Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

言葉と出会った時があった

何気なく使っている言葉の一つ一つに、その言葉と出会った時があったのだが、それをいちいち覚えてはいない。昨日のブログでは唯一、その記憶がハッキリとしているカフェインについて書いた。

今ではカフェインという言葉も日常的に使われており、小学校高学年になって初めて知るような言葉でもないかもしれない。だが、食物の有用成分について語られていた用語、単語は現在に比べるまでもなく少なかったと思う。

ところでポリフェノールという言葉が聞かれるようになったのは、何時だったのだろうか?

それはもう、分からない。

そうしてポリフェノールの定義、正体が殆ど理解されていないのだけれど、抗酸化作用が身体によろしいというコトで、まさに健康維持の救世主・福音の如く扱われている昨今だと思う。

赤ワインを呑む口実にも使われるし。

etsuro1.hatenablog.com

 

言葉を覚える始まりは、家族が語り掛ける単語からだろうが。そしてそのニュアンスも含めて感じ取っていく・・・自分に好意的と思われる言葉ならば笑顔になるし、チョットこれはよろしくない反応だと思えば顔を背けたりする。そういう感情の発達と併せて言葉を身につけていく。

そう!言葉を覚えるというよりも、身につけていくという言い方のほうが適っているような気もする。そうして言葉は身体感覚と同じように馴染んでいくように思う。

そして学校に通い始めると、その感覚的な言語から論理的な言語の使い方を学んでいく。他者と共有出来る言葉の使い方を覚えていく。そうした時に、ワガハイは酷い小児喘息が発症したために幼稚園の出席日数も半分程だったし、友達とのコミュニケーション能力の発達は遅れていたなぁ。

ただ、一人で居ても不満もなく、平気で絵を描いたり、積木で遊んだりしていた。

だから小学校低学年の頃は図画工作は得意だったが、言語能力はイマイチだったような気がする。勿論、体育の成績は5段階評価で2だったからなぁ・・・だって、先ず走れないんだから。そんな体力から、時間を掛けて普通の同年代の平均程度にはなったけれど。

今だに時々思い出す・・・幼稚園の運動会にフルで参加する体力が無かったワガハイは、前半だけ参加して友達の応援をした。そして母親に連れられて早退した。幼稚園から我家までは、大人の足で15分程の距離だが、途中の神社手前にある緩やかな坂道を休まずに上るコトが出来なかった。坂の途中の石垣に腰掛けて小休止しなければならなかった。

ホント、大した坂道じゃないのだ。普通の子供たちは走って上ってしまうのだ。だがワガハイは小休止が必要だった。この差は、あまりにも大きかった。

大人になってから、その坂道に立ち止まって幼少期を思い出した時、胸が詰まったねぇ・・・。その石垣に休む、幼少期の己の姿を見たような気がした。

 

言葉は・・・その言葉が示す通りの内容だ。文字面にはそれ以上も以下もない。ただし、文章になればただの部分にニュアンスが載ってくることがある。微妙な言い回しとかもあって、そこは書き手の技量も伴わなければならないけれど。

と同時に読み手の技量も試されるけれど。

ワガハイは、虚弱な身体によって培ってきた言語感覚(感性)を持ってしまった。そんなのは別に望んだコトではなかったけれど。でも仕方ない・・・言語もまた、身体的なものだから。

だから、筋骨隆々健康優良児の書く作文は、なにか釈然としないというか・・・面白いものがなかった。小学校の作文コンクールで入賞したものなどを示して

「悦朗君!作文ってこう書くのよ!!」

そういう余計なコトを言いだす学校の教師には、子供ながらに閉口したなぁ。虚弱な人間には表現の自由がないのか?というのは、中学生になった頃に思ったコトだけど。

まあ、今の時代はこんな教育現場ではないと思うけれど・・・あの時、知っていれば言っただろう・・・

ならばジョン・ロックってナンなんだ!?

 

先に行くものが後になり、上のものが下になり、強いものが弱くなり・・・価値観は流転することがある。時に強い発想がモノゴトをダメにする。強いだけに破壊力も強い。時には弱きものの声に、耳を傾けてみるのもあり!なのにねぇ。

神奈川県民として、なにやら立候補などで騒がれる自民党のお二人さん・・・嫌だねぇ。

ワイヤレスキーボードが壊れた・・・古いUSBキーボードを棄てずにいてヨカッタ!