのだろうか。昼夜を通して応急処置を施しているのだろうが。

たぶん、暫くは現場付近の徐行というコトで、若干のダイヤの遅れは出るのかもしれない。それでも、秦野と伊勢原の間の駅利用の人、つまり東海大学前、鶴巻温泉駅を利用される人にとっては早期復旧は必須。

それに、小田原方向から伊勢原へのアクセスが寸断されていると、「東海大学医学部付属病院伊勢原駅からバス)」に通院されている方にとっては困るからねぇ。体調が悪い上に余計な負荷が掛るというのは、辛いよねぇ。東海大学病院は、この地域最強の病院だから。

ワガハイも、親知らずの抜歯は東海大学病院口腔外科への紹介状で受診したから。

当時はまだ現役だった親戚筋の歯科医が、

「悦朗さんの親知らずは根は真っすぐだけどバカでかいからなぁ・・・ここは抜歯のエキスパートに任せた方がいいなぁ」

そう言って紹介状となった。東海大学病院の担当医はツカナントカ?先生だったかなぁ・・・確かに凄腕だったみたい。抜歯後、親戚筋の歯科医に行くと、

「えっ?昨日抜いてこんなに綺麗な状態なのぉ???・・・流石だなぁ。凄いなぁ・・・」

そんなコトばかり呟いていた。やっぱり、凄腕の医師がおられるのだと思う。ナニかあったら東海大学病院という地域なのだ。

 

ワガハイ、身体のアチコチが老朽化してきて病院通いが増える昨今、病院へのアクセスが途絶えるのは厳しい現実を突きつけられる思いだ。小田急線は明日には復旧するらしい。ほっと胸を撫でおろした人も多いことだろう。

 

増水した川の流れ(酒匂川)

さて、以下リンク先の「ガザの国連機関職員“ワクチン接種のため確実な戦闘休止を”」について。

www3.nhk.or.jp

ガザ地区では、ポリオの感染拡大が懸念される。そこでワクチン接種にともなう戦闘の一時休止に向けて、現地で支援にあたる国連機関の日本人職員は「戦闘行為が止まることを期待する」という内容の記事だ。更には、〈ワクチン接種にともなう戦闘の一時休止を完全な停戦につなげてほしい〉という話しで、この記事は締めくくられていた。

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子供のようにならなければ天国に入れない・・・

戦争が長引き、親族や友人の多くが犠牲になれば恨みは募る。その苦難は、本来は背負う必要のない十字架だ(確かに私の荷は軽いと言われたイエスさんの気持ちが分かるような気がする)。人間という動物は、自ら背負う必要のない荷を欲しがる習性があるみたいだ。

そして恨みが子供に連鎖すれば、やがて軍国少年が生まれる。そうしてかつての日本も、教育によって軍国少年を大量生産したのだ。そして戦場で死んでいった。

ワガハイの父親も徴兵されているから、やはり彼の一生は軍国主義的な価値観を拭い去るコトは出来なかったし、そういう価値観を子供のワガハイにも植え付けようとするトコロがあった。勿論、ワガハイは抵抗したけれど。

このように意図しなくても、負の連鎖は執拗なのだ。

 

子供たちの生きる世界・時代を準備するのが大人の役目だとするならば、理由なんてどうでもイイから戦は即時停止。和解への交渉を一刻も早くはじめて欲しい。

日本は戦争どころか常日頃、自然の驚異に脅かされているのだ

そして気になったニュースからもう一つ。

www.tokyo-np.co.jp

千葉県佐倉市にある「DIC川村記念美術館」が2025年1月で休館になるという話し。DICっていうのは、つまり「大日本インキ化学工業(旧社名)」のコトだ。そこが所有・運営する美術館だ。

www.dic-global.com

美術館運営は赤字続き・・・って、まあ、そうだろうねぇ。そりゃマーク・ロスコのコレクションは重要だと思う人もいるだろうが・・・

マーク・ロスコって・・・ナニ?

コレが多くの人たちの本音じゃね?

そりゃ、ワガハイも一時はマーク・ロスコってイイよなぁ・・・と思ったし、アメリカ現代美術の流れから見ていけば興味深い資料だと思う。

でも・・・コンテンポラリーを読み解いていく目は、少なくとも日本の環境では稀有だ。各々が感性の赴くままに楽しむコトは出来るし、それは否定するどころか肯定だ。

だが、やはり作品の背後に潜む前提はある。そこを踏まえていかないと作家の意図は探れない。作家は「どうぞご自由に」と言って、自身の意図ははぐらかし、鑑賞者を尊重する態度を示すだろう。鑑賞者の自由を束縛するコトは避けるだろう。だが、それでも作品を作る以上は意図がある。出来れば、その意図の入口に立ちたいと思うワガハイにとっては、ただただ日本の美術教育の範疇に留まっていたのでは、入口への道にさえ到達しないように思えてならない。

ま、ナニゴトもエンタメであるならば、それはソレなんだが。

オシャレな美術館で、オシャレな体験を享受するのも良き経験ではあるから。

 

だからまあ・・・企業と文化を考えると、少なくとも日本の環境では文化の運営は行き詰まりやすいようには思う。本当に美術館運営をする必然(環境)があるのだろうか?

現実は、あっても無くても支障のない存在なのでは?とも思う。

収蔵作品もまた・・・流れゆくモノさ!

ま、公立美術館ではないから収蔵作品の売却も難しくはないだろうし・・・美術作品というモノは、そうして放浪する宿命にあると言ってしまえば、そ~ゆ~コトではあろう。美術館の建物という器は、仮庵に過ぎないと思えば、別に騒ぐ程の話しでもないのかもしれない。

 

閉館としても、またどこかでロスコの作品を見るコトは出来るだろう。案ずるコトはない。