Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

言葉にも出会いや別れがある

水草が繁殖してメダカが見づらい

ここ数日、言葉の記憶について思い巡らせている。

今まで生きてきて様々な出会いと別れがあったように、言葉にも出会いや別れがあると思うからだ。

最近、痴呆症という診断が下される程では無いにせよ、物忘れは増えた。咄嗟に単語が出てこないコトがある。そして言葉は覚えていても、その正確な意味を忘れたコトが多い。

もう・・・微積分の数式は解けませ~ん!

微積分の概念は忘れてはいないけれど、基本数式が判然としなくなった時点で、こりゃ、終わってますな。

微積・・・使わね~もんなぁ。

でも大丈夫!まだ掛算九九は覚えているから。

筆算で割算も出来たから。

 

こうして微積分という言葉は覚えているけれど、実質的にはもぬけの殻に近い言葉はドンドン増えている。そうして言葉との別れというのも、あるんだなぁ。

 

でもまあ、別れの話しではなくて出会いの話しに戻そう。

あいうえお・・・を覚えた時の記憶ってあるだろうか?ワガハイ的には幼稚園の時にひらがなを覚えた(幼稚園の年少組の時、3年保育だったので5歳になる前?だったかもしれない)。そして小学校入学時には、自分の名前と家族の名前は漢字で書けるようになっていた。あと学校の名前も漢字で読み書き出来るようになっていた。だが、それをどの様にして覚えたのかは思い出せない。

昨日も書いたように虚弱児だったので、みんなが戸外で跳ね回っている間に覚えていたのかもしれない。

いや・・・そんなに勉強するような感じでは覚えなかったな。母親は強制的に教え込もうとしたけれど、ワガハイはそれを拒絶したんだ!

そうだ!それで母に叱られて「勝手にしなさい!」と言われたから勝手に覚えたのだった。思い出してきた!先ず、祖父に「あいうえお・・・」とひらがなを書いて貰って、後は音を覚えて繰り返したら覚えたのだ。そして間違いが無いかの確認は父親にしてもらったのだ。

意地でも母親に確認はしてもらわなかった。「勝手にしなさい!」って言われたからねぇ。というコトは、その時点で「勝手」が意味するコトを分かっていたということか?

ま、「勝手」の複雑な意味は理解していなかったけれど、とりあえずは理解・・・というか感覚的に把握していたのだろう。

でも、そういう感覚的な把握って多いよねぇ?その言葉の正確な意味を問われたら、答えに窮すなんてぇのはマイド、だから。

楊貴妃メダカの名付け親って誰なんだろう?楊貴妃だからなぁ・・・

19 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。20 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
創世記2章(新共同訳)

この話しは神話だと言って思慮深く、洞察力を働かせて考えない人も多いかもしれない。実際、人間がどのようにして言語を獲得したのかなんてワカランけれど、生命体は言葉を介さなくても何らかのコミュニケーションをとりあっている。鳥の囀りは相当に高等な部類に入るだろうが、虫だって、植物だって何らかの関係、関連を感じながら存在しているようにワガハイには見える。

ただ、明解に共有出来る名詞を獲得するコトが、どの様にして行われてきたのかは大雑把にはイメージ出来るものの、そこには血生臭い話しも絡んできそうだ。潰された文明の言葉は残るだろうか?

フェニキアの文字は、アルファベットとして今日に至ってはいるけれど。

 

死に絶えてしまった言葉もある・・・

存続し続けてこそ残る文化。

 

フェニキア文字は、アルファベットとして生きながらえた・・・かぁ。

 

「人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった」という言い方は、正確ではないかもしれない言い方だが、言い得ている点はあるだろう。そのように誰かが呼ばなければ、そしてその人が属するコミュニティの中で通用しなければ始まらなかったのだから。

ま、別にこんなコトに思いを馳せたトコロで、な~んの問題解決も無く、時間の浪費ではあろう。だが、こういうコトをふと、思ってしまう昨今だ。

 

ところで・・・もしも日本が消滅したら、フェニキアのようなナニかを遺せるのだろうか?

楊貴妃メダカも・・・魚(ギョっ)ではあるか?

etsuro1.hatenablog.com

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