Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

戦争や~めよ・・・という言葉

昨日に続き、「言葉」について。

楊貴妃メダカの置かれた場所は何故か涼しい

キリスト教聖書を通読すると、読みやすい話しもあれば、その逆もある。そして耐え難い内容や、矛盾と不純と不条理に満ちた記述もある。特に旧約聖書は読み続けるのを拒絶したくなる内容もある。

だが、それは人間という動物が今までに通過してきた道のりを表しているし、同時に感情的な問題も含まれている。その多くは現在でも引き続き未解決な問題でもあり、永遠に付き合わなければならない矛盾なのかもしれない、とも思う。

そして、卓越した能力の人が十字架上で死しても、相も変わらず人間という動物は愚かな罪を積み上げ続けている。

 

以前にも書いたが、能天気だった小学生のワガハイは、自分が老いて死ぬ頃には、世界中で戦争という戦争は終わるだろう・・・と思っていた。幾ら何でも再び核の脅威を晒すようなアホは出てこないだろ・・・と思っていた。

でも、ウクライナでは起こった。

この、思った以上にど~にもならない人間という動物は、そう言いながらどこかで神を信じている。いや、神を利用している。

「神」という言葉を利用している。

それは狂信的であり、だからこそ盲信だ。

 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。ヨハネによる福音書1章 1節 新共同訳)

 

司祭からの共感を得て、神の化身かのように振る舞う為政者の言葉は「言は神」に挿げ替えて、万軍の主は我にあり!とでも言うのだろう。実に嘆かわしいことだ。これはブッシュ大統領もやったコトだけど。

自分たちにとって都合のイイところだけ、「神」という言葉を利用する。

だが、それに熱狂する人がいる。

ワガハイにとって、それはとても不思議に感ずることだ。きっと神は言うだろう・・・「そんなコト、言ってないぜ!」。

(静寂の井戸に反響する・・・これはサウンド・オブ・サイレンス Simon & Garfunkel の歌詞の一部だけど、その歌詞にある「ネオンサインへの祈り」というのは「金の子牛像」に重なって見える。まあ・・・改めて歌詞を噛みしめてみると、ゾっとする内容ではある。)

etsuro1.hatenablog.com

すぐに隠れられる安心感からか、楊貴妃メダカの警戒心がやや薄らいでいる

だが、確かに言葉によってナニかが動き、始まり、終結させるのも言葉だ。

 

2 そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、3 言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。4 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。5 わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(マタイによる福音書18章 新共同訳)

そして、この箇所を頻繁に思い出す。子供のようにならなければ天国に入れない・・・そうでなければ地獄ということか。

お腹を空かせた子供に食事を与えるように、平和を希求する人たちには平和が与えられるべきだ。このことを我慢させて、辛抱することを美徳としていいワケがない。

 

喧嘩はや~めよ!

戦争や~めよ!

 

童心にかえって大の大人がニコニコしながらそう呼びかけたら・・・キモチ悪いか?

戦争や~めよ!

(だいたいさぁ・・・こどものほうが ゆうしゅうなんだよな。おとながいるから せかいがだめになるんだよな。もう こどもがせいじやったほうが いいんじゃね?)

こんなシンプルな言葉が全く無力なコトに・・・人間という動物のダメさの全てを見るような思いがする。

 

残念ながら・・・〈初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった〉とは、全て「であった」という過去形だ。福音記者のヨハネさんが執筆した時点で過去形なのだなぁ。原文がどうなっているのかは知らんケド。

あ~~~、過去形なんだよなぁ。

 

ぉぉぉ・・・

 

※ 災害で住処を失った人への救済も、なんかもう少しナントカならんのだろうか?お国は冷たいなぁ・・・。